日本各地で観光業界におけるDXの取り組みが進んでいる。観光庁が旗振り役となり、ITベンダーによる支援の動きも見られる。日立システムズは神奈川県箱根町や地元団体と協力して観光地の混雑状況の改善を図り、セールスフォース・ジャパンはJTBや九州観光機構と連携し、旅行者の顧客管理を通じて九州全体の収益向上を目指す。観光DXにおける現状と各社の取り組みについて紹介する。
(取材・文/大向琴音)
観光庁
地方創生の切り札
人口減少が進む中、観光庁では、国内外との交流を創出できる観光を「地方創生のための切り札」と位置づけている。同庁では、観光の質に加え、観光産業の収益や生産性を向上させることで、地域活性化や持続可能な経済社会の実現を目指している。
持続可能な観光地域づくりを進めていくにあたり、着目したのがDXだ。旅行者の消費拡大や旅行者の再訪の促進などで観光産業の収益性を高めていくのに加え、宿泊事業者など地域の事業者同士や地域同士で得られたデータを連携することで、個々の事業者にとどまらず地域全体が稼ぐことができる状態を目指していきたいとしている。
同庁が宿泊事業者を対象に実施したアンケート調査によると、大規模な宿泊施設ではデジタル化に関連する機器やツールを導入している事業者が多い一方で、従業員50人以下の中小規模では導入率が低く、デジタル化に取り組むことのできる事業者は一部にとどまっていた。調査は宿泊業者だけの例だが、飲食業なども含めた観光産業全体としてデジタル化の遅れは指摘されており、その結果として、生産性や賃金が低迷し、慢性的な人手不足への対応が難しくなっている。
観光庁 栗田理沙氏
オンラインで宿泊施設の予約を受け付けるOTA(Online Travel Agent)サービスや、顧客管理システム(CRM)、ホテル管理システム(PMS)など、既存の業務をデジタル化するツールに関しては少しずつ導入が進んでいるが、同庁の参事官(産業競争力強化)付の栗田理沙氏は、価格を適切に設定するレベニューマネジメントツールなど「プラスアルファで収益を出していくためのデジタル活用はなかなかできていない」と指摘する。一方、観光地域づくりを推進する上で、中心となる組織の観光地域づくり法人(DMO)に対する同庁の調査では、半数以上のDMOが観光DX戦略/方針を「策定済み」や「策定検討中」としており、地域のデジタル化やDXに対する意識自体は高まっていることがうかがえる。
同庁では2021年から、観光DXを推進する取り組みの一つとして、採択した地域に対して1年間の支援を実施するモデル実証事業を展開している。23年度は七つの実証事業を実施した。また、実証事業の進捗状況や成果を報告する場としてフォローアップ会議も設けている。秋本純一・参事官(産業競争力強化)・専門官は、「皆さんに実証で得たノウハウをお伝えして、一つでも多くの地域で(観光DXを)実装していただくというところがポイントになる」とし、それぞれの地域での取り組みの支援に加えて、情報の発信にも取り組む姿勢を見せる。
観光庁 秋本純一 参事官・専門官
栗田氏は、「最終的にはその観光地がきちんと収益を上げ、経済が潤い、持続可能な観光を実現できることが一番重要と考えている。そのため、観光DXが目的になるのではなく、あくまで手段としてDXに取り組んでほしい」と語る。
※DMO:DestinationManagement/Marketing Organizationの略で、地域の民間事業者、行政、住民などと連携しながら観光資源の価値向上、交通やインバウンド受け入れの課題解決などに取り組む法人。国内では2015年に観光庁によるDMOの登録制度が開始され、24年9月現在全国の312団体が登録されている。
日立システムズ
AIカメラで混雑状況を可視化
観光庁のモデル実証事業に採択された地域の一つが箱根町だ。日立システムズは22年、箱根町と、箱根DMOとして活動する箱根町観光協会と包括連携協定を締結し、観光DXに共同で取り組んでいる。
箱根DMOの佐藤守・専務理事(右)と日立システムズの田辺弘樹・主任技師
箱根町は全国の中でも特に旅行客が多く訪れる観光地であるが、町につながる道が少ないことから、混雑が大きな課題となっていた。そこで、交通状況を定量的に把握し、周遊の利便性を向上させるため、日立システムズが提供するAIカメラを導入。交通状況がわかれば、旅行者に対して混雑を避けてもらうための適切な案内ができるようになるとの考えがあった。箱根DMOの佐藤守・専務理事は、「戦略立案と実行における基礎数値が間違っていると、結局、成果は出ない。デジタル技術を活用し、正確なデータを基に事実を捉えられるようにすることが重要」と話す。
箱根町に設置されたAIカメラ
現在、箱根町の4カ所に計8台のAIカメラが設置されている。AIカメラは箱根町を走行中の車両ナンバーを捉えることができるのが特徴。箱根町ではAIカメラの導入以前から、年に数回の交通量調査や、旅行者のデータを取得するための旅行者向けアンケート調査を実施していたが、取れるのはごく一部のデータにとどまっていた。AIカメラを活用することで、「いつ箱根に来たのか」「どこから来たのか」「リピート客か」など、より詳細で多くのデータが得られるようになった。
佐藤専務理事は「箱根町への人の出入りが可視化できるようになった。今後は箱根町の中を旅行者がどのように周遊しているかというデータを得られるようになれば、より収益性を高めるためにどうしたらいいのかという部分まで洞察できるようになる」と今後を展望する。
観光庁のモデル実証事業では、箱根DMOや日立システムズ、ランドブレインなどが連携し、AIカメラの技術を活用した、旅行者向けのデジタルマップを提供。道路の渋滞予測やバスの運行状況、駐車場や飲食店の混雑状況などをデジタルマップ上でリアルタイムに可視化することで、旅行者の利便性向上を図ったのに加え、混雑状況を考慮した周遊ルートの提案や、クーポンの発行などを通じて混雑の分散を促した。これにより、旅行者の一定の行動変容につながる成果が出ているという。
日立システムズのビジネスサービス事業部ビジネスサービス推進本部ビジネスクラウド推進センタの田辺弘樹・主任技師は「(箱根町での取り組みによって)AIカメラでどんな精度でデータが取れるか、またデータをどのように生かすことができるかなどデータ分析の知見を得ることができた。現在は全国の自治体に対し、観光DXの展開を目指しているところだ。地域ごとに課題は違うので、AIカメラに限らず、日立システムズが持つほかのプロダクトも含めて顧客に合わせた提案をしていく」と述べる。
セールスフォース・ジャパン
九州全体の活性化を目指す
九州でDXを目指す動きもある。セールスフォース・ジャパンは22年、JTBや九州観光機構と包括連携協定を結び、九州地方の観光DXの推進を目指している。元々、セールスフォース・ジャパンはJTBと共同で、セールスフォースのプラットフォーム上で旅行者の顧客管理を実現するソリューション「地域共創基盤」を構築しており、そこに九州観光機構から声がけがあったという。
九州地方における観光の課題として、県ごとに個別の観光地案内にとどまってしまい、県をまたいだ案内ができていなかったことなどが挙げられる。九州地方全体でDXに取り組むことで、ほかの観光地への誘客などを促し、収益を向上させることを目指している。
具体的には、地域共創基盤を九州の観光プラットフォームとして採用し、旅行者の顧客管理を行っている。分析ツールを活用し、九州観光機構が提供している旅行者向けモバイルアプリに登録されたデータや、観光庁が提供している観光情報をわかりやすいデータに変え、自治体やDMOなどの九州観光機構の賛助会員に還元している。これにより観光地では、事前に旅行者に関する備えができるようになるとした。
セールスフォース・ジャパン 田村英則 専務執行役員
現在、モバイルアプリを通じて、アプリをダウンロードした旅行者がどこを訪れたかなどの行動データを収集・蓄積している段階で、今後はデータを基にAIを活用することで、旅行者へ自動的にレコメンドを出すことができるようにするなどの機能拡張を見据えている。セールスフォース・ジャパンの専務執行役員で、エンタープライズ事業統括エンタープライズ公共・金融・地域SX営業統括本部の田村英則・統括本部長は「データをためる、あるいは収集したデータの整理にまさに取りかかっているところだ。今後データがたまっていけば、それを本格的に利活用できるようになる」と説明する。
また、九州観光機構に対し、セールスフォースの製品を扱えるデジタル人材を創出するため、ワークショップなどを通じてデジタル人材育成の支援もしている。「使っているツールの使い方を知れば自発的に施策を打ちやすくなる」(田村専務執行役員)ためだ。デジタル人材の育成だけではシステムを内製化できない部分に関しては、セールスフォース・ジャパンのパートナーに協力してもらっている。
地域共創基盤自体は、JTBの拠点を通じてほかの観光地への導入も目指す。JTBが展開しやすいよう、セールスフォース・ジャパンとしては技術やシステム面での支援を実施し、日本全国の観光DXへとつなげていきたい考えだ。