1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生した時、小川晋平は大阪大学に通う学生だった。基礎工学の研究室で日夜研究にいそしんでいる最中に、この忌まわしい天災が起きた。「研究室のITシステムが地震で破壊され、学生でありながら、これを一から修復した」。幸か不幸か、このことがITに目覚めるきっかけとなった。
現在は、紆余曲折を経て、自社のクラウド・サービス「IIJ GIO」事業でマーケティングを担当している。元々は研究者希望だったという。しかし、その思いはかなえられなかった。新卒で入社したキヤノンでは、自社のシステム開発・運用を行う情報システム担当に回された。
この情シス時代に、「(ITシステムを)買う側として、さまざまなITベンダーの人と接したが、買う側より売る側のほうが面白そうと感じた」。この時の交流がきっかけとなり、2000年にIIJへと転身し、心機一転、“研究者魂”を生かした活躍が始まることになる。
IT業界で自分の存在意義を示す意味で、大震災の経験は多くを学ぶ場だった。IIJに入社して1年目。短時間でBCP(事業継続計画)と連動した自社の防災システムを企画し、上層部に「一発OKをもらった」。いまでは「ITの災害対策設計を得意とする」という通り、災害対策はライフワークになっている。
「IIJ GIO」の事業は、小川にはぴったりの仕事だろう。「IIJ GIO」は、IIJグループが2000年から展開してきたリソースオンデマンドサービス「IBPS」で培った運用技術を生かしたクラウド・サービスだ。「死ぬまでに、この世界に誇る仕組みのなかで、超激安で提供できる災害対策の仕組みをつくる」。世の注目を集めるITが、この人物から生まれる予感がする。(文中敬称略)
プロフィール
小川 晋平
(おがわ しんぺい)1972年12月、山口県生まれ。97年3月、大阪大学大学院基礎工学研究科を修了し、キヤノンに入社。情報システム担当者に。2000年、IIJに入社。同年からクラウドサービス「IIJ GIO」の前身のサービスを使ったプロジェクトマネジメント、インターネットゲートウェイサービスの開発を行う。10年10月からGIOマーケティング部部長。NPO法人「事業継続推進機構」の理事。