「国内でNo.1のソフトウェアをたくさん生み出したい」──ハードウェアの活躍が目立つNEC。有力ソフトを抱えながらも存在感が薄かったソフト部隊には、いつしかそういう機運が生まれた。当時の幹部が、現状を打破するため、同社初の“人材一本釣り”を敢行。池田さんは異例の中途入社をすることになった。「過去のしがらみがなく、理想論や筋論を平気で言える」。
NECに入社したのは2004年9月。事実、ここから同社ソフト事業は急激に加速する。もちろん、本人だけの功績ではない。だが、“旗振り役”の功績を残したのは確かだろう。昨年10月に「統合ソフトウェア・パートナー制度」を開始。「商用LinuxOSですら、米国のコントロール下にある。企業システムの大事な部分であるミドルウェアは、国内ベンダーが市場を握るべき」という強い信念を持っている。
20代では、NEC系列のソフトハウスで生産管理システムの構築を手がけた。「クライアント/サーバー型で構築したのは、日本初だったと思いますよ」と、技術力も確かだ。
この後、外資系の日本オラクルとミラクル・リナックスに在籍。「当時は、日本語版の販促資料がなく、その作成でマーケティング手法を学んだ」という。日本オラクルでは「War Room」と呼ぶ競合に“ネガティブ戦略”を講じる部署に所属。ソフト市場を拡大する手段を知り尽くす人物である。
「90年代のデータベース競争は見応えがあった」。富士通や日立製作所など競合に激しく喧嘩を売る。「市場競争があってこそ、おもろいモノができる。NECのガタイなら十分に可能だ」
プロフィール
池田 秀一
(いけだ ひでかず)神奈川県横浜市出身。1965年2月生まれ、41歳。専門学校卒業。1984年3月、NEC系列のソフトハウスに入社し、生産管理システムのシステム設計などを手がける。93年1月、生産管理システムのコンサルタントとして日本オラクルに入社。データベースなど同社製品の日本語版「FAQ」の作成などに携わり、「War Room」にも所属。00年6月、ミラクル・リナックスの設立者となり、Linuxの日本市場での浸透に注力。04年9月、NECに入社。システムソフトウェア事業本部ブランドマーケティング・マネージャーに就任し、組織変更で現職に。生粋の「ゲーマー」で、ゲーム機は自宅に3台、時には鞄にも忍ばせる。幼少時の影響で仮面ライダーなどの関連グッズを収集する自称「特撮マニア」。