サイボウズ創業メンバーで前社長、現在はソフトメーカーLUNARRのトップを務める高須賀宣。東証1部昇格目前の2005年、突然サイボウズを去り単身渡米、米国で再び会社を起こした。サイボウズを離れた理由、米国での起業を選んだ経緯をいま、赤裸々に語る。
木村剛士●聞き手/文
大星直輝●写真「世界で戦うためにサイボウズを離れた」
サイボウズの経営に違和感
成長の限界みえてトップ退任
東証マザーズに上場して3年ほど経った頃でしょうか。サイボウズの経営、自分の仕事に違和感を感じ始めたんです。天井が見えたというか、サイボウズの商品とビジネスモデルに限界を感じてしまった。グループウェアとその関連商品の国内市場のパイがあとどれくらいあるかが見えた。海外でも成功できないと感じたことがサイボウズを離れた理由です。でも、上場会社ですから、成長戦略を描かなければ株主が納得しない。そこで、財力で企業規模を追求しようと、M&Aを成長戦略に据えました。私は社長から会長になって、資本提携や企業買収に集中しようとしていました。ただ、面白みがなかった……。
そんな頃、松下(電器産業)の先輩と話していて、LUNARRが展開するコラボレーションツールのアイデアを聞いて「これは面白い!」と。衝撃的でした。自分が設立した会社を去るのは本当に悩みましたよ。でも「チャンスを逃したくない」という気持ちが強くて決断しました。会長就任がすでに報道発表されていたにもかかわらず、就任前に辞めましたから、驚かれた人も多かったかもしれませんね。
新天地として私が米国を選んだ理由は、世界舞台で戦うためです。自分が作ったプロダクトをたくさんの人に使ってもらいたいと思うのは当然ですよね。だから、もともと世界に照準を当てていました。日本という限定的な市場だけにとどまりたくなかった。
世界に挑むため米国へ
情報コラボツールで存在感を
ソフト産業というのは、国内にいたら絶対にグローバル市場で戦えない。というのは、先行メリットがとても重要だからです。ユーザー企業はソフトを一度導入したら、他の製品に乗り換えることはまずない。買い替え需要の促進が極めて難しいんです。サイボウズがシェアを上げたのは、日本IBMやマイクロソフトなどの競合からシェアを奪ったことが成長の主要因ではありませんでした。すでに他のグループウェアを使っている大手企業の事業部門に採用されたわけです。つまり、「買い替え」ではなく「買い増し」。2番目のグループウェアとして売れたんです。ただし、その買い増しにも限界がある。
ソフト産業で、日本は欧米に比べて技術的に2年は遅れている。どんなジャンルでも、欧米のベンダーは面白い製品を日本に先行して開発し、世界で販売する。日本のベンダーは、そんな世界の動きに2年遅れて商品化。国内にそこそこの市場があるから、とりあえず日本で販売し、その後に世界を考える。その頃に世界に出ようとしてもすでに遅い。国際舞台にチャレンジできる状況ではないんです。サイボウズの頃、何度か海外進出を試みましたが、撤退した苦い経験があります。それで私は痛感したんです。
LUNARRは10億円の資金を投じて設立しました。英語は喋れないし、家族は日本に残しての単身赴任……。一人暮らしは寂しいし、生活するには日本が最適ですが、最先端技術やビジネスのアイデアが次々と出てくる米国にいる必要があった。米国市場でまず最初に商品を発売する計画でしたから、米国での起業は当然の選択でした。
LUNARRが開発したコラボレーションツール「LUNARR」は、メールと文書管理を組み合わせたソフトです。ドキュメントの「作成」「保存」「検索」「共有」という一連の流れをイライラせずに簡単に行えるんです。情報量が多ければ多いほど、この一連の作業を手がけるのは難しくなる。それを「LUNARR」は簡単にやってのけます。
成功するかどうかですか? やってみないと分からない! 3年やってダメだったら考えようと社員には言っています。ただ、今言えるのは、すごくやりがいを感じているということです。(談)
Profile
1990年に広島工業大学工学部経営工学科卒業。同年、松下電工入社。96年、社内ベンチャー制度を活用し、ヴイ・インターネットオペレーションズを設立、取締役副社長に就任。97年、サイボウズを設立し代表取締役社長兼CEO。05年、退任。06年、LUNARRをオレゴン州ポートランドに設立し社長兼CEOに就任。