1995年、米ニューヨークに忽然と現れ、97年ごろには世界的に著名な地区となったシリコンアレー。多くのITベンチャーが名を連ね、我が世の春を謳歌した。しかし、その後のITバブルの崩壊と長引く米国の経済不況、そして01年、同時多発テロ事件の打撃により、成長は一気にストップ。現在のシリコンアレーにかつての勢いはなく、そこに集まる企業や人材も大きく様変わりした。絶頂の時代から約5年を経て、シリコンアレーとは何だったのかを改めて検証する。(米ニューヨーク発)(田中秀憲(ジャーナリスト)●取材/文)
■失速した再開発事業
シリコンアレーとは、1995年より実施された、ニューヨークのロワーマンハッタンエリアの再開発構想により作られた名前で、同地区にあるニューヨーク情報技術センター(NYITC)ビルを中心とする地域の呼称である。“東海岸のシリコンバレー”を目指してこの名が付けられ、IT分野に特化した再開発事業が行われた。
同地区にはすでに金融機関や情報産業関連企業が集まっていたことから、資金/情報/人材などの確保が容易と考えられ、さらにはマスコミ、ソーホー地区のアーティストたちをも巻き込み、官・学・民の協力による成長が期待されていた。
再開発事業以前は、同地区の商業ビルの空室率は90%以上と荒廃状態だった。ところが99年にはIT関連企業だけで15万社が集まり、25万人もの雇用を生み出した。ITベンチャーもITバブルと共に急成長したが、00年頃より米国経済の低迷などが重なり急激に失速。現在はかつての勢いはなく、街には失業者も多い。

シリコンアレー構想の最大の問題点は、再開発事業が行政主導であったことだ。もちろんその失速には経済不況や01年の同時多発テロ事件などが大きく影響している。しかし、数多くの倒産劇は、実質的な経営基盤をもたないまま起業し、具体的な利益構造を構築する前に破綻したというにすぎない。シリコンバレーの成功例のみに注目し、その形だけを模倣したための衰退と言って良い。
かつてシリコンアレーには、有名な新進ITベンチャーがいくつも名を連ねていた。現在も経営を継続しているところもなくはないが、やはりそのほとんどは消え去っている。
■経営陣の資質が問題だった
もっとも、企業破綻情報専門のバンクラプシー・データ・コムによると、01年下半期からはIT関連の破綻は急激に減少しているという。また米労働省によれば、同年初頭からIT関連の雇用は再び増え始め、新たな起業も少なくないという。従って、シリコンアレーの企業衰退の原因は、不安定でいい加減な経営を行ってきた各企業の経営陣にあったと言える。
98年当時からすでに、従業員に対する福利厚生などに問題をもつ企業が多かった。それらのなかには、事業意欲よりも金銭欲や名声欲から起業したケースも多く、派手なパーティや高い賃貸料を必要とするエリアへの移転などを繰り返し、金融街のエリート達と収入を競うことだけが目的であるかのようだった。
またシリコンアレーの成長を抑制していたものの1つに、ニューヨーク独自の風土も影響している。東海岸では、個人の経歴や事業規模などが重要視され、能力や実績だけで評価を得ることができる西海岸の自由闊達な空気とは大きく違っていた。
勤務先が倒産し、職探しを続けるウェブ・デザイナーのグレッグ・カノン氏。その名刺にはフリーランスと記載している。「もし職を失ったなんて言ったら、本当にもう2度と就職できなくなるよ」と、体面を気にするニューヨークの地域性を表している。
■再生の兆しも
回復基調に戻りつつある米国経済とともに、シリコンアレーにもようやく再生の兆しが見えてきている。だが今後は、野心溢れるベンチャーではなく、大手企業が中心となるだろう。IBMは利益を出し続けており、AOLタイム・ワーナーは経営陣の刷新を始めた。ダブルクリックやアイ・ビレッジは、経営母体を変えながらも事業を継続しているし、ブルームバーグの創業者でもある現市長は、自身の経験を元に、各種の施策を推し進める。かつてシリコンアレーの成長を支援したニューヨークニューメディア協会(NYNMA)やニューヨークソフトウェア協会(NYSIA)と言った非営利団体は、現在でも精力的に活動中だ。アップルコンピュータはシリコンアレーの中心地でもあるソーホー地区に直営店をオープンした。
現在では、シリコンアレーの衰退は、ITバブルに踊らされた企業が淘汰されたに過ぎないと見る関係者もいる。多くの会社が消え、確固たる意志をもち、真の実力をもつ企業だけが残った。今後は本来の意味でのビジネスが盛んになっていくだろう。