この2年ほど、ベイエリア(サンフランシスコとシリコンバレー)で働く若い日本人が増えてきているという。日本経済の停滞やグローバル化の進展が背景にあると思われるが、ベイエリアが好景気に沸いていることも無視できない。それだけチャンスがあるということだが、実際はどうなのか。ベイエリアで働く日本人に聞いた。(取材・文/畔上文昭)
ドクターコースが起業の種になっている
――Tazan International 社長 平 強 氏
半導体関連の日本企業で働いていた平氏が米国に赴任したのは1972年。以来、米国に在住している。現在は個人投資家としてスタートアップ企業を支援しており、そのキャリアは16年ほどになる。過去の投資案件には、スタンフォード大学の学生が開発した検索エンジンの会社をAmazonが買収するといった成功例がある。
投資家の視点でも、今はスタートアップ企業が増えて現地のレストランが混むなど、景気がよくなっていることを実感しているという。ただし、平氏の投資案件は意外にも増えていない。「私の場合は技術系を中心に投資してきているが、今はなかなか案件がない。最近のスタートアップ企業に多いのは、ビジネスモデルで簡単にというもの。そこは得意な分野ではないから、投資はしない」。とはいえ、FacebookやTwitterといったソーシャルメディアについては「一つのビジネスモデルとして成功を収めている」と評価しており、ソーシャルメディア関連のスタートアップ企業には注目しているという。
またスタートアップ企業が増え続ける背景として、「スタンフォード大学などのドクターコースが起業の種になって、若手のアイデアが次々と出てきている。シリコンバレーを支える原動力がそこにある」と平氏は考えている。そのスタンフォード大学には日本の留学生が少なく、シリコンバレーで活躍する日本人が少ない要因になっているとも指摘している。ちなみに平氏によると、スタンフォード大学には、スタートアップ支援の予算が年間で4000億~5000億円あるとのこと。スタートアップのエコシステムに大学が加わっているのも、シリコンバレーの魅力の一つだ。
チャレンジ精神を生かす環境が整っている
――Twitter 藤井慶太 氏
Twitterのエンジニアである藤井氏は、米国の大学を卒業してベイエリアで社会人としてのスタートを切った。米国に渡った理由について「米国に留学した際、実践的な授業に感銘を受けた。今後、IT分野に関わっていくのであれば、米国の大学に行くべきだと考えて渡米した」という。Twitterのエンジニアは基本的に米国本社勤務であり、2011年に転職してきた藤井氏は二人目の日本人エンジニアだった。これまで日本語のハッシュタグやPC画面の左側に表示される「トレンド」の表示機能などを担当してきている。
ベイエリアで働くことの魅力について、「チャレンジ精神を生かすための環境が整っている」と藤井氏。それを支えているものの一つが「オープンソース化」だという。例えば、TwitterでFacebookのオープンソースを使うことがあれば、その逆もある。制作したソースは公開し、差異化はサービスとインフラで行えばいいという考え方だ。オープンソースを有効活用して開発スピードを上げることができれば、エンジニアは新たなチャレンジに力を入れやすい。
Twitterでは、「早ければ、書いたコードが翌日にはリリースされている」とのこと。インターネット上のサービスなので、ユーザーのフィードバックも速い。「日本語のハッシュタグを出したときは予想以上の反響があって、エンジニアとしてやりがいを実感した」という。
オープンソース化はエンジニアの転職市場も支えている。「オープンソースであれば、転職先でも使うことができる」と藤井氏。即戦力になりやすいというわけだ。それゆえ、エンジニアは積極的にオープンソースを活用するというエコシステムが形成されている。
仕事をしている間はベイエリアにいたい
――フリーエンジニア 上田 学 氏
ドットコムブームのころにベイエリアで働き始めた上田氏。GoogleやTwitterなどでエンジニアとして活躍し、今年8月にフリーとなった。旅行の計画サービスを提供するウェブサイトを構築するなど、1年間はやりたいことをやりながら、次を考える予定だという。
「仕事をしている間は、ベイエリアにいたい」と上田氏。エンジニアにとっての環境がすぐれているというのが、その理由だ。例えば、「Google時代の同僚がいろいろなところに散らばっていて、起業する人も多いので、仕事をみつけやすい」という。ベイエリアでは人脈が重要。そのため、起業するにしても、まずは大手企業で働いて、人脈や実績をつくるというのがお定まりのコースである。
米国から発信するサービスは、世界を相手にすることが多いのもエンジニアにとっては魅力だ。「日本から世界に打って出るのは簡単ではない。同じスタートアップ企業でも、その違いは大きい。世界で使われているサービスに関わりたいなら、必然的にベイエリアということになる」。
上田氏がフリーになった背景には、スタートアップ企業の急増が挙げられる。「ウェブ2.0がブームになった頃よりも過熱している」と上田氏。この影響でエンジニアがまったく足りていないので、彼らの給料が上がっているという。エンジニアは仕事を選びやすい環境にあるわけだ。ただし上田氏は、「大手IT企業には興味がない」という。「大手はなかなか身動きが取れない。スマートフォンのアプリにしても、大手はオマケでつくっている程度。アプリを中心に取り組んでいるスタートアップ企業の領域には入り込めない」。スタートアップ企業が有利な状況にあると上田氏は考えている。
やるべきことをやるだけでは厳しい
――Oracle Principal Member of Technical Staff 林 秀明氏
新卒で日本オラクルに就職した林氏。当初から海外志向だった。学生時代に海外インターンに応募するも、学科に適したインターン先がみつからない。その時のインターン先にはソフトウェア系が多く、海外で働くなら米国に本社があるソフトウェア企業に就職することが近道だと考えた。
そこで選んだのがシリコンバレーに米国本社がある日本オラクル。ただし、米国本社で働くためのパスが用意されているわけもなく、気がついたら4年の月日が経つことになった。
「何回か海外出張の機会があり、そこでチャンスをうかがうしかなかった。たまたま海外出張で一緒になった仲間が、新しいチームを立ち上げるにあたって人を探していると社内のウェブでみつけたので、それに飛びついた」。シリコンバレーに行ったのは2001年。日本オラクルに籍はなく、Oracleのエンジニアとして、現在はソフトウェアロードバランサの「Oracle Traffic Director」を開発している。
シリコンバレーで働くことの魅力について、林氏は「働く時間が自由。家でやってもいい。頭を使って効率的にやるので、成果が出やすい。一方で、いつ解雇されてもおかしくないという事実がある。だから、私たちはプロフェッショナルであることを心がけなければならない。ただ、解雇された人の多くは結果的に成功している。シリコンバレーには、そういうチャンスがある」と感じている。そして、シリコンバレーで生き抜くために必要なアドバイスとして、林氏が挙げるのが、「ミーティングで存在感を示す」ということ。やるべきことをやるのは当然であり、それだけでは評価されないのが、シリコンバレー流ということだ。
世界に打って出るノウハウとシステムがある
――zLibro CEO 中野浩司氏
本を電子化する「1DollarScan」というサービスをシリコンバレーで立ち上げた中野氏。いわゆる自炊代行である。日本では訴訟問題になるなど、何かと物議をかもしているビジネスモデルだが、それを米国に持ち込んだ。起業は2011年3月3日で、その年の8月にサービスを開始している。
中野氏がシリコンバレーを目指したきっかけは、大手SIベンダー時代の米国駐在経験にある。「シリコンバレーにはエコシステムがある。スタートアップ企業がたくさんあって、投資家がいて、成功例があって、学校があって、法整備がされている。そして、人のネットワークがある」。シリコンバレーの魅力に惹かれ、ここでビジネスをやりたい、挑戦したいとの思いを強くした。
「米国で自炊代行のビジネスを始めたのは、どこもやっていなかったから」と中野氏。米国では電子書籍が普及しているイメージだが、現状では発行されている書籍の5%以下にとどまっている。実はまだ紙の書籍が大半を占めているというわけだ。中野氏は、チャンスは十分にあると考えた。
同社のサービスは日本発のビジネスモデルだが、シリコンバレーで起業したことにより、世界中から注文が来ているという。日本でもインターネット上のサービスなら同じでは、と思えるが、「世界に打って出ようと思ったら、ノウハウとシステムがあるシリコンバレーに限る」と中野氏は現地で起業することのメリットを語る。
ちなみに中野氏は、いつまでも自炊代行ビジネスが成り立つとは考えてない。電子書籍が普及するのは時間の問題だからだ。いずれは新たなビジネスを始めたいとしているが、シリコンバレーでビジネスをという志はぶれていない。