子供の頃はスポーツ少女だった。陸上、水泳をこなし、オリンピック選手を本気で夢見ていた。朴訥な研究者が多いなか、ハキハキと明るく話す浅川の所作はこの頃に培われたのだろう。
その浅川に中学時代、怪我で視力を失うという、とてつもない苦難が襲った。高校時代は慣れない点字の習得に苦しみ、自分の将来を不安に思う日々が続いた。
しかし、「負けず嫌い」と自らを評する彼女はくじけない。点字での受験という困難を乗り越え、大学の英文科に進学。一方で「自分はどんな仕事ができるだろう、何ができるだろう」という気持ちを常に抱いていた。
そんな時、目が見えない人でもコンピュータが使えることをニュースで知る。「これだ」と思った浅川は、大学卒業後、視覚障害者向けの情報処理学校に入学。2年間の猛勉強でプログラムを身につけた。そして日本IBMの学生研究員の募集を見つける。
就職の保証はないが、グローバル企業と「点字の自動翻訳」という研究内容に強く惹かれた。学生研究員として採用されると、点字システムの開発に没頭。会社は成果を評価し、1年後に社員に登用した。
入社後、浅川が一貫して研究してきたのは「アクセシビリティ」だ。障害者や高齢者がIT機器を自由に操作するための技術である。「自分にしかできない仕事」と、言い切る。これまで、PCで点字を入出力する技術やホームページの音声読み上げソフトなどを開発。最近はソーシャル・ネットワークを利用し、障害者とボランティアが協力して障害者が使いやすくウェブサイトを改善する「ソーシャル・アクセシビリティ」に取り組む。
こうした功績が認められ、今年6月にIBM技術者の最高職位である「フェロー」に選ばれたのだ。
浅川のモットーは「諦めなければ、不可能は可能になる」。その思いを抱きながら、障害者や高齢者がITを使って自分の能力を発揮できる社会の実現に向け、日々、研究に邁進している。(文中敬称略)
プロフィール
浅川 智恵子
(あさかわ ちえこ) 大阪府豊中市生まれ。1982年追手門学院大学英文科卒業、84年日本ライトハウス情報処理学科修了。卒業後、1年間、日本IBMで学生研究員として点字翻訳システム開発に携わる。85年日本IBM東京基礎研究所入社。04年東京大学工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。09年、日本人女性で初めてIBMフェローに就任。フェローはこれまで218名しか任命されていない。