ビル火災を想定した避難訓練。火災発生時の備えとして欠かせないが、周囲の状況はいつも通りで、火も煙も見えない。訓練に参加した社員にとっては、効果を実感しにくいうえ、真剣に取り組むという気持ちになりにくい。そのため、避難訓練の実施を事前に告知し、参加を呼び掛けるものの、社員の参加率の低さが課題となることもある。社員にとって、価値のある避難訓練とは何か。それを模索していくなかで、しんきんカードがたどり着いたのは、VR(仮想現実)だった。
【今回の事例内容】
<導入企業>しんきんカード
信用金庫を母体とするしんきん系カード会社は全国に7社あり、しんきんカードは関東・甲信越・北海道・沖縄地区を担当。クレジットカードを通じて、地域経済の発展に貢献している
<決断した人>
松崎邦彦総務部長(写真右)と
矢内公朗総務課長
効果的な避難訓練を実施するために、VRの導入を決断した
<課題>
災害に備えて、避難訓練などを実施してきたが、形式的で効果が期待できない状況にあった
<対策>
よりリアルな体験を求めて、避難訓練にVRを導入
<効果>
黒い煙が出た時に必要となる姿勢や逃げ方など、火災発生時の対応策の認知度が向上
<今回の事例から学ぶポイント>
形式的に実施しがちだった避難訓練が、最先端のテクノロジーの活用で活性化。全社員が参加という結果に
被災時の事業継続は最優先
信用金庫を母体とするしんきん系カードグループ。全国の担当地域別に7社で構成され、しんきんカードは関東・甲信越・北海道・沖縄地区で事業を展開している。
同社はこれまで、クレジットカードという社会インフラを担う企業として、災害発生時の事業継続に向けた対策に注力してきている。「大きな災害が発生しても、通常通りに事業を継続できる企業は多い。当社は多くの消費者が利用するクレジットカードを扱っているため、災害発生時に当社だけが稼働できないというのは避けなければならない」と、しんきんカードの松崎邦彦総務部長はBCP(事業継続計画)に注力する背景を説明する。その成果の一つとして、同社は国が制定した認証制度「国土強靭化貢献団体認証(レジリエンス認証)」を取得している。
ビル火災などを想定した避難訓練にも、しんきんカードは積極的に取り組んできている。社員の安全確保は、BCPにつながる取り組みでもある。そうしたなかで同社は、これまでの避難訓練のあり方に課題を感じていた。
「火災の発生を想定し、指定の場所に集合するという一般的な避難訓練では、社員の意識があまり高まらなかった」ことから、松崎部長は社員の意識を変えるきっかけを探していた。
同様の課題を抱える企業は多い。避難訓練を実施するものの、参加者である社員は誘導係に従って行動する程度で、災害発生時の危機感とは程遠い状況になりがち。訓練を面倒だと感じる社員は外出のアポイントを入れてしまうなど、避難訓練への意識を高めるのは容易ではない。
避難訓練にゲームの要素
避難訓練の見直しを検討していくなか、松崎部長は、ある新聞の記事に興味をもった。「自治体でVRを活用して避難訓練を実施したという記事が載っていた。ゲームの要素があるので、参加者の反響が大きかったとのこと。当社の避難訓練でも有効だと考えた」。記事にはVRの提供企業として理経が載っていたため、すぐに問い合わせた。
理経が自治体に提供していたのは、体験型VR訓練ソリューション「RIVR-Dシリーズ」。さっそく松崎部長をはじめとする避難訓練の担当者6人が、VRを体験した。「全員が『これはいい』との感想をもったため、即決で避難訓練での採用を決めた」と、矢内公朗・総務部総務課長は語る。VRを体験し、「これまでの避難訓練は、参加者が受け身だった。VRでは、参加意識が生まれる。自分の意思で行動しなければ逃げ切れないという主体性をもった体験ができる」ことを評価した。
VRで火災発生時の避難を体験しているところ
VRを活用した避難訓練では、参加者が専用のデバイスを装着し、映し出される火災の3D映像をもとに避難する。黒い煙が立ち込めたら、ハンカチを口にあてて、しっかりしゃがんで移動するなど、時間内に的確な避難行動ができないと、途中で終了してしまう。危機を乗り越え、無事に安全な場所にたどり着くと、点数が表示される仕組みになっている。理経は今回、しんきんカードの要望に応え、難易度の違う四コースを用意。参加者が難易度を選べるようにした。
こうした準備を経て実施した避難訓練。松崎部長をはじめとする担当チームの思惑通り、全社員が避難訓練に参加した。
「避難訓練に全社員が参加することは、これまでなかった。多くがVR未経験者だったからかもしれないが、参加したことによる効果は大きい。煙の色によって危険度が違うということはなかなか体験できないし、しゃがみながら逃げることの難しさも、多くの参加者は知らなかった」と、松崎部長はVRによって社員の災害に対する意識が確実に上がったと実感している。また、矢内課長は「従来は決まった時間に廊下や階段に集合していたが、VRであれば時間や場所を選ばない。階段で転ぶといったケガの心配も不要」とメリットを感じている。参加者のアンケートによると、約87%がVRを活用した避難訓練を有効だと評価したという。
VRの効果を実感したしんきんカードは、今後の展開として、大地震や水害など、別のシチュエーションにおける訓練での活用を期待している。「緊急地震速報やJアラートを受信したら、どのような行動をとるべきかなど、VRで訓練しておきたいことは多い」と、松崎部長はVRによる避難訓練を横展開したいと考えている。(畔上文昭)