2008年7月に米アップルの「iPhone 3G」が発売されて以降、マイクロソフトなど他メーカー端末を含め、スマートフォンをビジネスシーンで利用する人が急速に増加している。従来の携帯電話と異なり、ユーザーインタフェース(UI)の使い勝手が業務用途に適しているためだ。この潮流を受けて、国内IT業界では、マイクロソフトや今後登場するGoogle版などを含め、スマートフォンを「次のビジネス」として掲げ、開発・販売体制を整備するITベンダーが業態・地域を問わず増えている。スマートフォンのビジネスモデル構築に向けたIT業界の最新動向を追った。
スマートフォンで新ビジネス創出 調査会社の矢野経済研究所が2009年4月にまとめた「スマートフォン市場に関する調査結果」によると、国内スマートフォン市場は2012年に出荷台数が365万台に拡大する。2008年は、前年比68%増の158万台だったが、この調査以降に「iPhone 3G」や「同3GS」など魅力的な商材が発売されているので、2012年の到達予測はもう少し早まることが見込まれる。
この調査は一般コンシューマを含めた数値なので、ユーザー企業が「企業端末」として利用している件数を知ることはできない。しかし、一昨年後半から需要が伸びた「ネットブック」などのノートパソコンと携帯電話の間を埋める製品として、外回りのビジネスパーソンが個人で利用する姿が目立ってきているのは確かだ。
スマートフォンを含め、モバイル環境でインターネットを介したユーザー企業での業務利用は、拡大し続けることが予想される。これに加え、「iPhone」よりも画面サイズが大きくてネットブックよりも持ち運びが簡単な「iPad」などのモバイル機器が登場することも、企業利用の可能性が広がる可能性に拍車をかけている。
IT業界には、このところクラウドコンピューティングの波が押し寄せて、企業向けのサーバーやパソコンなどのハードウェアが売れにくくなっている。このため、次なる商材となる端末(IT機器)として、スマートフォンの販売やそれに付随するヘルプデスク、ネットワークビジネス、ソフトウェア開発、サービス提供など、新たなビジネスを生み出そうとする動きがベンダー間で活発化しているのだ。
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「ハードウェア」ビジネス
「iPhone」のヘルプデスク体系化
機器販売の付随ビジネスに商機
サーバーやパソコンなどに次ぐIT機器として、販売系SIerではスマートフォンへの注目度を高めている。とくに、個人利用としてビジネスパーソンに浸透し始めている「iPhone」への期待は大きい。「iPhone」などスマートフォンのIT機器販売の増加に加え、これらを利用したソリューションに商機が見え始めているためだ。
一般企業向けのほか、教育・医療機関向けシステム構築を得意とする日本事務器(NJC)は、「iPhone」を自社で利用するなかで、自ら使い勝手などを検証し、そのノウハウを生かして新たな「モバイルソリューション」を生み出そうとしている。
NJCは09年末、約300台の「iPhone」を従業員に貸与。ITサービス提供の子会社であるNJCネットコミュニケーションズ(NJCネットコムズ)では、全社員約30人に「iPhone」を持たせた。自社の業務効率化を図ることが主な導入目的だが、「iPhone」を活用した「モバイルソリューション」を創出するという将来の自社ビジネスへの展開を見越し、NTTドコモの携帯電話から「iPhone」に乗り換えたのだ。使い勝手などは現在検証中。利用コストに関しては、通話料が大幅に削減したものの、NTTドコモ利用時が「パケット通信し放題」のプランではなかったため、結果的にほぼ同等の料金という。
同社では、「セキュリティ制限はいくつか設定しているが、基本的に利用方法は個人に任せている」(金城隆志・経営企画部担当部長)としており、導入して間もないため、具体的な効果を集約するまでに至っていない。それでも、「情報共有やメール閲覧、電子決済がスムーズになったなど、具体的なメリットが現れ始めており、効果を実感している」(同)というのだ。
NJCは自社利用で培ったノウハウをもとに、「iPhone」にビジネスチャンスがあるとみている。想定されるサービスの一つが「キッティングサービス」だ。約300台の「iPhone」導入作業を担当したNJCネットコムズの伊庭雅浩オペレーション部部長は、「スマートフォンを導入する際には、MNP(モバイルナンバーポータビリティ)の申請作業や端末の設定など、膨大な手間がかかる。実作業は想定以上に大変だった。こうした作業は、事業展開する際にユーザー企業側に負担を強いることになり、ここがビジネスになると感じた」と、「iPhone」が企業に普及すれば、すぐにでも事業化できるよう体制を整えている。
もう一つが「ヘルプデスクサービス」だ。「iPhone」には国内メーカーの携帯電話のように詳細な取扱説明書がない。ゆえにNJCで運用を開始した直後から、ユーザー設定や利用方法について、社内からの問い合わせが殺到した。結果的には「3日ほどかけて約140ページのマニュアルを作成して配布した」(伊庭部長)と振り返る。伊庭部長は、こうしたノウハウもビジネスに応用できると考え、サービスのメニュー化を検討している。3月にはこうしたサービスを体系化して販売する計画という。
NJCでは、「iPhone」だけでなく、1月に米国で発表され、3月に日本で発売予定の「iPad」にも着目している。「経営幹部に『iPad』を持ってもらい、使い勝手を検証する計画もある」(浅野利也・経営企画部IT企画グループシニアエキスパート)というように、「iPhone」と同じようにまずは自社で利用し、そこで得た課題やノウハウをもとに、ビジネスチャンスを探る考えだ。
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「サービス」ビジネス
SaaS/クラウドへの波及大
企業の生産性を高めるUIの性能
IT機器販売ではなく、ソフトウェア開発を主に展開している開発系SIerでも、「iPhone」を自社ビジネスに取り込む動きが加速している。
京セラコミュニケーションシステムグループの京セラ丸善システムインテグレーション(京セラ丸善SI)は、主力商材の一つであるクラウド/SaaS対応のビジネスインテリジェンス(BI)ツールを「iPhone」から閲覧可能にするソリューションを投入した。このほか、モバイルアプリケーション開発に強いTDCソフトウェアエンジニアリングも、「iPhone」への対応を視野に入れている。
こうしたSIerの動きに呼応し、マイクロソフト製品のライセンス販売の大手リセラーであるウチダスペクトラムは、「iPhone」本体の代理販売を今年度第3四半期(2010年2~4月期)中をめどに開始する考えだ。同社が機器販売を手がけるのは異例だが、「『iPhone』対応のビジネス向けアプリケーションの増加が見込まれる」(ウチダスペクトラムの紀平克哉・執行役員)と、ソフトウェアライセンスに限らず、「iPhone」そのものの販売にも乗り出すのだという。
SIerが「iPhone」を自社ビジネス拡大のツールとして視野に入れ始めた背景には、まず、ビジネスシーンでの普及が急速に進んできたことが挙げられる。また、アプリケーション開発の自由度が高く、既存の日本式携帯電話では実現不可能な優れたユーザーインタフェース(UI)を有していることも魅力的に映っている。アプリケーションそのもののクラウド/SaaSへの対応が進み、個別のアプリケーションを端末機器にインストールせずに、ネットワーク経由で業務に利用できるようになったことも従来と異なる点だろう。
では、なぜ既存の携帯電話ではなく「iPhone」なのか――。「『iPhone』ならではのUI能力の高さ」と、その理由を述べるのは、アドビシステムズの「Flash」やマイクロソフト「Silverlight」などのリッチUIの開発を得意とするサイトフォーディーの隈元章次社長だ。
「iPhone」はパソコンなどで頻繁に使われる「Flash」や「Silverlight」などのリッチUIがそのまま使えるわけではない。独自方式のUIの開発が必要だが、「『iPhone』向けに個別開発する価値があるほど、UI性能が高い」(隈元社長)と、従来のモバイル端末になかった優れたUIが業務利用での生産性を高めることに貢献すると考えているのだ。
「たかがUIの違いだけで…」と考える国内のITベンダーは依然として多くいる。しかし、よく考えてみるとアップルの「iPod」「iPhone」シリーズの最大の優位性は、UIなどのソフトウェア技術にある。ハードウェア面では、国内家電メーカーも決して劣るものではないが、パソコンやクラウド/SaaSアプリケーションと親和性が高いことや、UIの使い勝手のよさという面で、彼我の差は認めざるを得ないようだ。
京セラ丸善SIが取り扱うBIソフト「Yellowfin」が「iPhone」にいち早く対応したのも、「誰でも分かりやすくグラフや表を表現できる」(京セラ丸善SIの野田浩二・ITサービス部ITサービスグループ長)という面を重視したからだ。BIソフトに関しては、独SAPや米オラクルなどがアップルの「App Store」で、すでに英語版の提供を開始しているほどである。
サイトフォーディーでは、「『iPhone』を含めたリッチUIの開発依頼の引き合いが急増している」(隈元社長)と、嬉しい悲鳴をあげている。ただ、既存のユーザー企業から「iPhone」への対応を求められたとしても、国内SIerの多くは「iPhone」対応のアプリケーションのノウハウが十分に備わっていないケースが多い。ビジネスシーンにおけるモバイル環境の変化に対応する取り組みが求められてくることは間違いなさそうだ。
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