IT化が進まない第一次産業。とくに漁業のIT化は最も進んでいないといわれ、旧態依然とした流通構造も残る。漁業全体の市場規模は年々小さくなり、事業者の数も減っている。それに追い打ちをかけた東北地方太平洋沖地震。東北地方の漁師は、震災から100日が過ぎた今も大きなダメージを受けたままだ。将来が不安視される漁業。ここにITを持ち込んで、産業の復活を果たそうとする動きがある。
漁業の今、衰退の一途
IT化が最も遅れている業界
生産量、事業者ともに減少 普段の生活で魚介類を食べていても、IT業界人がビジネスで漁業関係者に接触する機会や、漁業について学ぶケースは少ないだろう。「IT化が遅れている=ITメーカーやSIerの顧客ではない」という事情からすれば、当然といえば当然だ。改めて漁業界の基本データをみてみる。
漁業とは、魚や貝などの魚介類を収穫し、販売することをいう。魚介類を干物や練り製品などに加工するのが水産加工業で、漁業と水産加工業を合わせて水産業と総称される。日本の漁業生産量は2009年で542万2300トンだった。図1は、日本国内の生産量を地域(大海区)別に示したもの。東北地方太平洋沖地震で被災した太平洋北区が、実は日本で最も大量の魚介類を収穫している。
漁業を取り巻く環境は厳しい。ここ数十年、衰退の一途をたどっている。総生産量は09年で542万2300トンだが、その約20年前の88年は1278万4700トンもあった。半分以上に減っているのだ(図2)。消費量も減少しており、国民一人あたりの魚介類の年間消費量は、90年には37.5㎏だったが、09年には30㎏に減少。漁業を営む経営体の数も同様に減り、88年に19万271だった経営体は、08年には11万5196に減少している(図3)。生産量、消費量、そして事業者がすべて縮小しているのだ。このまま放っておけば、今以上に輸入に頼らざるを得ない状況に陥るのは間違いない。
商品の流通構造が不変であり、独特であることが漁業界の特徴でもある。生産者(漁師)から消費者に届くまでには、他業界にはみられない複雑な流通経路がある。
まず、漁師などの魚介類収穫者は、日本全国に点在する市場(いちば)に収穫物を供給する。市場には、漁業協同組合や自治体などが運営する「産地卸売市場」という市場と、「消費地卸売市場」の二つがある。それぞれの市場には、卸売業者と仲卸売事業者と称される流通事業者が存在する。卸売業者は、生産者から収穫物を集荷し、「せり売」「入札売」で仲卸売業者に販売。仲卸売業者は購入した収穫物をスーパーなどの小売店や飲食店などに販売する。そして、消費者の口に届く。「収穫者(漁師)→卸売業者→仲卸売事業者→スーパー・小売店→消費者」という流れを、市場を中心に展開する(図4)。生産者が直接、消費者に販売することはほぼなく、こうした間接販売が全国で行われている。この流通構造を、漁業界は数十年も維持し続けている。
ITとは縁遠い業界 では、IT化はどうか。中堅SIerであるミツイワ(飯田裕一社長)で新規事業を担当し、第一次産業向けIT事業に強い関心をもつ羅本礼二常務取締役は、自身が調査した実感をもとにこう話す。「一般的に農業と漁業は、IT化が遅れているといわれる。しかし、農業よりも漁業のほうが、はるかにIT化に縁遠い」。
ITを利用しない理由は、いくつか考えられる。最も大きいのは、既存の流通構造の仕組みだ。「数十年続く市場を経由した対面販売、紙文書を使った仕事の流れが根強く残り、それをIT化して置き換える必要性を感じていない。たとえITを活用するとしても、パソコンを導入する程度で十分」(漁業協同組合関係者)。若い人材を採用しにくく、漁業事業者の高齢化が進む。結果、ITに詳しい人物がおらず、パソコンの操作に慣れている人材が漁業界には少ないこともネックになる。
ITベンダーにとっては、製造業や金融業、サービス業などの他産業に比べて、ITを提案する余地が少なく、ビジネスの旨みが少ない。そのうえに開拓が難しいという事情があれば、漁業事業者に積極的にITを売り込もうという気が起こらないのは当然だ。 しかし、こうした状況を打破しようと、ITを活用して新たな流通システムの構築を成し遂げようとする動きがある。水産物のオンライン受発注システムで、既存の流通経路での取引を壊すことなく、漁業者にとっての新たな販売経路をもたらす仕組みだ。
ITを使った新商流の仕掛け
SIerが協業、全国的に普及
魚介類の新たな流通モデルと、それを実現するための情報システムをつくった企業は、大阪に本社を置くベンチャー企業である。規格外の魚介類を扱うことで、既存の流通事業者の反発を避け、オンラインで誰でもすぐに利用できるアプリケーションにしたことによって、ユーザーの導入障壁を下げた。官公庁からの評価が高く、協業するSIerも登場している。
売り手と買い手をネットでつなぐ 大阪府吹田市にある旬材(西川益通代表取締役)。2002年設立のベンチャー企業が、漁業界に新たな流通の仕組みをもたらした。自社開発した「SCSS」と呼ぶオンラインの受発注システムで、売り手と買い手をインターネットでつなぎ、直接売買できるようにしたのである。
「SCSS」のコンセプトは、極めてシンプルだ。仕組みは以下の通り。
漁業者(売り手)は、文字・静止画・音声・動画を活用して、当日の水揚げに応じて魚介類の種類・数量・価格をウェブアプリケーションシステム「SCSS」に登録する。一方、スーパーなどの小売店や飲食店、消費者(買い手)はその情報を見て注文する。専用の情報システムを用意する必要はない。システムは旬材が協業するデータセンター事業者のもとにある。売り手と買い手はブラウザを通じて「SCSS」を利用するので、パソコンさえあれば、どこでも受発注を行うことができる。漁師がパソコンに不慣れなことは織り込み済みで、旬材には、電話やメールで操作を説明する専門スタッフがいる。
物流は、旬材が物流サービスのヤマト運輸とヤマトグローバルエキスプレス、ANAロジスティクサービスと提携しているので、売り手自身が手配する必要はない。通常料金よりも安価に、買い手に届けることもできる。他の食品に比べて鮮度が何よりも大事な魚介類は、迅速に届けられる物流網が重要になることを旬材は想定していた。また、代金決済の面については三井住友銀行と三菱東京UFJ銀行と協業しており、売り手(漁師)に対して銀行が即時決済する仕組みを確立している。
売り手と買い手は会員登録し、初期費用10万円と月額利用料1万500円、販売額に応じた手数料(売り手は販売額の2%、買い手は販売額の11.5%)を旬材に支払う仕組みだ。
まさに、流通事業者を中抜きした直販ビジネスを実現したわけだ。このような新たな流通経路が生まれれば、既存の事業者がクレームをつけたり妨害したりすることが往々にしてある。しかし、「流通事業者からのクレームは一切なかったし、今後もない」(西川代表取締役)。その理由は、扱っている商品にある。「SCSS」で流通している魚介類は、市場では売買されない規格外品なのだ。規格外品とは、品質や安全は保証されているものの、市場では扱われることがないアウトレット商品のようなもの。「SCSS」では、取り扱う水産物を規格外品に特化しているので、市場を脅かす存在にはならず、文句は出ないというわけだ。すでに約70社(団体)の売り手と、約1800の買い手が存在する。
このシステムと仕組みは、対外的にも高く評価されている。水産庁の「平成19年、20年度キャリア活用再チャレンジプラン支援事業」に認定され、経済産業省の「平成20年度農商工等連携対策支援事業」として認められた。また、経産省が展開する「中小企業IT経営力大賞2011」の優秀賞も受賞している。
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