セミの抜け殻と夏の思い出

【根津発】7月30日、朝、眠そうに目をこすりながら出かけた家人が、ラジオ体操を終えて帰ってきました。溌剌としています。「2歳くらいの子どもも一緒に体操してたよ」と楽しげです。夏休みの根津神社は子どもたちで一杯になり、常連の「超年長組」の人たちの顔も輝いている。こうした光景が全国津々浦々で見られるのかと考えれば、ラジオ体操の息の長さも相当なものです。超年長組の新入生になった私も、子どもの頃の夏の朝には、神社の境内で今と同じ曲で体操をしていました。

▼今も昔も変わらない光景ですが、この頃はセミの声が少ないような気がします。セミが抜け出てきた地面の穴の数も少ないし、茶色の脱け殻もあまり見当たらない。そうはいってもセミの抜け殻は昔もありそうでないので、見つけると、トクをしたような気分になっていました。抜け殻をいくつも見つけては、その形に合わせ並べてセミの王国をつくって遊んだのは昔々のこと。

▼つい最近、山道を歩いていて、シダの葉の裏にくっついたままのセミの抜け殻を見つけて、同じようにトクをした気分になり、写メをしました。セミの声が減ったのは全国的な傾向ではなくて都内だけではないでしょうか。山笠を見に出向いた博多駅から伸びる大博通りのケヤキ並木では、うるさいほどの鳴き声でした。きっと今日もセミしぐれ状態だと思います。もっと身近なところでは、一日中耳の奥でセミが鳴いていることもあります。いやいや、これは年齢からくる耳鳴りですね。

▼明日、7月31日は午前中に三浦雄一郎さんとの対談があります。どんなオーラの持ち主なのか楽しみです。取材の場所は千駄ヶ谷のミウラ・ドルフィンズのオフィスです。住所をマップで調べたら、なんと、つい先ごろ『週刊BCN』の「ものづくりの環」で紹介したばかりの、“流木バイオリン”を創作した中澤宗幸さんの事務所と目と鼻の先の場所なのです。世界で唯一つの夢をもって生きている人に直接会って、貴重なお話を聞けるのはとても贅沢なことです。メディアの仕事冥利に尽きます。

2013年7月30日記



感激! 三浦雄一郎さんのオーラに触れた

【千駄ヶ谷発】7月31日、午前中に千駄ヶ谷にあるミウラ・ドルフィンズのビルで三浦雄一郎さんにお会いして、『ものづくりの環』の対談を行いました。身長163cm、体重82.9kg。小柄ですが胸板の厚い威風堂々とした方です。長机を2台くっつけて、三浦さんと私は130cmほど離れて向かい合った。何とも素敵なオーラで、やさしく包み込まれるように感じました。80歳と64歳の対談だから、「じじい対談」の見出しが立つかもしれません。ただし、三浦さんは片脚に3kgの重しをつけ、私も20年ほど前から1kgの同じものを足首につけていますから、「若じじい対談」かもしれませんね。

▼これまで、IT業界を中心に多くの方と対談してきましたが、私が山好きなことから8848mのエベレスト・サミッター3氏の登山家と対談しました。山田淳さん、竹内洋岳さん、三浦雄一郎さんです。皆さん、明確な意志に基づいた自分の活動を淡々と語って、「山に登っただけ」と、お気楽におっしゃる。対談当時の年齢は、山田さん23歳、竹内さん42歳、三浦さんはご存じのように80歳。つい先日、国連で堂々と女子教育の必要性を訴えたパキスタンの少女、マララ・ユスフザイさんは16歳。生き方を覚悟するという“人生のつかみ”に年齢は関係ないようですね。

▼エベレストの頂上を目指す登山史は1893年に始まり、60年後の1953年にテンジン・ノルゲイとともにエドモンド・ヒラリーが登頂に成功。その60年後に80歳の登頂成功へと続く。「いつの日か90歳の登山家が頂上を踏むでしょう」と三浦さんはいう。記録は一つずつ積まれていくんですよ、と言葉を続ける姿が美しかった。

▼三浦さんに「夢をもつのが大切ですね」と、言葉を投げたら、「そうですね、“目標”をもつことですね」とさりげないご指導をいただきました。この対談は少し先の『週刊BCN』に掲載します。今回は対談当日の様子を速報としてお届けします。『週刊BCN』への掲載にご期待ください。
(BCN会長・奥田喜久男)

2013年7月31日記


三浦さんが1970年にエベレストを滑降した時の装備

「ものづくりの環」の対談で写真撮影を行う編集のクルー