新型コロナ禍の発生から1年以上が経過し、 “ニューノーマル仕様”の新しいワークスタイルやビジネスモデルの模索が本格化している。これに伴い、企業の情報システム、そしてネットワークの在り方も根本的な見直しが求められている。1月にシスコシステムズの新社長に就任した中川いち朗氏は、シスコ自身の変革を加速させることで、市場ニーズの変化にいち早く対応していく方針だ。ITインフラのリーディングカンパニーの立場から「顧客のビジネスの成功を支援するビジネス」へのシフトを急ぐ。
日本独自の取り組みで向かい風を乗り切る
――あらゆる企業にとってこの1年は大きな事業環境の変化がありました。シスコにとっての新型コロナ禍の影響を現時点ではどのように捉えておられますか。
オフィスで働くことに大きな制約は出てきましたが、シスコではリモートワークが以前から当たり前になっていたので、それがビジネスの弊害になったということはほとんどありません。オペレーション面でも影響は少なかったです。
一方で、お客様のIT投資が止まってしまうと、当然影響が大きい。ネットワークの大きな需要はオフィスにありますからね。当初は相当の落ち込みを懸念していました。しかし結果的に、それをカバーするようにリモートワークによる新しい需要に支えられた一年だったと言えます。ネットワーク関連の需要もそうですし、コミュニケーションツール「Webex」が大きく成長しました。
――コロナ禍の市場全体への影響はどう評価されますか。
日本のお客様のDXが遅れていることが、改めて露呈してしまいましたよね。ただ、結果としてDXの基盤である情報システムに新しいアーキテクチャーが必要であることの啓発は進んだとも言えます。その一環で、社内だけでなく社外のネットワークとの接続も加速させる必要がある。こうした背景からネットワークの需要は高まっていますし、シスコのビジネスは新しいアーキテクチャーへの本格的な移行の波に乗ることができたと思っています。
――とはいえグローバルでのシスコの直近(21年7月期第2四半期)の業績は、売上高は前年同期比でほぼ横ばい、純利益は下がっているという状況ですよね。
日本市場は2年連続でシスコのビジネスが最も成長した国になっています。グローバルでトップレベルの成長を遂げているというのはこの1年でも変わりません。申し上げたような市場環境の変化に適応できたこと、前任のデイブ(・ウエスト氏、現在は米シスコのアジアパシフィックジャパンアンドチャイナ プレジデント)やそのまた前任の鈴木(みゆき氏)が立ち上げて育ててきたスモールビジネス向けの事業は日本独自の取り組みがグローバルに波及したものですが、これが非常に堅調でした。シスコにとってはホワイトスペースが大きい領域ですので、引き続き成長が期待できます。
あとは、通信キャリアの投資も活発でした。私自身、直近はキャリア向けビジネスを担当してきたのですが、この3年はまさに5G向けの投資が大きく加速し、5Gのマーケットではシスコのルーターは75%のシェアを獲得しているので、はっきり言って一人勝ちです。このあたりは日本法人特有の状況と言えます。
スモールビジネス、公共向けが急成長
――大企業向けビジネスを手掛ける大手ベンダーがSMBにユーザー層を広げるというのはよくあるパターンですが、結果的に失敗するケースもまたよくある印象です。
スモールビジネスは新型コロナ禍で経営的に大きな向かい風を感じておられるお客様も多く、IT投資が必ずしも旺盛ではない状況です。一方で、そうした事業環境の変化に効率的に対応するためにもクラウド需要が特に高まっているという事情があります。例えば当社のクラウド管理型ネットワークソリューション「Cisco Meraki」はそうしたニーズをしっかり捉えてスモールビジネスでも大いに受け入れられている状況ですね。
――Merakiは絶好調ということですね。
はい、おかげさまで(笑)。今年に入ってからは、GIGAスクール需要など公共系の案件も増えています。公共向け市場もこれまではそれほど強くなかったんですが、ここを埋められたのは大きいです。エンタープライズとキャリアを中心としたビジネスでは強みを発揮できていましたが、スモールビジネスと公共向けにも着実に顧客基盤を拡大できていることが、さらに安定した成長につながっているというイメージです。
――製品軸でビジネスの状況を分析していただくと、何か直近の大きな変化はありますか。
ネットワークとコラボレーションに加えて、セキュアインターネットゲートウエイ「Cisco Umbrella」などセキュリティ製品が非常に成長しましたね。ネットワークと絡めて包括的なクラウドセキュリティを提案することも増えました。
お客様への提案の仕方として特徴的なのは、今まではネットワーク、セキュリティ、コラボレーション、サーバーなど製品ごとに個別に売ってきたのが、インテグレーションして提案するパターンが増えているということですね。
――クラウド活用を前提に、ITインフラもアーキテクチャー自体を新しいものに変えていこうという流れに沿ったトレンドと言えそうです。
確かに、DXに取り組む際に古いアーキテクチャーのインフラが足を引っ張ってしまうことは実際にあって、大規模な刷新の計画は増えているという印象です。ただ、従来のように時間をかけて計画して一気に変えるというよりは、PoCやトライアルをやりながら段階的にリプレースを進めていくというやり方が主流になってきていて、われわれの提案の仕方も随分変わってきています。
「単なるインフラ屋」からの脱却
――今年1月には、20年ぶりにパートナープログラムを全面的に刷新するという発表もありました。おっしゃったようなシスコの提案の仕方、ビジネスの在り方が変わっている象徴という気もします。
そのとおりで、カスタマーサクセスの実現やDXの支援をするためには、製品だけでなくサービスも拡充しなければなりません。そうすると、既存のパートナーからはそこを全部シスコが独占してしまうのではないかという懸念を持たれてしまっていたという課題がありました。今回のパートナープログラムの刷新では、まずはそこを払拭し、パートナーエコシステムの力でお客様のビジネスの成功を支援していくんだというメッセージを明確にする意図がありました。
――従来のパートナー制度は「シスコ製品をどれくらい売ったか」が全ての判断基準ですよね。
例えばSIerはこれまで再販パートナーという位置づけで、そもそも導入後に活用を促進するスキルやノウハウなどはパートナープログラムのカバー範囲ではなかったんです。でも、これからのITビジネスで大事なのは、むしろそこですよね。入れてからどういう風にサービスやアプリケーションのユースケースにつなげていただくかという観点でエンジニアのコミュニティーづくりやその強化を進めてきました。新しいパートナープログラムでは、ソフトウェア開発のスキルやカスタマーサクセスのための組織・人員整備などもセットにした評価・認定制度を大きな柱として打ち立てました。
また、通信キャリアが代表的ですが、再販パートナーではないけれども、当社製品を活用したマネージドクラウドサービスを提供しているサービスプロバイダーのパートナーもいます。彼らはクラウドのニーズが高まる中で新たな顧客接点をどんどん広げてくれる存在です。一方、DX支援の観点ではビジネスサイドからのアプローチが必要で、コンサルファームが大きな役割を果たします。現在必要とされている、これらのパートナリングをしっかり新しい制度に落とし込んだということです。
――新プログラムについて、パートナー側の反応はいかがですか。
自分たちのビジネスを変えなければいけないという課題に真剣に向き合っているパートナーは多いです。パートナー自身の変革のきっかけになり得るものとして評価していただくことが多く、手応えを感じています。
――社長として成し遂げるべき目標をどう設定されていますか。
言うまでもなくシスコはネットワークのブランディングについては揺るぎないものがありますが、まだ単なるインフラ屋であるというイメージが社内でも残っているのが実態です。ITインフラの提案がお客様のビジネス変革に紐づくように、社内、パートナーを含めた関係者のマインドやビジネスモデルをしっかり変えていくのが大きなミッションだと思っています。お客様のビジネスの成功のためにシスコがあるという状態に早く持っていきたいですね。
また、5Gを一般の企業がビジネスに活用していくという世界がいよいよ本格的に始まろうとしています。5Gの技術と企業のビジネスをつなぐ役割も、シスコだからこそできることだと自負していますので、新しい市場の創出という社会的な意義の高い取り組みにも注力していきます。
Favorite Goods
新卒で日本IBMに入社して以降、手帳に夢や目標を書き込み、ことごとく実現してきたという。「明確な夢を紙に書き込むことで、自分の行動も変わり始めた」そうで、携帯に適したモレスキンの小型の手帳を数十年にわたって使い続けている。
眼光紙背 ~取材を終えて~
「社会を変える体験」をしてほしい
キャッシュレス化が進みつつあるが、出先で急に現金が必要になる場面はまだまだ少なくない。そんな時の救世主がコンビニATMだが、シスコシステムズの中川いち朗社長は日本IBM時代、このコンビニATM「イーネットATM」を立ち上げるプロジェクトを主導した。自身のキャリアのハイライトと言えるビッグプロジェクトだったと振り返る。
もともとは自分の顧客だったコンビニチェーンのサービスを充実させるための施策として立ち上がった。しかし、実現のためには複数のコンビニチェーンや銀行などを巻き込む必要がある。今やイーネットATMの運営会社は、メガバンク、地銀、コンビニチェーンそして日本IBMなど64社が出資する大所帯。寝食を忘れて駆け回り成立させた1000億円規模のプロジェクトを通して、顧客の課題を解決し、「結果として社会を変えたという実感があった」と話す。
シスコシステムズの社員にも、顧客の課題の解決に取り組むのはもちろんのこと、それが社会課題の解決にまでつながるという経験をしてほしいと考えている。そうした体験こそが自身のキャリアを一層充実したものにしてくれるとともに、シスコを強くする。情報システムやネットワークのアーキテクチャーが時代の要請により大きく変わろうとしている今こそ、シスコのポテンシャルが最大限生きるタイミングだという手応えがある。チャンスは十分にあることを啓発するのも社長の役割だ。
プロフィール
中川いち朗
(なかがわ いちろう)
1962年11月、東京都生まれの58歳。85年3月、慶應義塾大学法学部法律学科卒。同年4月に日本IBM入社。2001年1月、米IBM勤務に。06年1月、日本IBMソフトウェア事業営業統括 理事。10年1月、日本ヒューレット・パッカード ソフトウェア事業統括執行役員。12年3月、常務執行役員に。14年5月にシスコシステムズ エンタープライズ事業統括専務執行役員。18年10月には情報通信産業事業統括副社長に就任。今年1月より現職。
会社紹介
世界最大手のコンピューターネットワーク機器メーカーである米シスコシステムズの日本法人。1992年設立。近年、日本市場はグローバルで最も成長率の大きい市場として存在感を従来以上に高めている。急成長しているスモールビジネス向けブランド「Cisco Designed」(旧Cisco Start)など日本発のグローバルな施策も出てきている。