まさに“未曾有”としか言いようがない甚大な被害をもたらした東北地方太平洋沖地震。予想だにしなかった巨大地震は、東北地方を中心に東日本を襲い、多くの人の命を奪って平穏な生活を壊した。あの時、あの直後、IT企業人はどのように動いていたのか。顧客のシステムを守るため、事業を継続するため、そして被災地を救うために動き出していた。

過去最大の揺れと津波が多くの人の命と建物、生活を奪った
過去最悪の被害
それでも地元IT企業、元気に
巨大地震の爪跡、深く 3月11日午後2時46分、宮城県沖で発生した東北地方太平洋沖地震は、日本にとって観測史上最大の地震となった。地震の大きさを表すマグニチュードは9.0。1995年に発生した兵庫県南部地震(震災名は阪神淡路大震災)の7.3を大きく超える規模だ。気象庁によれば、世界で4番目に大きい地震で、インドネシアのスマトラ島沖で04年に起きた地震に次ぐ。
東日本を広く襲ったこの巨大地震が残した爪跡は深い。3月21日23時時点で、死者は8805人で行方不明者は1万2664人(警察庁調べ)。死者の数は阪神淡路大震災を上回った。ほぼ3日前の18日15時時点では、死者は6548人、行方不明者は1万354人。日を追うごとに命を落とす人が増えている。警察庁によれば未確認の範囲があるということで、今後増える可能性がきわめて大きい。
建物の状況もひどく、今回の地震で1万4697戸の建物が全壊し、4901戸が半壊した。この影響で今、38万9217人もの人が避難生活(警察庁、3月21日23時時点)を余儀なくされている。とくに宮城県、福島県、岩手県は深刻な被害を受けた。
被災規模が大きいこの3県に事業所を構えるIT企業も、当然ながら存在する。経済産業省の「特定サービス産業実態調査(2010年3月公表)」によると、宮城県では251事業所で事業従事者は8158人、福島県では86事業所、2086人、そして岩手県では76事業所、768人。3県合計で、7413事業所、1万1012人(ソフトウェア業のみ)がこの甚大な被害を受けた地域で働いていたことになる。
青森県八戸市に本社を構え、岩手県盛岡市にも営業所を置く吉田システムの石田広幸・取締役第一営業部長は、震災発生直後からの様子をこう語っている。「11日から13日朝までは、東北全地域が停電になったことと、電話での連絡が取れなかったため、手の打ちようがなかった。13日からは地道に顧客企業を1社ずつ確認した」。
被災地で始まる支援の環 「従業員もその家族も無事」。
19万1422人が避難生活を送り、最も避難者が多い宮城県(3月17日10時時点)。その中心地区である仙台市青葉区に本社を置く情報セキュリティ製品開発・販売などのトライポッドワークスの佐々木賢一社長からは、頼もしいメッセージが届いた。
同社は東京にもオフィスを構え、佐々木社長は東京と仙台を往復する生活を送っている。地震が発生した日は仙台にいた。佐々木社長は自社の状況確認を済ませてから、近隣の同業者が無事かどうかを知るために、複数のIT企業を巡回した。「10社回ったうち、8社は通常通り業務を行っていた」という。佐々木社長は「沿岸部を除けば、IT企業の影響は少ないと感じた」と現場をみて実感し、そのうえで「インターネットにつながる環境で、パソコンがあれば業務継続は可能」と力強く話している。
それだけでなく、佐々木社長は「地元の企業活動の情報を地元から発信したい」と考え、ソーシャルメディア「facebook」にウェブページ(ファンサイト)を立ち上げた(
http://www.facebook.com/sendai.it)。ここには、仙台にいるIT企業の人自らが、自分が無事であること、被害状況、顧客への支援活動などのさまざまな情報を発信している。仙台が元気であることを被災地から全国に伝えようとしている。

仙台の元気な姿を伝える「facebook」のファンページ
青森県弘前市に本社を置き、看護業務支援システムを開発・販売するマルマンコンピュータサービスは、県内外にいる顧客のシステム復旧に向けて準備している。同社の工藤寿彦・常務取締役は、「岩手県内の県立病院は、すべてが当社のユーザー。だが、岩手県医療局からも連絡が入っておらず、まだ状況は掴めていない。復旧活動が始まれば、その対応を求められるはず」と、その時を待って即座に動けるように備えている。地震発生の6日後、3月17日木曜日のことだ。
仙台市に東北支店を構える日本マイクロソフト。広報担当者によれば、「(1995年に起きた)阪神淡路大震災の時よりも、インターネット・ITが情報発信(支援活動)に大きな効果を発揮している。被災地の復興に向けて、パートナーとどのように協力できるかについて、今、協議しているところ」という。日本マイクロソフトは、ビジネスで培った地場パートナーとの信頼関係をベースに、協業というかたちで被災地の復興に向けて力を注いでいく。
このように、自らが被災しながらも、支援活動を行うことができる現地のIT企業は、多大な被害を受けた企業と住民を救うために動き始めている。
その時、東京は
事業継続と支援策を同時に
東北地方を襲った東北地方太平洋沖地震は、首都東京にも大きなダメージを与えた。各IT企業は、従業員の安否と、拠点・設備への影響度合いの確認を急いだ。計画停電の対象地域にIT施設を置く企業は、とくに神経を尖らせ、迅速に対策を打った。そして、東北地方の悲惨な状況が徐々に判明するにつけ、さまざまな支援策を打ち出してもいる。義援金の寄付、救援物資の供給、自社製品・サービスの無償提供など、その内容はさまざま。自社でできる支援を並行して進めた。
停電と燃料不足の影響大 IT業界に与える衝撃も大きく 東北地方太平洋沖地震が発生した時、東京都内にも震度5弱の揺れがあった。電車は止まり、道路も大渋滞で交通機関がマヒした。
SIerをはじめとするIT企業は、従業員の安否確認や、顧客の情報システムの稼働状況把握とその復旧を急いだ。とりわけ大きな被害を受けた東北地区の事業所は、建物に入れないケースもあった。
大手SIerのJBCCホールディングス(JBCC-HD)は地震発生後、山田隆司社長を本部長とする「JBグループ災害対策本部」を速やかに設置した。被災で入居するビルに入れなくなったグループ事業会社の日本ビジネスコンピューター(JBCC)とJBサービス(JBS)の東北支店(仙台市宮城野区)を、同じグループ会社であるイグアスのサプライ事業部東北営業部(仙台市青葉区)に3月15日までに仮移転させた。
別のSIerの社員のなかには、被災地の家族や友人と連絡がとれないケースがあったり、先行きの不透明感から不安を抱える人がみられるなど、メンタル面での動揺を懸念する声も聞かれた。こうしたなか、SI業界最大手であるNTTデータの山下徹社長は、「NTTデータグループの底力が社会から求められている」と、昼夜を問わず復旧作業に従事する社員を激励。JBCCホールディングスの山田社長も「このような時こそJBグループが一丸となって進んでいきたい」と復旧、復興に向けた力強いメッセージを社員に向けて出している。
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