IT業界のグランドデザインを問う SIerの憂鬱

<IT業界のグランドデザインを問う SIerの憂鬱>第16回 目指すは美しいプログラム

2007/07/23 16:04

週刊BCN 2007年07月23日vol.1196掲載

OSSを受託案件に適用

 国内で2番目に設立された独立系ソフト会社は?と尋ねられて、即座に答えることができる人はまずいないだろう。ソフトウェア・リサーチ・アソシエイツ、現在の名はSRAといえば業界では通りがいい。つい先ごろ、東京・上野の東京博物館で設立40周年を祝う会を盛大に催した。この会社が最近になって本腰を入れているのが「オープンソースソフトウェア(OSS)の利活用」(鹿沼亨社長)だ。ソフトウェアの無償化を加速するOSSをどう使えば、ソフトウェアの高付加価値化につながるのだろうか。

■ベースにはオープンな社風が

 SRAが設立されたのは1967年の11月。創業者の丸森隆吾氏(現会長)は、69年6月まで沖電気工業に営業係長として在席していたから、最初の2年間は社長不在の変則的な経営だった。「沖電気子会社の計算センターが閉鎖されることになった。そこに勤めていた6人のプログラマが、私を担いで会社を作った。これが当社創業の経緯」と丸森氏は語る。

 いまどきのように、株式公開で莫大な創業者利益を得るというようなねらいはなかった。「だって、ソフトといえばソフトクリーム、ソフト帽と勘違いされた時代ですよ。儲かるか、なんて考えもしなかった。気の置けない仲間と一緒に、面白ければいいじゃないか。そんなノリだった」。

 システム作りの仕事がないので、アメリカからコンピュータ・サイエンスの原書を仕入れて、それを翻訳して出版した。原書に〔例〕として載っているプログラムのコーディングを全員で輪読した。

 「毎週土曜日は休み。40年も前に週休2日制だったのは、仕事がなかったから」と、69年に大卒1期生として入社した杉田義明氏(現在は中国・上海のソフト会社に勤務)。その土曜日に社員が自発的に集まって、原書を読む“読書会”が開かれた。参加者がそれぞれ感想や自分の考えを発表しなければならない。しばしば議論はそのまま、一杯飲み屋に持ち越された。

 本は1冊しかなかったし、今のように複写機が普及してはいない。読書会に参加するには、原書に載っているプログラムのコーディングを覚えるほかなかった。

 「すると、構文が分かりやすく、無駄がないのが“美しい”プログラムだということが分かってくる。ソースコードを公開しても恥ずかしくないプログラムを作るのが、本当のプログラマだということを、読書会を通じて教えられた」(杉田氏)

■技術力を示す広告塔

 81年、日本に初めてUNIXを導入し、オープンなソフトウェア開発環境を社内に構築した。大学や研究所の中で論じられていたソフトウェア工学を、実際のソフト開発の現場に持ち込んだ初めてのケースだった。当時の同社の年間利益に相当する投資をしてまでUNIXを選んだのは、「ソースコードを読むことができるから」(杉田氏)だ。

 以後、SRAといえば「ソフト工学を実践している数少ないソフト会社」の定評が高まった。国内より海外での知名度が高く、それが現在、アメリカ、中国、インドなどでの事業展開を後押ししている。

 「いまでも、ソースコードが読めないと、一人前のプログラマとして認められないようなところがあります」

 この春に新設されたニュービジネス戦略本部の石曽根信本部長は言う。「有償であれ無償であれ、ソースコードが公開されていることが、ソフトウェアの一つの価値ではないか」と。

 同社のOSSへの取り組みは、80年代にさかのぼる。“OSSの教祖”とされるリチャード・ストールマンが創立したGNUプロジェクトの日本側窓口となったのをきっかけに、リレーショナル型データベース管理システムPostgre(ポスグレ)SQLの開発に参画し、独自に開発した三次元画像処理モジュール・ライブラリ「JUN」は日本の代表的なOSSとして世界的に知られる。

 「ただ事実として、これまでの10年は、営業部門にとってOSSは扱いにくい存在だった」と石曽根氏は認める。企業ユーザーからシステム開発を受注することで利益を得るのが受託ソフト会社の本領。対してOSSはソースコードを公開したうえ、ライセンスをフリーにする。「ソフトウェアの価値をどう高めようかと腐心しているのに、OSSは無償化なので、折り合いがつかなかった」。

 同社にとってのOSSは、「技術力の高さを示す広告塔」の役割しか与えられていなかった、ともいえる。

■競争力強化の切り札に

 しかし5年前、国産Linuxの開発元であるターボリナックスを買収(04年、ライブドアに譲渡)し、PostgreSQLのWindows版「PowergresSQL」を独自に開発したころから、社内におけるOSSの位置づけが変わってきた。

 「当社は何で利益を得ているのか、という自問自答がありました。OSやミドルウェアで利益を得ているんじゃない。ユーザーの要望に合わせたアプリケーションを作って対価をいただいている。それなら、少しでも安く、すこしでも優れたシステムを提供することが当社の存在意義ではないか、という結論に落ち着いた。その視点でみると、OSSは競争力強化の切り札なんですね」

 ここでいう競争力とは、応札価額のみを意味しない。OSやミドルウェアにOSSを採用しても、安くなるのはイニシャルコストだけで、全体の数%に過ぎない。トータルの価額を下げようとすれば、外注費を削り、プロジェクト管理やドキュメントに手加減をすればいい。実際、下請け叩きと手抜きで利益を捻出しているSIerが少なくない。

 しかし、運用と保守を考えると、それは決していいことではない。短期的には利益を出せるけれど、長い目でみると天に唾するようなものだ。それよりも、ソースコードが公開されていて、“美しいプログラム”で記述されているOSSを使ったほうが、メリットははるかに大きい。

 「OSSはトップダウンでは絶対に普及しない。エンジニアの草の根的、口コミ的な情報交換が、ボディブローのように利いてくる」

 SRAのニュービジネス戦略本部が打ち出した“戦略”の第一弾は、「社内への周知徹底」だ。Webサイトに社内のエンジニアが情報を交換する場を作り、成功・失敗の情報を共有する。「OSSの利活用」はそのなかの重要なコンテンツだ。
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