IT国家戦略を見直せ

しかし安倍内閣では…

 連日のマスコミ報道によると、安倍政権は存亡の危機に瀕しているようだ。1年前、首相に就任したときに掲げたキャッチフレーズ「美しい国づくり」「戦後レジーム(体制)からの脱却」は、すっかり影をひそめてしまった。ポツダム宣言の無条件受諾から62年、およそ2世代が交代し、世界情勢も政治課題も“戦後”とは大きく異なっている。その意味でいえば、美しい国はともかく、戦後レジームからの脱却はもっと議論されていい。それをITの視点でみるとどうなるだろう。(中尾英二(評論家)●取材/文)

 安倍政権が急速に人気を失ったのは、第一に宙に浮いた年金記録問題、第二に閣僚の相次ぐ失言、第三に国民投票法など数を頼んだ立て続けの強行採決、第四に不透明な政治と金の問題──とされる。

■不満だらけの自治体IT

 先の参院選で国民が「NO」を示したのは、安倍晋三という政治家が示した政策への評価ではない。永田町では「首相も被害者」という同情論も浮上しているという。

 この先、第2次安倍内閣がねじれ、国会にどのように対応するかは、本紙が扱うテーマではない。だがITの視点に立つと、IT促進政策の「戦後レジームからの脱却」は十分に議論する必要があるようだ。ここにきて、2001年以来の「IT国家戦略」に見直しを求める声をちらほら聞くようになった。

 「国が推進している後期高齢者医療制度改革は、現場に混乱を生むばかりでなく、情報システム部門にとっても困りもの。このままでは住民サービスに支障が出ると分かっているのに、システムだけは整備しなければならない。誰にとって何のメリットがあるのか」と、自治体IT担当者。

 「地方議会がまったく機能していない。監督官庁に制度に関する詳細情報や情報システム仕様の早期開示を求めるといった決議をしてほしいのだが、ITを理解している議員がいない」と、ある有力SIerの公共部門担当者。

 「電子自治体システムの構築に投入された総額10兆円を超える税金は、本当に役に立っているのか。ICチップを組み込んだ住基カードがあるのに、またぞろ年金カードを作ろうという。いっそのこと、自動車運転免許証とETC、クレジット、医療診療、公共施設利用などの機能を一本化し、成人式や年金受給年齢到達時に無料で配ればいい」と、元自治省OB。

 三者三様の不満を口にする。

■豊かな時代に餓死する実情

 行政管理庁事務次官、行政情報システム研究所理事長という要職を経て、現在は千葉県印西市で悠々自適の百崎英氏は語る。

 「情報化、ITの利活用は、これまで市民(国民)の生活をより豊かに、より便利にする方策と位置づけられてきた。むろんそれはそれとして、必要なところにはITを適用しなければならないが、何でもかんでもIT化、情報化というのはいかがなものか。これまでの情報化の動きに“待った”をかけることこそ、戦後レジームからの脱却ではないか」

 その理由として百崎氏は以下の項目をあげる。

(1)情報産業の振興・育成はまさに戦後レジームの産業政策だったが、90年代以後、その意味を失った

(2)コンピュータによる合理化、省力化は、生産性の向上をもたらした。しかしこれからの少子高齢化には、戦後レジームの施策では対応できない

(3)90年代に入って成果主義に転換し、大型プロジェクト、公共事業が停止・縮小したが、その穴をITが埋める議論が行われていない

(4)情報セキュリティや新しいタイプの犯罪に対して、国としての対応が後手に回っている

(5)地方分権といいながら、ITの分野では相変わらず国の主導が強い

──などだ。

 「情報化すること、コンピュータを使うことが是、人海戦術や手作業は非。その政策が何をもたらしたか」

 同氏は続ける。

 熟練者のノウハウや知識をコンピュータに蓄積した結果、終身雇用制が崩れ、産業界の要請と併せて日雇い派遣が一般化した。現場の職員が削減されたために老老介護が珍しくなくなり、85歳の母親を60歳の息子が絞殺する事件が起こった。生活保護予算枠を優先した結果、北九州市では失業者が餓死する事態が発生した。ネットサイトで連絡を取り合った赤の他人が、無差別で凶悪な殺人事件を起こす・・・。

 「賞味期限」と表示された数字を規準に、大量の食品を廃棄するのは豊かな社会なのだろうか。無駄や重複を回避するための情報システムがもたらしたのは、余裕のない社会ではなかったか。戦後レジームで推進してきた情報化の到達点が、これでいいのか。

 「昔の歌謡曲になぞらえれば、こんな日本に誰がした、ですよ」

 と百崎氏は冗談めかして話すが、現在の情報化、IT化の進め方に強い抵抗感があるようだ。それは加齢による新しいものへの単純な拒否反応ではない。情報システムの役割を熟知しているがゆえの苦言だ。

 一方、日本にはインターネットのトランザクションを処理するサーバーはあっても、ネット全体をコントロールするサーバーは設置されていない。トランザクションを処理するだけなので、海外から海外への踏み台に使われ、マネーロンダリングや危険物・有害薬物の取引情報が通過していく。外国の機関がその気になりさえすれば、日本国民の生命・財産にかかわる情報が素通しで入手できる。それを阻止することこそIT国家戦略ではないか。

 民間における情報化、IT化は、大企業については放っておいても進展する。中央と地方、大企業と中小企業、富裕層と貧困層の格差をどう是正していくか、高齢者や身障者、母子・父子家庭など弱者をどのように支援していくか、少子高齢化と国際化にどう対応していくか。それこそが「戦後レジームからの脱却」に違いない。

 では第2次安倍内閣の陣容はどうか。人心一新で発足したものの、わずか8日で遠藤武彦農林水産相、坂本由紀子外務政務官が政治と金の問題で辞任、九州厚生局の元局長の不明朗な金品受領が表面化した。

 身内の身体検査もままならぬ内閣では、とても戦後情報化施策からの脱却、IT戦略の立て直しどころではなさそうだ。

ズームアップ
経産省の戦後レジーム
 
 経済産業省も戦後レジーム脱却に頭を悩ませている。「情報処理振興課」の名称を変えようという声が省内で交わされているのだ。 情報処理振興課は「情報処理振興事業協会等に関する法律」を受けて1970年7月に新設され、情報サービス産業の育成・振興を担ってきた。
 ところが、今や情報サービス産業の市場規模は19兆円。やるべきことがなくなったのだ。