業務アプリケーション開発の世界では、近年「ノーコード開発」がキーワードとなっている。プログラミング知識のない現場の従業員でもシステムを作れることを目指すものだが、AIの世界でも同じように、専門的な技術がなくても機械学習の力を活用できるようにする取り組みが進んでいる。そこでは、テクノロジーの優劣自体よりも、いかに使いやすいツールを提供できるかが、選ばれる決め手になる可能性がある。
(取材・文/日高 彰)
AI活用で壁となる 独自のモデル構築
デジタルトランスフォーメーション(DX)の機運の高まりを受けて、ここ数年業務アプリケーションの世界で大きな盛り上がりを見せているのが「ノーコード開発」だ。ノーコード開発ツールを使えば、プログラミングのスキルがない従業員でもソフトウェアを開発することができるため、IT部門や外部のベンダーに頼ることなく、事業部門に所属する人がシステムを作れるようになる。ビジネスの現場で求められているアプリケーションを、業務に最も精通しているユーザー自身が開発することで、課題を迅速に解決できる。このような、現場主導でのデジタル化を加速する切り札としてノーコード開発への注目が急速に高まっている。
そして、DX推進に欠かせないもう一つのテクノロジーとなっているのが、機械学習をベースとしたAIである。AIを活用すれば、企業のシステムに眠っていたデータを活用してさまざまなビジネス指標の分析・予測を行ったり、特定の従業員の経験や勘に頼っていた判断を機械化したりできる。労働人口が減少する中で、デジタル技術によって企業の競争力を高めるために、何らかの形でAIを導入したいと考える企業は多い。
企業がすぐに導入できるAI技術としては、本特集シリーズで紹介してきたような、主にSaaS形態で提供されているAIアプリケーションが存在する。カメラが捉えた映像から人物を特定するための画像認識技術や、電話の音声を受けて顧客対応を自動化するボットなどは代表的なものだ。ユーザー企業の目的に合致したサービスが既に存在すれば、それを利用するのが最も手早い。
しかし、例えば自社が取り扱う商品の画像が大量にあり、それを商品種別ごとに自動的に分類したい。さらに、分類結果を過去の売り上げデータと照らし合わせて、どのデザインの商品がどんな客層に売れると考えられるかを予測したい、といった要求が出てきたときに、既存のサービスでは対応できないことがある。既存のAIエンジンは、サービス事業者が想定した用途向けに最適化されており、用途外のデータを扱えるわけではない。当然のことながら、例えば小売業向けの販売予測サービスを製造業の需要予測に適用するのは難しい。
そこで、企業ごとに構築する固有のAIモデルが求められるわけだが、モデルの作成や、AIに学習させるデータを用意するためには、専門的な技術を持つ開発者やデータサイエンティストの力が必要となる。そのようなスキルを持つ人材が社内にいない多くの企業では、AIの内製を行うのが難しく、業務へのAI導入までに多くの時間とコストを要する。AIモデルは、ビジネス環境の変化に応じて定期的に再学習して精度を保つ必要があり、中長期的な運用の面でも、外注では高い導入効果を発揮できないという問題がある。
AIでもニーズが高まる ノーコード開発
このような課題を解決するため、冒頭に述べたようなノーコード開発ツールが、AIの世界でも提案されている。データサイエンティストの力を借りることなく、データを保有しているビジネス部門のユーザーが自らAIモデルを構築できるようにすることで、企業ごとにカスタマイズされたAIモデルを活用して現場の課題をスピーディーに解決することを目指している。多くのツールは、データの準備からモデルの構築、活用までを支援する統合プラットフォームとして提供されており、プログラミングの知識がなくても、Webブラウザー上の操作だけでAIが利用可能となっている。
代表的なものとしては、米データロボットが提供する「DataRobot」があり、大規模な環境におけるAIモデルの構築、ビジネスへの適用、モデルの保守などをノーコードで行うことができる。また、グーグル・クラウドは、AIモデルをGoogle Cloud Platform(GCP)上で構築できる「Cloud AutoML」を用意しており、画像分類、自然言語処理、特定の専門分野に特化した機械翻訳などの機能を提供している。
グローバルで事業を展開する大手サービス事業者がある一方で、国内でもノーコードAIプラットフォームを提供するベンダーが生まれている。その中の1社、MatrixFlowは2019年4月にサービス提供を開始したスタートアップながら、今年3月時点で導入社数が4200社を超えるなど、評価を得ている新興ベンダーだ。
同社の田本芳文社長によると、当初はPythonなどを扱う機械学習のエンジニア向けに、AI開発時のコーディング作業を効率化する目的でサービスを開発したという。しかし、エンジニアよりもビジネスユーザーに向けたほうが市場としての可能性が高いと判断し、できるだけ簡単な操作でAIモデルを構築・運用できるツールとなるよう、製品開発の方針を早期に切り替えた。
最大の差別化要素は、ユーザーインターフェース(UI)のわかりやすさ、使いやすさだとしている。多くの作業を直感的なマウス操作で行えるようにしたほか、専門的な用語も可能な限り控え、導入初期段階でユーザーがつまずかないようにした。売り上げ予測や需要・在庫予測、画像データからの不良品検知、テキスト解析など、ビジネスの現場ですぐに使える機能も充実させている。
特にコロナ禍で需要が増しているのが需要予測という。ビジネスの環境が急激に変わったことで、過去の売上高の平均値の変化から需要を見極めるといった単純な手法では、予測を見誤る可能性がある。より多くのデータを分析して経営判断に生かしたいと考える企業が増えたことで、AIへの期待が高まっている。
数値・画像・自然言語という異なる三つの形式のデータに対応しており、Excelシートのようなデータだけでなく、センサーで取得したデータや、メールの履歴、SNSの投稿などのテキストなどを扱える点も強みとしている。田本社長は「AIの活用では数値予測にフォーカスすることが多いが、企業の中にあるデータの大半は画像やテキストが占めている。今後IoTの導入などが進み、それらのデータはさらに増大すると考えられる」と述べ、画像や自然言語を対象とした分析の需要は大きく伸びると見ている。また、データの取り扱いに関しては、時系列データに欠損値があっても予測が可能となっているなど、前処理の手間もできるだけ減らすことでユーザビリティを高めているという。
グローバル大手のノーコードAIプラットフォームに対しては、前述の使いやすさや、日本語の取り扱いに強い点などが競争力になると考えている。大手クラウド事業者もノーコードAIプラットフォームの提供には力を入れているが、まだまだユーザー層はエンジニアが中心で、ビジネスパーソンが利用するにはハードルが高いと見る。また、中小企業や部門単位でも導入できる料金水準としていることも差別化要素だとしている。
AIの評価ポイントは 「簡単に課題を解決できる」こと
田本社長は、今後のAI市場について「テクノロジーそのものはコモディティ化が進んでいく。どのAIプラットフォームがユーザーに選ばれるかは、精度の向上といった部分よりも、世の中にあるアルゴリズムをいかに簡単に利用できるかで決まっていくのではないか」と展望する。
MatrixFlowでは今後、ユーザーが開発したAIアルゴリズムをプラットフォーム上で流通させる、マーケットプレイスの仕組みを導入したいとしている。ある企業が作ったアルゴリズムを公開し、同業種の他の企業に販売するといった展開を想定する。さまざまなアルゴリズムが豊富に流通するようになれば、最適な結果が出るまで多数のアルゴリズムを適用しながら試行錯誤するといった手間がなくなり、既にMatrixFlow上で提供されているものを使ってより簡単にAIモデルを構築できるようになる。
海外の大手が先行していたノーコードAIプラットフォームだが、国内でも日本企業に使いやすいサービスが登場してきている。ソニーネットワークコミュニケーションズは昨年、表形式のデータを学習して営業・マーケティングや生産管理などの課題を解決できるツール「Prediction One」のクラウドサービスの提供を開始した。制御機器大手のキーエンスは、自社の営業活動分析のために開発した分析ツール「KI」の外販に乗り出し、多数の金融機関で導入実績を積み上げている。
ノーコードAIプラットフォームが普及すれば、ビジネス部門のユーザーが現在のExcelを使うようにAIを利用できるようになるかもしれない。そうなった場合、高度な最先端技術を搭載していたり、他のサービスより少々高い精度を出せたりするよりも、最も手早く現場の課題を解決してくれるプラットフォームが支持される可能性は高いと言えるだろう。