サンフランシスコ市内のソーマ(South of Market)と呼ばれる地域で増え続けるスタートアップ企業が、シリコンバレーも含むベイエリア全体に好景気をもたらした要因の一つとなっている。シリコンバレーの浮沈をみてきた人たちは、このトレンドをどのようにとらえているのか。ベイエリアで働く日本人に聞いた。(取材・文/畔上文昭)
<(上)編はこちらから> 40代から50代で起業したほうが成功しやすい
――MIT/Stanford Venture Lab(VLAB) Chair Emeritus 節田安伊子 氏
南米育ちで、米国の大学を出た節田安伊子氏は、シリコンバレーでの起業の状況を次のようにコメントする。「例えば、MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生は技術に入れ込んでしまいがちで、事業にするところまでは考えない。その埋もれた技術と、スタートアップの経験者を結びつけることができれば、新たなビジネスが生まれる。そもそもシリコンバレーでは、10社のうち生き残るのは1社あるかどうか。MITの学生にかぎらず、若い人はたくさんのアイデアをもっているが、それを生かすのは簡単ではない」。
ところが2000年4月、シリコンバレーの景気は急激に冷え込んだ。いわゆるドットコムバブルの崩壊である。大手企業が数千人規模のリストラを実施するといった影響により、道路を走る自動車が減って通勤渋滞が緩和され、ランチタイムのレストランには空席が目立つようになった。
その翌年、シリコンバレーの景気回復を支えるべく、節田氏はMIT/Stanford Venture Lab(VLAB)というスタートアップ企業の支援団体に参画。主な活動としては、スタンフォード大学などで開催する大規模なイベントを月に1回、小規模なものを複数回開催している。
節田氏はまた、これまでの経験から「40代から50代で起業したほうが成功しやすい」と考えている。アイデアだけでは成功しない。VLABでも、アイデアをもつ若者と40代や50代の起業家とのネットワーク形成にも尽力しているという。
「シリコンバレーは、よくも悪くも“村”だということ。大切なのはネットワーク。ここではだれもが転職を経験するが、人脈というネットワークがあってこその話。人脈がなければ、それも簡単ではない」
学生が抱く「何かをつくりたい」という強い思い
――Marin Software プロダクト開発部 シニアリリースマネージャー 三上彩子 氏
シリコンバレーからは、日本や日本市場はどのようにみえているのか。中国やインドから多くの留学生を迎えていることもあって、日本の立ち位置は気になるところだ。
「経済大国としての印象は今でも強く、重要な市場であることは間違いない。ただ、昔も今も、言語の問題であったり、きめ細やかなサービスが求められたりするという難しさがある。日本市場に乗り込むにあたっては、オフィスを構えるのか、パートナーをみつけるのかという判断も重要になる」
米国の大学でデザインを学んだ三上彩子氏は、卒業後にサンフランシスコの広告代理店に就職してキャリアをスタートさせた。IT業界とのかかわりは2002年から。当初は広告関連のサービスに携わっていたが、会社が急拡大するなかで東京オフィスの立ち上げなども経験した。現在は、オンライン広告管理プラットフォームを提供するMarin Softwareでプロダクトのリリース業務を担当しており、およそ100人の社員を管理する立場にある。Marin Softwareでも昨年、東京オフィスの立ち上げをサポートした。
急成長する企業をみてきた三上氏は、その原動力を次のように考えている。「シリコンバレーの強みは、世界中から才能とやる気のある人が集まってくること。カリフォルニア大学バークレー校やスタンフォード大学は、優秀な留学生を積極的に受け入れている。彼らには何かをつくりたいという強い思いがあり、それを実現するための、例えばスタートアップ企業を始めるための環境も整っている。やる気と才能があれば、なんでも実現できる」。それがまた新たな人材を引き寄せている。
四半期で業績を判断する会社は成長しない
――Salesforce.com シニアローカリゼーションマネジャー ジェイコブス久美子 氏
リーマン・ショックが起きた2008年、Yahoo!も経営難にあえいでいた。短期で働くことになったジェイコブス久美子氏は、これが本当にシリコンバレーの企業かと思うほどの閉塞感に驚いたという。その後、CEOが交代するなどして業績を持ち直したことで、今のYahoo! の雰囲気はだいぶ変わったといわれるが、「多くの社員が必要最低限の仕事をこなすだけの組織になっていた」とジェイコブス氏は当時を振り返る。
Salesforce.comに転職したのは2010年。ここでもローカリゼーションを担当しており、扱う言語は30を超える。日本語はそのなかの一つに過ぎない。ジェイコブス氏がSalesforce.comへの転職で心配したのは、エンタープライズ向けサービスを展開する企業だということ。お堅い雰囲気の職場をイメージしたが、それは杞憂に終わった。
「決められたやるべき仕事はあるが、自由もある。アイデアがあれば、部門の垣根を越えた取り組みができる。シリコンバレーのいいところは、『誰もやっていないのなら、やってみなさい』という雰囲気にある。だから働きやすい」
現在は好調にみえるシリコンバレーの各社だが、なかには業績不振に悩む企業も当然ある。その違いはどこにあるのか。
「業績を四半期のような短期間でみる会社は伸びない。長期かつ大きな視野で判断する会社が成長を続けている」
アイデアをもち、成功を夢みる人が集まるシリコンバレー。今は目立っていなくても、世界を変えたいと考えている人ばかり。「失敗が勲章になる文化。誰もあきらめない。すごい失敗をしても、恥ずかしがらない」。起き上がり小法師のような伝統がシリコンバレーの強さである。
コンシューマからエンタープライズへ 数年後に期待
――Yammer Sr. Strategic Account Manager、Japan Lead 松原晶子 氏
「エンタープライズはカッコ悪い」。ベイエリアの若い起業家やエンジニアがもつイメージである。
サンフランシスコ市内のソーマ(South of Market)と呼ばれる地域には、成功を夢みる若者が集まっている。シリコンバレーに点在する伝統的なIT企業や大手IT企業とは一線を画すかのごとく、である。
ソーマの近くにオフィスを構えるYammer(昨年7月にマイクロソフトに買収された)で働く松原晶子氏は、このトレンドを実感している。ただ、「今は雨後のタケノコばかり。成長するのを待っている状態」。スマートフォン向けアプリのような小規模サービスを提供するスタートアップ企業がほとんどで、現時点では小粒感が否めない。ベイエリアの好景気を支えているスタートアップ企業の勢いが、日本に伝わってこないのはそのためだ。
一方、カッコ悪いとされるエンタープライズ分野には、別の見方もある。「ソーシャルメディアは、大きな波となっている。ただ、コンシューマ分野はマネタイズ(収益化)が難しいので、エンタープライズのソーシャルメディアを展開している企業を選んだ」と、松原氏はYammerへの転職理由を語る。この選択には、IT分野の「コンシューマからエンタープライズへ」という流れも影響している。「コンシューマ向けのサービスは、新たなマーケットを開拓するという挑戦になる。そこは魅力だが、リスクも大きい。コンシューマの流れを受けて、エンタープライズ市場で勝負するスタートアップ企業は成功する可能性が高いのではないか」。
そうなれば、人材もコンシューマからエンタープライズへと流れていく。数年後のエンタープライズ市場に期待したい。
【“San”eye 在米ジャーナリストが伝える現地の最新状況】
「格差問題」の象徴となった巨大な通勤バス
プロフィール
瀧口 範子(たきぐち のりこ)
シリコンバレー在住のジャーナリスト、編集者。テクノロジー、ビジネス、建築などの分野で執筆活動を行っている。著書に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか? 世界一IQが高い町の「壁なし」思考習慣』(プレジデント社刊)、『行動主義:レム・コールハース ドキュメント』(TOTO出版刊)などがある。
10年前と現在のシリコンバレーを比べて何が大きく変化したのか。それはテクノロジー企業の集積にシリコンバレーとサンフランシスコの二つの中心ができたということだろう。
シリコンバレーはサンフランシスコ空港から以南、サンノゼまでの地域を指す呼称。対してサンフランシスコ市内は空港から北。ここは金融やホテル業などオールドマネーによってつくられた街で、シリコンバレーとは別文化だと思われてきた。
それがここ5年ほどの間、コンシューマ向けのネットビジネスの隆盛によってすっかり変わってしまった。Twitter、Airbnb(自宅をホテルのように貸し出すための仲介サービス)、Uber(個人タクシーを呼ぶサービス)といった新興のネット企業が、サンフランシスコで起業して人気を博している。
ネットビジネスは、ヒップ(今風な感じ)で、スタイルやマーケティングといったことに注力する。郊外のシリコンバレーよりも都市のサンフランシスコのほうが親和性が高いというわけだ。
だが、ちょっとした社会問題も起こっている。サンフランシスコの住宅費の値上がりである。ネットビジネスで仕事をする若者が集まり、それがシリコンバレーの企業で働く若手社員も呼び寄せている。代わりに、高騰する家賃に耐えられない従来からの住民が追い出されている。
シリコンバレーのテクノロジー企業は、朝と夕方にサンフランシスコとシリコンバレーを結ぶ巨大な通勤バスを何台も走らせているが、それに反感を抱く従来からの住民もいる。最近ではバスの模型をたたきつぶす小規模なデモが起きるなど、サンフランシスコの新たな「格差問題」の象徴になりつつある。旺盛なテクノロジー産業の勢いは歓迎だが、従来の社会のエコシステムが急速に塗り替えられようとしていることには、危惧を感じずにはいられない。