大興電子通信は、2013年12月に創業60周年を迎える。だが、近年は主力とするシステム案件が低迷し、苦戦を強いられていた。この体質を一気に変えたのが、数段跳びの異例の抜擢で2010年6月に就任した津玉高秀社長CEO兼COOだ。同社には、「富士通系列のディーラー」という冠がつきまとう。しかし、津玉社長は生き残りをかけて「大興電子通信色」を出すことを推進し、クラウドコンピューティングを強化したり、新領域に参戦したりして、大胆な改革を断行している。
“トヨタ方式”を導入して社内を改革
──社長に就任されて3年弱が経過しました。若い津玉さんのトップ就任は異例の抜擢といわれましたが、今回改めて、その経緯をお聞かせください。 津玉 前任社長や常務、取締役を含めて「新しい大興電子通信にしたい」という志が高く、改革をし続けながら事業を展開してきました。しかし、その成果はなかなか上がらず、数期連続で最終赤字を計上することになってしまいました。社長を選任するにあたっての経緯の詳しいことはわかりませんが、その当時の取締役からではなく、執行役員レベルから次の社長を選ぶことが前提だったようです。その段階で、何人かの候補がいたと思うのですが、たまたま私に白羽の矢が立ったというわけです。
──振り返ってみて、なぜ白羽の矢が立ったと感じておられますか。 津玉 社長就任の直前までは、名古屋支店長として仕事をしてきました。当時は、主力顧客のトヨタ自動車を担当して、トヨタの社員の自立・改善の気質や“トヨタイズム”に直接触れてきました。
これが、ものすごく参考になったんです。それを少し、名古屋支店で独自に取り入れました。「見える化」の一環として、朝礼や夕礼で今日やるべきことや実行したことの反省を共有しました。これがものの見事に成果に結びついたのです。支店の業績が上がり、手持ち商談も増えました。この点が評価されたのかな、と。
──そんな貴重な経験をした後、社長に着任して2年半が経ちました。これまでの間、どんなことに取り組んでこられたのでしょうか。 津玉 社長就任の打診がいきなりでしたので、「はっ!?」という感じでした。初年度は「いったい何をすべきか」を真剣に考えました。まず、自分が実行してきたことを振り返って、「名古屋支店は、本当のところの実力はどこにあるのか」ということを洗い出して、それをもとに当社の実力のベースを判断しました。
加えて、社員や外部のステークホルダー(利害関係者)からみた期待値を洗い出して、それと現実のギャップを算出し、当社がどこまでやれるのかを決めました。
──その際に頭の中で描いた「新しい経営の道筋」とは、どんなものだったのでしょうか。 津玉 従来は、無理矢理お客様に頼み込み、押し込み販売的な売り方をやっていることがわかりました。名古屋支店では本来の売り方ができていましたが、きちんとした提案にもとづいて、お客様の効率化などの課題解決に向けてITを提案し、最適なソリューションを提供するべきところなのに、それができていなかった。
残念ながら、当社は「人が財産」ということを忘れかけていた。財産を財産として扱ってこなかったのです。
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