国内PC市場において2年連続でトップシェアを獲得している日本HPは、2024年下期から「AI PC」事業を加速させる考えを示す。もう一つの柱であるプリンティング事業では、国内における産業印刷のデジタル化を推進するとともに、3Dプリンターを活用した最終製品の製造を支援するソリューション提供に注力する方針だ。双方の市場で存在感を増す同社の取り組みを追った。
(取材・文/大河原克行 編集/藤岡 堯)
日本HPは、PCを中心としたパーソナルシステムズ事業と、産業用プリンターを中心としたプリンティング事業を主軸とする。決算公告によると、23年10月期の業績は、売上高が前年比7.2%増の2338億円と増収。営業損益は前期から83億円の赤字幅縮小となったものの、12億円の損失に終わった。経常利益は22.1%減の62億円、当期純利益は38.0%減の34億円といずれも減益で、コロナ禍前の業績に回復するまでにはもう少し時間がかかりそうだ。だが、23年11月から始まった24年度において、同社は成長戦略に向けた取り組みを加速している。PCとプリンティングの各領域における施策を見ていこう。
同社は国内PC市場におけるブランド別シェアで、2年連続で首位となっている。四半期別では、9四半期連続でトップシェアを維持している。23年度の国内PC出荷が過去最低を記録するなど市場が低迷し、厳しい環境であったのは明らかだが、ここにきて市場が回復基調にあるのは明るい材料だ。
電子情報技術産業協会の国内PC出荷統計でも、すでに23年度下期から出荷台数は前年同期比プラスに転じており、4月以降も前年実績を上回ると見込まれている。その背景には、法人向けPCの市況回復や、根強いテレワーク需要の継続に加えて、25年10月に予定される「Windows 10」のサポート終了に伴う買い替え需要の顕在化、24年度から一部スタートするGIGAスクール構想第2期による教育分野での端末更新需要といった追い風もある。こうした特需の恩恵を最も大きく受けるのはトップシェアメーカーであることは間違いなく、その立場にある日本HPは、特需を捉えた事業拡大の準備に余念がない。
三つの重点領域の観点で体制強化
岡戸伸樹社長は、本年度の重点領域として「革新的な製品とサービス」「信頼のサプライチェーン」「サステナビリティ」の3点を挙げ、PC事業もこの観点からの体制強化を進めている。
岡戸伸樹 社長
「革新的な製品とサービス」では、日本市場に最適化したPCの投入がある。24年4月に発表した「EliteBook Aero 635 G11」は、国内のニーズを反映して開発した990gの軽量ノートPCで、日本で先行発売している。また、KDDIとの連携により製品化した「HP eSIM Connect」は、日本独自の提案であり、au回線を使用して、ノートPCの常時接続を実現。5年間の無制限データ通信が可能だ。
日本で先行発売した
「EliteBook Aero 635 G11」
岡戸社長は、「日本市場における中長期プランを策定し、製品戦略やGo To Market戦略などを明確化した。本社がそれを理解し、競争が激しい日本市場において、差別化した製品の投入をサポートする状況が生まれている」と語る。
市場に適した製品の供給だけでなく、独創的な取り組みも進めている。その一つが、独自のセキュリティーチップである「HP Endpoint Security Controller」(ESC)だ。法人向けPCとして世界で初めて、量子コンピューターによるファームウェアの改ざんから守ることができるとする。
岡戸社長は、「量子コンピューターはまだ一般化していないが、4~5年後に量子時代が訪れ、暗号解読可能な量子コンピューターが実現するかもしれない。日本企業でのPCの買い替えのサイクルは4~5年。その時点の脅威を想定して搭載したのがESCである。日本HPのPCをいま購入しても、5年後の脅威に対応でき、安心して使ってもらえる。PCのライフサイクルを考えた提案ができる」と話す。
さらに新しい要素となるのがAI PCである。同社はNPU(Neural Processing Unit)を搭載した端末をAI PCと呼ぶ。ローカル環境でAIワークロードを実行する仕組みを備えつつ、HPならではのデザイン性や、安全性、堅牢性を実現している点を特徴とする。現時点で市場投入しているPCは、AI PCの前段階となる「AIテクノロジー内蔵PC」と位置づけており、24年後半以降に市場投入するPCのラインアップにAI PCが用意されることになる。
岡戸社長は、「AIの出現によって、テクノロジーが一気に身近になり、PCが利用者の横に来て、伴走者(コンパニオン)となりながら、創造性の高い仕事をアシストしてくれるようになる。24年はAI PC元年になるのは明らかであり、この市場において、HPブランドをしっかりと定着させたい」と意気込む。
二つめの「信頼のサプライチェーン」では、旺盛な需要に対応できる調達体制や納入体制の強化を図る。20年度の特需においては、コロナ禍でのサプライチェーンの混乱もあり、半導体をはじめとした部品が不足。PCの供給遅れが大きな課題となった。「旺盛な需要に対しても、メーカーとしての供給責任を果たせるように体制強化を進めなくてはいけない」と岡戸社長は語る。
その中核的拠点となるのが、東京・日野で行っている「東京生産」(MADE IN TOKYO)である。約30種類の製品、数十万通りの組み合わせに対応したカスタマイズPCを、5営業日のリードタイムで納品しており、24年7月には東京生産のスタートから、25周年の節目を迎える。製造拠点と物流拠点を一体化し、部品倉庫や組み立てライン、出荷工程までを、1フロアで完結する体制としたことで、注文から出荷までの時間を短縮。きめ細かな生産計画の立案と、デジタル化の推進による受注数にあわせた生産台数の変更や、稼働する生産ラインに柔軟性を持たせていること、バーコードによる工程管理や動作試験の完全自動化を通じた効率化、人的ミスの削減を実現しているのが特徴だ。
三つめの「サステナビリティ」の取り組みにおいても、PC事業の拡大につながる施策を用意している。企業による一括調達の商談などでは、PCの環境貢献度が外せない要素になっている。同社は最新PCにおいて、再生プラスチックを60%、再生アルミニウムを50%使用するほか、梱包箱を一新し、再生材料を100%利用するとともに、箱サイズを62%削減し、配送時の効率性を高めるといった取り組みを行っており、環境への配慮に対して先進的な企業であることを示している。
また、日本独自の取り組みとして、新たにPCリユースプログラムを開始。企業内で使われていたPCを引き取り、これを再利用することで、持続可能な循環型経済の実現に貢献するという。さらにPCライフサイクル全体にサービスを拡大する方針を打ち出し、PCの買い替え需要にあわせて、サービスのアタッチ率を高める考えを示している。導入から廃棄までを網羅する体制が、PCの更新需要の獲得につながるとみている。
産業印刷分野のデジタル化に期待
一方、プリンティング事業も、24年は飛躍の1年になるようだ。その中核となるのが、産業印刷分野のデジタル化である。産業印刷市場はコロナ禍で一度落ち込んだが、需要の回復により屋外広告の増加や、チラシ、のぼりなどの印刷ニーズが拡大するとともに、デジタル印刷に適した多品種少量印刷やオンデマンド印刷が注目されている。また、環境意識の高まりを受け、大量に印刷して、印刷物を在庫し、余ったものは廃棄するという方法が見直される中で、デジタル印刷の強みが発揮されるとみている。
国内での採用が進む「HP Indigo 15K HD」デジタル印刷機
現在、デジタル印刷機の「HP Indigo」シリーズは、全世界119カ国、4199社に導入され、7598台が稼働している。日本においても新規導入や増設が進んでおり、デジタル印刷によって事業を拡大している印刷会社が相次いでいる。グローバル印刷ネットワークを構築し、日本、米国、欧州の印刷会社が連携して、データをやり取りし、さまざまな企業がグローバル展開する際にも、適時、適量、適地での印刷を可能にするといったサービスも始まっている。これもデジタル印刷機ならではの提案の一つだ。
活用増える3Dプリンティング
そして、今後、大きな成長が期待されるのが、3Dプリンティングである。岡戸社長は、「これまでは試作品などで利用が多かったが、日本においても、製品そのものの造形に活用するケースが増えており、24年は、最終製品の製造を支援するソリューション提供に注力する」と語る。
海外では、自動車大手の米General Motors (ゼネラルモーターズ)や独Volkswagen(フォルクスワーゲン)、世界最大の化粧品企業である仏L'Oreal(ロレアル)などが3Dプリンターによる造形物を最終製品に利用している。日本においても、トヨタ自動車が「LEXUS LC500」のオートマチックトランスミッションオイルクーラーのダクトに、「HP Jet Fusion」シリーズで製造した3Dプリント製品を採用。国内自動車メーカーが、純正部品に3Dプリンターを採用したのは、これが初めてのケースになる。
3Dプリンターによって、いままでできなかった造形を実現できたり、金型を作る必要が無くなったりといったメリットを訴求する一方、課題だったコスト面や量産面についても解決策を提案できる新製品を投入。さらに、製造ノウハウを提供するプロフェッショナルサービスメニューも拡充する予定であり、導入メリットや活用効果を提案しながら、日本の企業が安心して活用できる環境を実現するという。
PC、プリンティングの双方で想定される需要拡大に向け、同社は盤石な準備を進めている。特筆すべきはグローバル企業でありながらも、国内市場に特化した取り組みが増えている点だろう。追い風基調の市場をどう切り開いていくか。同社が打ち出す手立てがもたらす成果に注目したい。
「コンピューター」から「コンパニオン」へ
同社はPCの定義を「パーソナルコンピュータ」から「パーソナルコンパニオン」へと変えている。岡戸社長は、「これまでのPCは情報処理が中心だったが、AI PCの登場によって、創造する領域での利用シーンが増えたり、自分の付加価値を高めたりといった利用が増加することになる」とし、「コンパニオン(伴走者)は、家やオフィスで利用するだけでなく、常時一緒にいる存在になる。そして、日本が抱える課題を解決する際の伴走者としての役目を果たす」とパーナルコンパニオンを位置づける。AI PC以外はパーソナルコンピューターの領域になるため、当面は二つのPCが両立することになる。