オフィス用品通販のアスクルは、リッチインターネットアプリケーション(RIA)技術を採用した新しいユーザーインタフェース(UI)を開発した。3月にベータ版を完成させ、今夏にも正式版の配布を始める予定だ。基盤部分に採用したアドビシステムズのRIA実行環境「AIR(エアー、Adobe Integrated Runtime)」を使っての商用事例は国内で初めて。このため参考にできるRIAの構築事例が極めて少なく、開発に当たっては試行錯誤の連続だった。(安藤章司●取材/文)
アドビAIRで国内初の商用事例
今夏をめどに正式版リリースを予定
■“リッチ”に出会い、これだ!
アスクルのネットビジネス戦略を担当する小野俊克・e-ビジネスe-エクスペリエンス・デザイン部長は悩んでいた。
オフィス用品の通販ビジネスで国内約200万事業所と取引実績をもつまでに成長。今年度(2008年5月期)連結売上高は前年度比10%増の1900億円余りを見込む。この規模になると事業所ベースでのシェア拡大に加えて、1事業所あたりのユーザー数をどう増やすかという、よりレベルの高い課題が浮き彫りになってくる。
アスクル直接の利用者の中心はオフィス用品を発注する購買担当者。一般社員はアスクルの名前は知っていても、実際の発注は往々にして担当者任せになる。1事業所あたりのユーザーを増やすには、購買に精通していなくても気軽に使えるユーザーインタフェース(UI)が欠かせない。現行のHTML中心のUIで、この壁を乗り越えるのは困難である。小野部長の悩みの種は、ここに潜んでいるのだ。
少しでもヒントになりそうなイベントには自ら足を運んだ。その1つに、昨年夏に開催されたアドビのRIA実行環境「AIR」を活用したデモンストレーションイベントがあった。ITベンダーがAIR上で動作するRIA技術を競い合っていた。ユーザー層を広げる最大のポイントは“アスクルでの買い物は楽しい”というユーザー・エクスペリエンス(体験)だと考える小野部長は、AIR上で展開される文字通りの“リッチ”なアプリケーションが織りなすUIに「これだ!」と直感した。
■仕様書なしで開発が始まる AIRのイベントで、ひときわ目を引くUIを開発したのが隈元章次・代表取締役クリエイティブディレクター率いるサイトフォーディーだった。
イベントの翌日、さっそく隈元ディレクターに電話をかけ、詳しく話を聞きに出向いた。サイトフォーディーは小さな会社だったが、単なるウェブ制作会社ではない。顧客企業のビジネスプランを実現する戦略を共につくりだす姿勢を明確にしていた。1999年の創業以来、大手企業の裏方としてビジネス戦略の策定に数多くの実績を重ねている。
小野部長がアスクルの悩みを打ち明けると、隈元ディレクターは、「じゃあ、とりあえずプロトタイプをつくりましょう。詳しくはそれからで」と、聞き込みを重ねながら完成度を高めていく手法を提案した。
プロトタイプといえども、明確な仕様書なしに開発を始めるのは異例中の異例。これまでアスクルが発注してきたシステム開発は、詳細な仕様書を固めてから開発に入るウォーターフォール方式が主流。いや、そもそも大手ベンダーを元請けにしなくてもいいのか? こんな発注の仕方で社内稟議は通るのか──、と不安が胸をよぎる。そして数か月後、できあがったプロトタイプを前に、小野部長は「強烈な驚き」を体験することになる。
昨年8月、若手有望株の部下・川村真澄さんを従えてサイトフォーディーと二人三脚のプロトタイプづくりが始まった。これまでアスクルでは、ネット通販にまつわるさまざまなシステム開発を発注してきた。その都度、開発委託先のSIerからは“仕様書は固まりましたか”と念押しされた。仕様書が固まらないうちは、開発には手を出さないという姿勢が如実に見えていた。
これに対し、サイトフォーディーは、最初のとっかかりから違っていた。何がしたいのかのヒアリングを重ね、プロトタイプを手直しする。小野部長は初期のプロトタイプを材料に担当役員を説得し、稟議を押し通した。「もしプロトタイプがなければRIAだの、AIRだの前例がほとんどないUIの稟議を通すのは至難の業だった」と、振り返る。開発を進め、レビュー(再検討)をして、不都合な部分を直して完成度を高める。アジャイル開発と呼ばれる手法だ。従来のウォーターフォール型開発の対極に位置する。
■アジャイル開発で元請けに サイトフォーディーの隈元ディレクターは、以前、大手SIerの業務改善コンサルティングを請け負ったことがある。UIの開発で、SEやプログラマが会議室に集まり、仕様書の読み上げを行っていた。とにかく間違えないようにつくることが優先されていた。「これでは顧客の期待を下回ることはあっても、上回ることはできない」(隈元ディレクター)。「読み上げるのやめませんか」と諫言した。ビジネスロジックが優先される基幹業務システムならともかく、UIの開発ではプロトタイプありきのアジャイル開発が適していると感じたからだ。
社内稟議が通った段階では、すでにプロトタイプの開発が進行した状態であり、これまで元請けしていた大手ITベンダーの入る余地はなくなっていた。サイトフォーディーの企業規模を考えると特例的ではあったが、アスクルから直接発注する流れは揺るがなかった。サイトフォーディーはこうした戦略で大企業からプライム案件を多数受注してきたのだった。
今回、アスクルが採用したアドビのAIRは、従来のHTMLベースのUIより表現力で格段に勝る。動画やアニメーションを表現する持ち前のFlash技術とHTMLを融合させたもので、国内で商用利用を決めたのはアスクルが初めて。前例がなく、試行錯誤を強いられたものの、昨年11月の段階でほぼできあがる。できあがったUIは、「アスクルデスクトップ」と名づけられた。もし、仕様書を固めてから着手していたのでは、「こう早くはできなかっただろう」(川村さん)。今年3月にはベータ版の一般公開までこぎ着けた。
アドビはAIR日本語版を早ければ6月にも完成させるとしていることから、アスクルではAIRの完成を待って正式版へ移行させる。ベータ版は提供開始1週間で1000余りのダウンロード数に達した。正式版を「心待ちにしているユーザーも多い」と手応えを感じている。