視点

民主主義と文化を破壊する著作権強化

2004/06/07 16:41

週刊BCN 2004年06月07日vol.1042掲載

 ファイル交換ソフト、Winnyの作者が逮捕、起訴された。このニュースを読んで、来るべきものが来た、と感じた人は少なくないと思う。米国でファイル交換サイト、ナプスターがレコード業界から告発されて、廃業に追い込まれて以降、米国の後を追うように日本の著作権団体は違法なファイル交換に警鐘を鳴らしてきた。警察も昨年11月、違法に映画や音楽を交換していたWinny利用者を逮捕、Winny作者の自宅も家宅捜索していた。

 権利者の許可を得ないで映画や音楽を自由に交換することは明らかに現行著作権法に違反するのだから、いずれは作者も摘発されるのでは、と推測できた。今回の逮捕劇は、違法行為に使われたプログラムの作者が著作権法違反の幇助に当たるかどうか、が焦点になっている。

 しかし、ことの背景は単なる著作権法違反事件ではない。社会の情報流通に関する基本的問題まで考慮する必要がある。「包丁が殺人に使われたらその作者まで犯罪に問うようなもの」という意見に対し、警察庁長官が「犯罪に利用されることを意識してつくったかどうか」と反論しているが、法律論としてはおもしろいものの本質論とは関係ない。自由な情報の流通は民主主義社会の基本である。言論は、コピーされて初めて意味をもつ。だれも賛同しない言論はもともとコピーされない。

 創作物も人類が蓄積してきた過去の文化に刺激を受け、どこかをコピーして、初めて創造が成り立つ。著作権保護期間に年限があるのはこのためだが、長すぎる保護期間も問題である。科学は人類の知的資産を土台に発展してきた。科学論文が出典さえ明示すれば、コピー自由なのはこのためだ。つまり過去も将来も情報の共有は社会が機能するために不可欠な条件だ。

 コピーが権利侵害になるのは、その情報が商業的に流通している場合である。コピー問題は社会が必要とする情報共有と商業利用の両方の側面があることを忘れてはいけない。今回の逮捕劇や最近の著作権法強化の動きを見ていると、商業利用の立場からの議論だけがまかり通っている。一方的な議論は、ある意味で文化と民主主義の破壊につながりかねない。
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