MADE IN SILICON VALLEY 現地日本人IT技術者たちからのメッセージ

No.2 シリコンバレーの移り変わり(下) 半導体勃興がIT集積化の発端 アラン・ケイ開発のPCも起爆剤に

2009/07/13 20:45

週刊BCN 2009年07月13日vol.1292掲載

 前回(No.1)では、米国シリコンバレーが現在のようにIT集積地化する前段階の変遷を紹介した。今回は、第2次世界大戦後の「第1期」から、名だたるITベンダーが拠点を構え、現在に近い形となった「第5期」に至るまでの動向を解説する。航空・宇宙産業や半導体の勃興から、ハードウェアの最盛期、そしてWebサービスを主にしたベンダーが集積化されるまでの移り変わりが分かるだろう。シリコンバレーの変遷は、世界のIT業界の変遷でもある。

当初は航空・宇宙産業が勢揃い

◆第1期 ディフェンス・ビジネス(1960年代半ば~70年代半ば)

 シリコンバレーの第1期は電子通信技術を核としたディフェンス・ビジネス(防衛産業)の地だった。第2次世界大戦後、ロッキードやゼネラルエレクトリック(GE)をはじめとする航空・宇宙産業が勢揃いし、ベトナム戦争が終わった70年代の中ごろまで、この状況が続いた。

◆第2期 シリコン・ビジネス(~80年代半ばまで)

 第2期は、半導体産業の勃興期である。1948年、東海岸のベル研究所でウイリアム・ショックレー氏らのグループが世界初のトランジスターを開発。ショックレー氏は故郷のシリコンバレー・パロアルトに戻って、1955年に会社を起こした。優秀な人材を抱えたこの会社は順調に見えたが、わがままな氏を嫌って研究員8人が造反。フェアチャイルド社を設立した。その後、集積回路を考え出したロバート・ノイス氏、ムーアの法則のゴードン・ムーア氏、ハンガリー移民でインテルの今日を築いたアンドリュー・グローブ氏の3人が同社からスピンアウトし、68年にインテル社を創業した。同社隆盛の要となるCPU開発では、当時、日本のビジコン社員としてプロジェクトに参加した嶋正利氏の功績が大きい。

◆第3期 PCビジネス(~90年代半ばまで)

 パロアルト研究所(PARC)に参加していたアラン・ケイ氏が、現代のノートパソコンの概念を発表したのは1972年。同じPARCでは、Macの原形となり、ひと目見たスティーブ・ジョブズが惚れ込んだ「アルト(Alto)」が開発された。そして1981年、IBMのフロリダ州ボカラトンで商用パソコンが開発され、今日のパソコン時代の幕が開けた。

インターネット時代へと変遷

◆第4期 インターネット・ビジネス(~2005年ころまで)

 1994年、スタンフォード大学教授だったジム・クラーク氏はマーク・アンドリーセン氏の手がけていたブラウザ「Mosaic(モザイク)」に魅せられてネットスケープを設立。インターネット時代が始まった。翌1995年にはポータルサイトのヤフー、1998年には検索エンジンのグーグルが設立され、シリコンバレーはこれまでのハードウェア寄りから、一気にソフトウェアの世界に突入した。ベンチャー・キャピタル投資に支えられてIPO(新規株式上場)企業が増え、若くして大金を掴んだエンジニアが続出した。そしてついに2000年、バブルがはじける。

◆第5期 クリーンテック・ビジネス(現在)

 バブル崩壊後、職を失ったエンジニアの一部は、データベースや分析系の要員を必要とするバイオ企業に移籍した。シリコンバレーの北、サウス・サンフランシスコ市や湾の一番奥にかかるダンバートン橋を渡った対岸には、多くの開発ステージのバイオ企業がある。知る人ぞ知るカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)は、医学部の大学院で構成されるバイオのメッカ。ジェネンテック(Genentech)をはじめギリアド(Gilead Sciences)など、多くのバイオ企業が巣立っていった。そして現在、半導体のシリコンを応用したソーラーパネル、バイオ燃料、自動車向けLiイオン電池、電気自動車(EV)開発、eReaderなど、シリコンバレーは次の時代を目指して走り始めている。




 
【著者紹介】
森 洋一
 米国シリコンバレー在住。日本ユニシス入社、リアルタイムシステム設計と開発、流通/オープンシステム・マーケティングなどに携わり、1994年より米国勤務。2002年退社、シリコンバレーにオフィスを開設、ジャパンエントリーとテクノロジーリサーチャーとして活動。著書「クラウドコンピューティング‐技術動向と企業戦略」のほか、雑誌、新聞などにも数多く寄稿。
  • 1