中国は、対日オフショア開発とBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)の主要発注先としての役割を長らく担ってきた。しかし、最近では急激な円安元高が進行し、人件費も高騰。対日アウトソーシングのビジネス環境は日に増して厳しくなり、従来の単純なコストメリットを狙うビジネスモデルでは、もはや生き残ることができなくなりつつある。中国のなかでも、とりわけ対日アウトソーシングの中心地域として隆盛を極めた大連。現地のIT企業は、この市場環境の変化にどう立ち向かっているのか。(取材・文/真鍋武)
大連アウトソーシングに二つの逆風 人件費高騰と円安元高が進行
●黒田バズーカの思わぬ弊害
10月31日、オフショア開発やBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)を手がけるIT企業の間で激震が走った。黒田東彦総裁率いる日本銀行が、追加の金融緩和を決定したことを受けて、為替レートの円安傾向に拍車がかかったのだ。中国の対日アウトソーシング企業からは、「これ以上の円安が進めば、利益のねん出は困難になる」と悲鳴が聞こえてきた。
11月に入ってからも、円安元高が止まらない。本稿を執筆している11月25日時点で、為替レートは1元あたり約19.2円。過去10年間で最も元高となった。ちょうど2年前の11月25日は1元あたり13.2円だったので、この2年間で45%の上昇率で元高が進行したことになる。
中国で対日アウトソーシングビジネスを手がけるIT企業は、発注元の日本企業と、円ベースで契約を交わしているケースが多い。円安元高になればなるほど、為替差損を受けることになる。単純に考えれば、円で2年前と同じ金額の契約を結んだとしても、元換算では45%ロスしていることになる。
さらに、中国国内では、年率10%の勢いで人件費が高騰している。現地でアウトソーシングビジネスを手がけるIT企業のコスト負担は甚大だ。従来通りでは利益の捻出が難しい。対日アウトソーシングを手がけるIT企業は、今まさに岐路に立たされている。
では、この特集で取り上げる大連の状況はどうか。調査会社の矢野経済研究所によると、オフショア開発やBPOなど、対日オフショアサービスの2012年度の市場規模は、1351億5300万円。構成比では、中国が約80%を占めている。その中国で、対日アウトソーシングの中心地域として発展してきたのが、遼寧省の大連だ。安い人件費に加え、豊富な日本語人材、日本と地理的に近い好立地、政府やソフトウェアパークの優遇策を背景に発展してきたことは、もはや改めて説明するまでもないだろう。
とくに2009年から12年にかけては、リーマン・ショック後の急激な円高によって、中国へのアウトソーシングが従来よりも割安となったことから、大連は活況を呈した。2012年の大連市のソフトウェア・情報サービス産業の総売上高は、前年比45.4%増の1026億元。年率30%といわれる中国IT市場の成長率を大きく上回っている。対日オフショア開発などのソフトウェア輸出額でみても、2012年は前年比25.9%増の34億ドルと高水準であった。
しかし、この統計(上掲の表)は2012年のもの。円安元高が急激に進行し始めたのは、日本で安倍晋三政権が誕生した2012年末以降だ。ここ2年間で、市場環境は激変している。
●忍び寄る不景気の影

大連軟件園
石琪
業務解決方案
大連中心
総経理
大連のなかでも、とりわけIT企業が集積しているのが、大連軟件園(DLSP)だ。DLSPの入居企業数は、現在およそ300社。このうち中国ローカル系が4割、日系が2割8分、残りをその他外資系が占めている。資本構成はさまざまだが、300社のうち8割は、対日業務を手がけている。
DLSPの石琪・業務解決方案大連中心総経理は、「2013年からは、円安や日中間の政治摩擦の影響で、新たに入居する企業が減っている」と現状を明らかにする。DLSPは現在、約100万m2の敷地を擁していて、企業の入居率は92%。これまでは、年平均で約60社が新規入居していたが、2014年には視察に来る企業が激減した。「両手で数えられるほどしか視察の依頼がきていない」(DLSPの関係者)という声もある。

大連軟件園は、敷地面積をさらに拡大する

大連軟件園が新たに建設中の第二期ビル群
DLSPに入居する企業からも、あまり景気のいい話は出てこない。フルノシステムズの関連会社である孚諾科技(大連)の方敏董事長は、「規模の小さなIT企業では、アウトソーシング事業から撤退しているケースも少なくない」としているほか、約1000人の人員を抱え、BPOを手がける中軟国際科技服務(大連)の白宇鵬・日韓業務線企画営業部部長は、「ローカル企業でアウトソーシングを展開しているところは、どこも厳しい」、約550人の従業員を抱えるオフショア開発会社、大連遠東数碼(YDD)の祁鵬生・第三事業本部本部長第二事業本部担当本部長は、「これまでは、何もしなくても案件の注文が入って利益を出すことができていたので、あぐらをかいていた。しかし、コスト負担が急激に大きくなって、いよいよ対策を打たなければ、生き残ることが難しくなってきた」と現状を語る。
●大規模事業者では拡大も
逆風が吹いているとはいえ、大連の対日アウトソーシング業界全体が低迷しているわけではない。DLSPの石・業務解決方案大連中心総経理は、「新たな入居が減っているのは、IT企業が投資を様子見しているからだ。一方で、すでに入居済みの企業のなかでは、大規模な人員を抱える欧米系企業を中心に、活発に規模を拡大している」と説明する。コスト負担の増大や日中の政治摩擦を日本企業はリスクが大きいとみて、大連に拠点を構えることを控えている。代わりに現地のIT企業が、アウトソーシング先として開発拠点の役割を担っているというのだ。
そのため、石・業務解決方案大連中心総経理は、「今後の見通しは、どちらかといえば楽観的にみている」という。コスト増大という足かせはあるものの、全体としてみれば、大連における対日アウトソーシング案件は堅調だ。DLSPでは、需要は衰えていないとみて、新たに第二期のビルを建設したり、クラウドなどの先端技術の研究を支援するイノベーションセンターなどの新たな施設の整備を進めたりしている。
●とって代わる存在はなし
なぜ、大連アウトソーシングに対する需要が堅調なのか。その理由の一つは、対日アウトソーシングの市場そのものが伸びていることだ。矢野経済研究所は、2012年度~17年度の対日オフショアサービス市場の年平均成長率を2.9%と予測している。日本国内でのソフト開発は、社会保障・税番号制度の対応や、金融機関などの大規模システムの刷新案件、東京五輪に向けたシステム構築の特需などで、人手不足。日本のエンジニアの賃金も上昇傾向にある。BPOに関しても、外部の安い人材で人的リソースを賄おうとするユーザーの動きは衰えていない。
二つ目の理由は、対日アウトソーシングの発注先として、近年注目されているベトナムやフィリピンなどの新興国が、大連にとって代わる存在ではないこと。確かに人件費は中国よりも安いし、「情報漏えいを考えれば、中国へ発注することは危険だ」というチャイナリスクの観点から、中国への発注を避けようとする動きがないわけではない。だが、これまで中国のアウトソーシング企業が培ってきた技術力やノウハウは、新興国が簡単に身につけることができるものではない。また、IT人材の数も、中国と新興国では雲泥の差がある。さらに、日本語を話す人材が新興国で増えているといっても、漢字を習得しているレベルの人材はそう多くない。こうした事情を踏まえれば、新興のアウトソーシング有望国が、現在の中国のレベルに到達するには、相当な時間がかかる。対日オフショアサービス市場の8割を、長らく中国が占めていることが、その事実を証明している。
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