ジインズの廣瀬光男代表取締役は、生まれ育った故郷・山梨県のために会社を営んでいる。「地方に働く場所がないのは、大きな問題だ」と考えているからだ。最近では、同じように地方で奮闘する会社と手を組み、新団体「ふるさと創生IT協同組合」を立ち上げた。各地で雇用を生み出し、IT業界に新たなうねりを起こすことを狙っている。(取材・文/廣瀬秀平)
Company Data
会社名 ジインズ
所在地 山梨県笛吹市
資本金 4300万円
設立 1996年4月
社員数 37名
事業概要 ID統合管理ソフトウェア「ADMS(アダムス)」の開発販売、ソフトウェアの開発、ネットワークシステムの構築・運用管理
URL:https://www.jins.co.jp/
公務員から転身し独立
ソフト産業の育成に着手
廣瀬光男
代表取締役
廣瀬代表取締役は、最初から会社の経営に携わっていたわけではない。東京の大学を卒業後、就職先として選んだのは山梨県庁。公務員として社会人の第一歩を歩み出した。
時はバブル期まっただ中。県内も活気に溢れていた。ただ、廣瀬代表取締役は「山梨の製造業は今後、規模が縮小していく。製造業に代わる産業が必要だ」と時勢を冷静に分析していた。
県の長期計画の策定に携わっていた35歳の頃、米国のシリコンバレーのように、ソフトウェア産業の育成を県庁で提案した。しかし、周囲から「できるわけない」と一蹴され、一念発起。県職員を退職し、独立した。
「結婚して間もなかったが、妻も反対せず、自分も失敗した時のことは考えていなかった」と述懐するが、ビジョンは明確だった。目指したのは、東京からの企業誘致と教育機関の設置だ。
当時は土地バブル絶頂期。さらに、銀行の融資が好調だったことも追い風になり、旧竜王町(現甲斐市)で「竜王赤坂ソフトパーク」の創設に成功。企業の寄付を集めて「情報専門学校サンテクノカレッジ」の設立にもこぎつけた。
廣瀬代表取締役は「学校をつくった時に、UNIXを全面的に担いだ。地元の山梨大学の協力も得て、日本の専門学校で初めてインターネットに接続した。全国でも最先端の試みだった」と振り返る。
地域の若者のために
44歳で会社を創業
当初の目標は達成したが、学校を卒業した若者の働く場の確保は依然として課題となっていた。解決のため、新たに打った手が、1996年のジインズ創業。44歳の時だった。
自治体へのインターネットの普及に取り掛かり、一人で営業を展開。苦労するなかで気づいたのは、「何とかしようという思いがないと、相手には通じない」ということだ。
その後、会社は順調に成長し、現在は、自社製品のID統合管理ソフトウェア「ADMS(アダムス)」の販売のほか、ソフトウェアの開発やネットワークシステムの構築・運用管理などを手がける。売上高(16年3月実績)は3億円に到達し、37人の従業員を雇用できるようにもなった。
常に時代の風を読んできた廣瀬代表取締役が次に見据えるのは、業界内でも注目されているクラウドやIoT、人工知能(AI)といった技術だ。
廣瀬代表取締役は「顧客の動向をみると、今の状況から一気に広がることはないと思う」と慎重な姿勢を示す。それでも、手をこまねいているわけではなく、「階段を上っていくような形で、段階的にステップアップし、いずれはクラウドやIoT、AIの時代がくることを想定して、最新の技術分野を追いかけている」と話す。
“脱東京”を旗印に
新しい局面を切り開く
廣瀬代表取締役は、代表取締役業の傍ら、“脱東京”を旗印に17年5月に設立した「ふるさと創生IT協同組合」の理事長を務める。
組合は、ほかに鳥取県、徳島県、沖縄県の計5社で構成し、IT技術者の人数は約300人を誇る。各地のノウハウを集約し、東京に集中しがちなITニーズの受け皿になるつもりだ。
「当面は組合の強みをアピールしながら受注能力を向上させ、少しずつ仲間を増やしていければいい」と廣瀬代表取締役。「一社でやってもインパクトがないが、束になれば十分に戦っていける可能性はある」と自信をみせる。
ジインズを創業し、20年がたった。組合の理事長という新たな肩書もできたが、「もっと地方で若い人の雇用を生み出していきたい」と初心は忘れていない。地域のために、これからも尽力する覚悟だ。