大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第17話 日本画の巨人、富岡鉄斎

2002/01/21 16:18

週刊BCN 2002年01月21日vol.925掲載

立命館大学 客員教授 水野博之

 いま、兵庫県宝塚市に住んでいる。近くに「清荒神(きよしこうじん)」というお社がある。

 この荒神さんというのは本来、台所(カマド)の神様なのであるが、何時の頃からか商売の神様として尊敬を受けるようになった。大阪や兵庫で商売をしている人は大いに得としている。

 「荒神さんへ行こうか」と関西で言えば、この宝塚の清荒神を指すくらいなものだ。

 商売の神様だけあって、山頂に至る沿道にはいろいろな名物店が並んでいて、それをのぞきながらお宮詣でをする趣向になっている。

 しかしそれ以外にも、ここには世界に誇るものがある。「鉄斎美術館」である。

 富岡鉄斎は1836年京都に生まれ、1924年に90歳で亡くなった。日本画の巨人である。かつて小林秀雄(評論家、1902-1983)が鉄斎に入れあげて、三日三晩、清荒神に泊り込んで、うなされながら見た、という程のコレクションで、鉄斎を見るには清荒神へ行かないと駄目だ、と言われるくらいのものである。まぁ、皆さんも一度見られるとよい。

 鉄斎というのは不思議な人で、歳をとるほどに絵がよくなったと言われる。最高傑作は死の直前、89歳のころのものということになっていて、89歳翁なるサインがある。評論家のなかにはご丁寧なのがいて、いろいろ調べた結果、鉄斎は晩年、大分サバを読んで80過ぎくらいから89と称していたようだなんて研究もあるけど、80でも89でも年であることは間違いなく、年とともにみずみずしくなっていくところがある。色彩が若返って美しくなっていくのである。

 こうして彼は東洋のセザンヌと言われるようになって、あの何でも文句をつけたい小林秀雄ですら全面脱帽の巨人と位置づけられるようになった。鉄斎のどこが凄かったのか。次に少し考えてみよう。(宝塚市・鉄斎美術館にて)
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