遺産といえば不動産や車、銀行預金など物理的な遺産が頭に浮かぶ。しかし、ずっとネットで仕事や趣味に没頭している人は人生の大半をそこで過ごしていることになり、残された電子メールやIM(インスタントメッセージ)、ウェブ履歴、資料、画像も相当数に上るだろう。こうしたデジタル遺産の扱いを巡る厄介な問題が米国で持ち上がり始めている。

 携帯電話の履歴から浮気が発覚するのは良く聞く話だが、米国で離婚を決意した夫婦が真っ先に押さえたがるのは、車でも宝石でもなく今や配偶者のパソコンといわれる。このパソコンの奥深く眠る電子メールのやり取りや画像、ネット履歴からあわよくば不貞行為の尻尾をつかんで離婚訴訟を有利に進めようというわけだ。

 このように法的効力のあるものだけに、デジタル情報の遺産処理については一般のわれわれも無関心でいられない。持ち主が存命中は関係者間の話し合いで済むが、ポックリ逝ってしまったら誰の手にこれが渡るのか、遺族が情報開示を求めてきたら情報の管理母体であるISP(インターネットサービスプロバイダ)はどう対処すべきなのか、などなど疑問は尽きない。ところが、この頭の痛い問題に明確な回答を示すデジタル相続専門の法律がまだない。

 そんななか、今年1月には昨秋イラクで戦死した息子のメールアカウントを見ようとした父親のジョン・エルズワーズ氏(ミシガン州)が、管理側のヤフーにアクセス情報の開示を求めて却下される騒ぎが起こった。

 結局ヤフーは遺言検認裁判所から正式な命令が下りるまで応じない慎重姿勢を貫いたが、同社の規定ではユーザー死亡時にアカウントも抹消する。「この状況で情報を渡すことは故人と相手方のプライバシー侵害行為。ユーザーの電子メールは私的な通信と見なし、内容は極秘扱いするのが当社の責任だ」と、同社は公式文書でこう釈明している。

 ただし、ヤフーのように医療カルテ以上に厳しいプライバシー保護の姿勢を持つISPは少数派。AOLは最近、親族からの開示要求処理のためにフルタイムの従業員を張りつけ、死亡証明書および相続人であることを示す証書と引き換えに明け渡している。相続人相手なら開示に応じるというのはアースリンクもMSNも同様だ。

 つまり電子メールも一般の書簡と扱いは一緒で、所有者が亡くなれば「相続遺産として譲渡の対象となる」、それがサイバー法の権威をはじめとする米国の専門家たちの一致した見解なのである。

 故人のプライバシーと、故人のすべてを継承したいと願う遺族。両社を同時に満たすのは不可能だが、どちらか一方のみ生かして一方は捨てるというのも正しくはない。この点についてサンフランシスコの非営利団体である電子フロンティア財団では、「遺族の悲しみには同情するが、一方で近親者には知られたくないプライベートなことも人には沢山ある。知られないままにしておく方策も必要だ」と警鐘を鳴らす。

 では、具体的にどうすればいいのか。米国の専門家たちは、当面の策としてデジタル遺産の分与についても生前に細目を記しておくことを強く奨める。ネット投資で紙の控えがない人は遺言状と分けて別途パスワードリストを用意し、金庫など安全な場所に保管しておく。万全を期するなら管財人を立てて、廃棄と分与の細かい遺言の執行を頼むのが一番だ。

 ただし、技術が進めば別の問題も持ち上がる。昨秋グーグルが開始した「デスクトップサーチ」は、今年5月に法人向けバージョンも新たに加わって話題騒然だが、これを使えば故人のネット履歴もデスクトップの動作も遺族や会社に筒抜けとなる。これも遺産になるのか。相続人が本人の死後いじっていいものなのかどうか。

 未解決の疑問の方が多いが、一番肝心なことはサイバー人生の後始末もきっちりつけて他界せよ、ということだ。ここまで読んで襟を正した読者は何人いるのだろう。(市村佐登美)