デジタル回路上で量子コンピュータと同等の処理を実現するアニーリングマシン。富士通が商用サービスを開始し、日立製作所がパートナー向けに開放するに至ったことで、アニーリングマシンを取り入れたシステム開発のための環境が整ってきた。問題は、これまでのコンピュータとは違う活用ノウハウが求められるということ。決して低いハードルではないが、それゆえにブルーオーシャンが広がっているともいえる。新たな事業の創出へ。今こそQIer(Quantum Integrator)を目指せ!(取材・文/畔上文昭)
量子コンピュータ市場はブルーオーシャン
量子回路とデジタル回路は活用面では変わらない
量子コンピュータを活用したシステム開発をビジネスとするQIer。デジタル回路を使ったアニーリングマシンは、量子コンピュータではないとの理由から、QIerを目指す企業の視野には入っていないかもしれない。しかし、それは間違いだ。量子現象にこだわる学術関連の関係者ならともかく、ビジネスにおいて重要なのは、何を実現できるかである。
アニーリングマシンが得意とするのは、組み合わせ最適化問題の解を求めること。組み合わせ最適化問題とは、変数が増えるにしたがって、解の数が指数関数的に増えるようなケースを指す。典型例として用いられることが多い巡回セールスマン問題は、セールスマンが訪問する都市の最適な経路を求めるものだが、5都市だと120通りと簡単に計算できるが、30都市では1京×1京通りになってしまう。スーパーコンピュータ「京」をもってしても計算時間に1京秒を必要とするが、これを瞬時に解くのがアニーリングマシンである。
そして、アニーリングマシンで重要なのは、富士通や日立製作所などの日本企業が世界をリードしているということだ。例えば、カナダのQIer、1QB Information Technologiesは、D-Wave Systemsのアニーリングマシンに取り組んできているが、富士通が「デジタルアニーラ」をリリースしたことにより、同社とのパートナーシップを結んでいる。1QB Information Technologiesのアンドリュー・ファースマンCEOは、「富士通は最先端の技術をもっている。最高の技術を使ってサービスを展開するのが、当社の方針。デジタルアニーラに期待している」と協業の理由を語っている。量子回路かデジタル回路かの議論は、学術関連の関係者に任せればいい。量子回路でもデジタル回路でも同様に扱うことができるため、QIerとしては、性能のいいアニーリングマシンを使うだけだ。
ただし、アニーリングマシンの活用には、高いハードルが待っている。というのも、上記の巡回セールスマン問題などの組み合わせ最適化問題をアニーリングマシンで解くには、問題を数式(イジングモデルのハミルトニアン)にあてはめる必要があるからだ。そこで、どのようなものに適用できるのか、どのようにアニーリングマシンを活用するのかの基本について紹介していくとしよう。
量子コンピュータ特集のバックナンバー
国産アニーリングマシンの登場に伴い、本紙では量子コンピュータが新たなトレンドを形成すると捉え、過去に2回の特集記事を掲載している。本特集では、量子コンピュータの一方式である「量子ゲート方式」については紹介していない。アニーリングマシンとの違いなどについては、過去の特集を参照していただきたい。
○2018年4月23日vol.1724掲載
「アニーリングマシンは国産勢がおもしろい!」
○2017年10月9日vol.1697掲載
「そろそろ知っておきたい 量子コンピュータ」
※過去記事はウェブサイト「週刊BCN+」に掲載中!
https://www.weeklybcn.com/
アニーリングマシンのスペックは
ビット数だけでは語れない
量子コンピュータのスペックで話題になるのは、ビット数である。量子コンピュータでは、これまでのコンピュータと区別するために「量子ビット」と表現するが、デジタル回路のアニーリングマシンは量子回路を使用していないため、ビット数またはパラメータ数、スピン数などと表現される。日立はCMOSアニーリングマシンの説明で、ビット数をパラメータ数として説明している。
このビット数はアニーリングマシンの性能を示す重要なスペック情報だ。例えば、金融機関で最適なポートフォリオを計算するにあたって、1024ビットであれば、1024銘柄の関係を計算することができる。そのため、ビット数は多いに越したことはない。ただし、それがすべてではない。表にある通り、「結合型」と「階調(パラメータ分解能)」も、アニーリングマシンの性能を語るには欠かせない。
まず、結合型。結合型には「全結合」と「部分結合」があり、部分結合には結合の仕方によっていくつかの方式がある。全結合は、すべてのビットが相互関係にある。例えば、巡回セールスマン問題において、すべての都市の関係性を計算するには、全結合が必要になる。一方、部分結合の場合はビット数を犠牲にして、全結合を表現することになる。つまり、部分結合の場合は、ビット数通りの性能を発揮できないケースがある。
次に、階調。例えば、階調が3の場合は、巡回セールスマン問題の都市間の距離を「近い」「中ぐらい」「遠い」の3種類しか表現できない。この範囲で計算するため、巡回セールスマン問題は事実上、解くことができない。つまり、階調が大きいほど、正確な計算ができることになる。
以上のことを下図の最短経路探索を例に説明しよう。図の最短経路探索では、単純な最短経路ではなく、混雑を考慮した経路を求めるシミュレーションである。
最短経路探索においてビットは、「交差点における道路の数だけ必要になる」(日立製作所 研究開発グループ エレクトロニクスイノベーションセンタ 情報エレクトロニクス研究部研究員の林 真人氏)。スタート地点では、四方に道路があるので4ビットを使用することになる。最短経路探索では、交差点の数よりも多くのビット数が必要になるのである。
また、図の例では、道路を格子状に単純化している。そのため、必要な階調は一つ。結合も周辺の交差点との関係だけですむため、部分結合で対応できる。
デジタル回路のアニーリングマシンでは、ビット数と階調はトレードオフの関係にある。日立のCMOSアニーリングマシンは「今回は5ビット(31階調)に設定したが、原理的には増やすことができる」(山岡氏)とのこと。CMOSアニーリングマシンでは、プロセッサにザイリンクスの「UltraScale」という汎用品のFPGA(field-programmable gate array)を使用している。FPGAはプログラミングで稼働方法を設定できるため、ニーズに応じて変更することも可能である。ただし、同じプロセッサで階調を増やすには、ビット数を減らすことになる。こうしたスペックの影響を考慮し、図の最短経路探索のように問題を単純化することも、QIerの重要な能力の一つとなる。
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