小学校4年生の頃、子どもたちの間でファミコンブームが巻き起こった。だが、永留義己はあえて「MSXパソコン」を買ってもらった。PC雑誌のプログラムを打ち込んで遊んだ。
大学は理工学部を志し、一方で経営にも興味を抱いて「経営システム工学科」に進学。キャンパスで、サークル勧誘のビラとともに貼られていたアルバイト募集のポスターを見つけた。学生が中心となってパソコンの家庭教師を派遣するHDEで、ボランティア的に運営に携わった。
「パソコンの家庭教師はスポット依頼が多く、継続的な売り上げにはつながらない」。そこで、次のビジネスのシーズをLinuxサーバーの販売に求めた。永留が大学を卒業した98年当時は、インターネット業界の人気が高かった。「志の低い学生は大手企業に入っていたが、自分はコンピュータの知識をもっていた。ベンチャー企業でうまくやっていけるという、根拠のない自信があった」。そのままHDEに入社し、経営陣3人のうちの一人に。
ところが、周囲は技術系ばかり。レベルの高さに気がつき、いつの間にか営業に身を置くようになった。顧客に会い、失敗しながらノウハウを学んでいき、一人でLinuxサーバーを50台売ったこともある。HDEはこれまで3度倒産の危機に遭遇したが、乗り越えるたびに自信に根拠がついた。
今は営業マンを束ねる立場にある。あれから、Linuxの成長が鈍化している。新たな展開としてOSに依存しない、メール関連のアプライアンスを販売する。これまでプロダクト本部で新製品や中堅以下のビジネスを担当してきた。この10月からは大規模顧客に堅牢なシステムを提供するソリューション本部をてこ入れする。「モットーは『トライアル アンドエラー』」。失敗を恐れず、攻めの経営を貫く。(文中敬称略)
プロフィール
永留 義己
(ながとめ よしき)1974年、大阪府生まれ。94年、早稲田大学理工学部に入学。3年生の時に、興味があったインターネットセキュリティを専攻すべく情報理論の研究室に籍を置く。コンピュータ関連のアルバイト先を探していたところ、HDEと出会う。HDEでは理工系ということで当初技術職を模索するが、営業・広報面で才能を発揮し、1年目にして一人で50件以上のLinuxシステムの販売をこなす。97年11月、大学4年生の時、HDEが株式会社への組織変更する際に取締役副社長に就任。現在は、営業およびマーケティングを統括している。