「マウスコンピューター」のブランドでパソコンを販売し、今ではメーカーとしてだけでなく、ディストリビュータやパソコン専門店など、さまざまな企業を傘下に収めているMCJグループ。10年ほど前は数十億円の売上規模だったが、今では1000億円を超える企業にまで成長した。設立当初からのコンセプトとして、「国内発の魅力的な製品を世に出す」を掲げる高島勇二代表取締役社長兼会長に、これまでの道のりと今後の展望を聞いた。(取材・文/佐相彰彦 写真/馬場磨貴)
MCJの歩み
1993年 実家が経営する衣料品販売店のガレージの一画で、パソコン事業を開始
1998年2月 マウスコンピュータージャパン発足
1998年8月 商社機能を分社化、エムシージェイを設立
2001年4月 マウスコンピュータージャパンとエムシージェイを合併、存続会社をエムシージェイとする
2003年11月 MCJへ商号変更
2004年6月 東証マザーズ上場
2005年4月 シネックス(現・テックウインド)を子会社化
2006年1月 秀和システムを完全子会社化、イーヤマ販売(2月にiiyamaに商号変更)を完全子会社化
2006年10月 純粋持株会社体制へ移行
マウスコンピューターを設立 iriver japanを設立
2007年5月 アロシステム(現・ユニットコム)を完全子会社化
2008年10月 マウスコンピューターとiiyamaを合併
2009年7月 マウスコンピューターとriver japanを合併
2012年3月 ソルナックを子会社化
2012年6月 グッドウィルを子会社化
2012年10月 ユニットコムとグッドウィルを合併
2013年8月 アイエスコーポレーション(現・aprecio)を子会社化
2015年1月 コムコーポレーションを完全子会社化
2015年2月 ティアクラッセを完全子会社化
M&Aによってビジネス拡大が加速

高島 勇二(たかしま ゆうじ)
1974年、埼玉県春日部市生まれ。実家が経営する衣料品販売店のガレージの一画で、パソコン事業を開始。98年2月、マウスコンピュータージャパンを発足して代表取締役社長に就任。98年8月にエムシージェイを設立。01年4月にマウスコンピュータージャパンとエムシージェイを合併、エムシージェイを存続会社とした。03年11月、MCJに商号を変更。04年6月、東証マザーズ上場(現在は東証二部に移行)を果たした。06年10月、純粋持株会社体制に移行。08年6月、代表取締役社長兼会長に就任。 ──実家が経営する衣料品販売店のガレージでパソコン事業を始めたとのことですが、その頃のことを少し振り返ってください。 高島 あの頃は実家の経営が厳しくて、まずは親の借金を返すためにどうしたらいいかを考えていましたね。BTO方式でパソコンを販売し、仲間にも恵まれて、事業が軌道に乗ったのですが、単純に売り上げや利益を伸ばそうと考えていなかった。魅力的でおもしろい製品を出して、お客様をワクワクさせたい。そのことを念頭に置いてパソコンの開発・販売に力を注いできました。
──今では、1000億円を超える売上規模の会社にまで成長しました。設立してからこれまで、いろいろなことがあったと思いますが、印象に残っていることはありますか。 高島 とくに印象的なのは、2004年の東証マザーズ上場です。BS(短期戦略)とPL(長期戦略)の両輪が使えるようになり、M&A(企業の合併や買収)を含めてビジネスをさらに加速することができました。
──確かに設立当初は「BTOメーカー」でしたが、M&Aによって、さまざまな“顔”をもつようになった。パソコン専門店を運営するアロシステム(現ユニットコム)をグループ化しましたね。 高島 これによって、規模が拡大し、物流の効率化や購買力の強化につながりました。とんがった製品やお客様がワクワクするような製品を創造して、それを迅速に市場に出していくというサイクルを加速することもできました。 また、販売実績からトレンドをつかんで、それを家電量販店様やディストリビュータ様、SIer様に提案するという流れもできた。各取引様との関係は、今までもこれからも、MCJグループにとって非常に重要なものです。
──M&Aによって、さまざまな子会社でグループを形成することになったわけですが、統合や融合などは進んでいるのですか。 高島 会社が違えば文化も違いますからね。ですので、無理に統合・融合しようとは考えていないんです。M&Aも、強引に進めたわけではなく、一つひとつ頭を下げながら「一緒にやりましょう」と話し合うことで実現しました。それぞれの会社の持ち味を生かす。それがMCJグループです。
パソコンはまだまだおもしろい
──MCJグループにとっては、市場環境を含めて、これまではどのような時期でしたか。 高島 国内パソコン市場が成熟して競争が激しくなって、大手を含めて撤退するなど、パソコンメーカーにとっては激動の時期だったといえますね。
──そんななか、なぜパソコンをメインに据えながら生き残ったのでしょうか。 高島 ゲームユーザー向け、フォトグラファー向けなど、専門性に目を向けて製品開発に力を入れたのが成功した理由かもしれません。もともとBTOとして、お客様が望むスペックのパソコンを提供していました。この顧客情報をもとに、パソコンの用途を細分化して、特定のお客様が喜ぶ専用モデルを発売した。これによって、パソコン好きのマニアをファンとして獲得した。そのニーズが広がって、比較的パソコンに詳しくない方でも購入してくれるようになった。本当にありがたいことです。また、新しいゲーミングパソコンを多くのお客様に知ってもらえるよう、ゲーム会社さんと一緒にイベントを開催するなど、さまざまな企業と、さまざまな領域でパートナーシップが組めたことも感謝しています。M&Aによって売り上げと利益が、パソコン事業だけを手がけている時と比べて10倍程度に膨れ上がりましたが、もちろんパソコン事業も順調に伸びています。
──パソコン事業が順調ということですが、課題はありませんか。 高島 ブランド力を高めることですね。お客様層の裾野が広がったとはいえ、まだまだ「マウスコンピューター」「iiyama」というメインブランドが浸透していると胸を張ることはできません。
──ブランド向上策はありますか。 高島 やはりユニークで魅力のある製品を出すことだと確信しています。これまでスティック型のパソコンやWindows OS搭載のスマートフォンなどを他社に先駆けて市場に投入することに力を注いできましたが、これを継続することが重要だと捉えています。国内パソコン市場の縮小は、消費者の心をくすぐる、ワクワクする製品が少ないからだと思います。とはいっても、大手パソコンメーカーさんが突拍子もない製品を出せるのか。それは難しいのではないでしょうか。加えて、パソコンを軸にスマートフォンやタブレット端末がつながって、お客様がデジタル機器を通じて満足な生活を送る。これが重要だと考えているんです。
──パソコンの魅力を改めて出していくというのは、デジタル機器全体の市場を活性化するうえでは「あり」ということですか。 高島 その通りです。パソコンはまだまだおもしろい。大手パソコンメーカーさんが出せないものを、MCJグループで創造していきます。一つ例を挙げれば、MCJグループには、国内ベンチャーの経営支援を目的とする会社を立ち上げました。この会社を通じて、ユニークな製品を開発するベンチャーと協業するという方法があります。また、海外のベンチャーとアライアンスを組んで、今までになかった製品をつくるというのもいいですね。スティック型パソコン一つとっても、デジタルサイネージやロボット、IoTなどで活用して大きな広がりをみせる可能性を秘めている。アイデアさえあれば、まだまだ新しいコンセプトの製品を生み出せると思うんです。
──新しいコンセプトの製品を出す予定はあるのですか。 高島 まだ企画段階で、具体的に申し上げられませんが、予定はあります。詳細が固まるまで、もう少々お待ちいただければと思います。
取材を終えて
まだ今のように会社の規模が大きくなかった2002年頃、高島氏に取材したことがある。印象的だったのが、パソコンについて目を輝かせて話していたこと。現在は売上規模が1000億円を超え、しかも、さまざまなジャンルでM&Aを果たしているということで、あの頃のようなパソコンに対する熱意はなく、規模を追求する考えに変わったのかと思っていた。ところが、「規模拡大を追求して、今のようになったのではなく、あくまでもおもしろい製品を追求した結果、さまざまな会社のトップの方が賛同してくれたおかげ」と、全然ぶれていない。
それは、「人に恵まれたから」。大手企業の幹部など、さまざまなブレーンがMCJグループに入社した。もちろん、「現場でもおもしろいアイデアをもったスタッフが多く、新しいコンセプトの製品を世に出す基盤が整っている」。高島氏が考える理想のトップ像を聞くと、「みんなで一緒にやっていく」。人を大事にする高島氏に信頼できる多くの人が寄ってきた結果、今のMCJグループにまで成長した。(郁)