地上デジタル放送(地デジ)への完全移行を前にして、パソコン業界にさしてビジネス的なメリットがないことに失望感が強まっている。地デジ(フルセグ)放送は暗号化されるため、特殊な装置を使って解読しないと映像が見られず、私的な複製も厳しく制限される。従来のアナログ放送のように、パソコンで自由に編集を楽しみ、iPodなど携帯プレーヤーへ映像を転送して視聴するパソコンユーザーの需要を満たせそうにないというのが、その理由だ。「通信と放送の融合」は実現するどころか、遠のき始めている実状に、「ユーザーを軽視しすぎではないのか?」(パソコンメーカー関係者)と疑問の声があがっている。(安藤章司●取材/文)
地上デジタル放送の怪
■オープンとクローズの相反
「地デジ」はその名の通りデジタル情報であり、本来はパソコンやインターネットと非常に相性がいい。「通信と放送の融合」によってデジタルコンテンツが増え、パソコン業界も多大な恩恵を受けると期待された時期があった。ところが、不正コピーの横行を恐れた放送・コンテンツ業界側が強く反発。パソコン業界では、「フルセグの暗号化は当初から決められた仕様であり、最初から分かっていたこと」と、半ば割り切りムードのメーカーがある一方、別のメーカー幹部は、「アナログ放送に比べて“ユーザビリティが格段に落ちます”とはユーザーに説明できない」と納得がいかないとする声も聞かれる。
フルセグに対応したテレビパソコン(テレパソ)が国産メーカーを中心にリリースされているものの、過去を振り返ってみてもテレパソが主流になったという話は聞かない。パソコンはオープンなアーキテクチャであり、放送用の国内に閉じた設計思想がパソコンユーザーのニーズと相容れない部分があるのだろう。パソコンがテレビと似た機能を積んで勝負しようとしても、所詮、本物のテレビには勝てない。
暗号化を巡っては、暗号を解く鍵の部分に相当するB-CASカードに絡み、総務省の「デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会」などからも不協和音が聞こえてくる。B-CASカードの発行を受けないと、メーカーはフルセグを視聴できる機器をつくることができない。バッファローやアイ・オー・データ機器など主要なパソコン周辺機器メーカーがB-CASカードを取得し、製品化にこぎ着けたのは今年春になってから。先行する家電メーカーより約5年遅れた。海外の家電メーカーから見てもB-CASカードによる制御は、「国内メーカーを有利にさせる」と映るが、当の国内家電メーカーは「B-CASカードを積極的に推進したわけではない」(家電メーカー)とすでに逃げ腰の姿勢だ。
■ワンセグとネットの脅威 10月下旬、ある統計数字が地デジ関係者を驚かせた。電子情報技術産業協会(JEITA)が集計した9月末までの地デジ受信機器の国内出荷統計においてワンセグ受信機器の累計出荷台数がフルセグを超えたのだ。フルセグチューナーの出荷台数が累計4103万台に対し、ワンセグは携帯電話だけで同4146万台に達した。パソコンのUSB端子に小型チューナーを差し込んで簡単に視聴できることから、USB型のワンセグチューナーも累計120万台ほど出荷されたと見られる。簡易な仕組みで見ることができるワンセグは従来のアナログ放送よりも解像度が低いにもかかわらず、敷居の低さが普及を後押ししたわけだ。IT関連メーカーはワンセグに対する需要の大きさを踏まえ、より高精細な映像を伝送できる技術開発に力を入れる動きも見られる。
テレビが映像メディアを独占していた時代はもう終わった。ネットの特性を生かしたCGM(ユーザー参加型メディア)型の映像メディアが勢力を伸ばすなど、一方通行の放送では太刀打ちできない領域も広がる。ネットを使ったビデオ・オン・デマンド(VOD)も一部で始まるが、ネット本来の特性を十分に生かしたモデルとは言い難い。若年層を中心に、自ら参加できるCGM型のコンテンツ視聴により多くの時間を割く傾向が強まるのは避けられないだろう。
放送を暗号化してユーザーの選別や囲い込みに熱心なのは、世界的に見ても希有なケースだ。そもそもの地デジの出発点が総務省の電波政策であり、ユーザーニーズを反映したものではないことは皆が承知している。だからといって、「放送と通信の融合」を、絵に描いた餅で終わらせていいのか? パソコンや家電業界、放送業界、コンテンツ業界がともに連携して、世界をリードするビジネスモデルを創り出してこそ地デジの真の有効活用につながるはずだ。