パブリッククラウド市場では独自の立ち位置を築いてきたグーグルが、いよいよエンタープライズ顧客の獲得に本腰を入れる。テクノロジストの描く理想のクラウド環境を提供するだけでなく、企業が既に保有する現実のITインフラとの親和性を重視し、他社クラウドとの連携も強化する。米サンフランシスコで4月に開催された「Google Cloud Next '19」の発表内容から、グーグルのクラウド戦略を読み解いてみたい。(取材・文/日高 彰)
既存システムのクラウド化に
目を向けるグーグル
米グーグルは法人向けクラウドサービスとして、IaaS/PaaSの「Google Cloud Platform」(GCP)と、コラボレーションツール群を中心としたSaaSの「G Suite」を提供しており、同社のグーグル・クラウド部門がこれらを統括している。「Google Cloud Next」はグーグル・クラウドの顧客やパートナーを対象にした年次イベントで、今年は世界から3万人以上がサンフランシスコ市中心部のコンベンション施設、モスコーニ・センターに詰めかけた。
GCPの最大の特徴は、世界最大級のウェブサービスであるグーグルを支えるITインフラや、同社が自社のサービス提供のために開発したデータ処理機能を、他の企業にも公開したという点にあった。このため、メディア配信やゲーム、大規模ECサイトなど、負荷の高いウェブサービスを運営する企業で導入が進んだ。一方、技術的に“尖った”領域にフォーカスしてきたために、製造・金融・流通といった一般業種のITインフラとしては、大きな存在感を示してはいなかった。米調査会社シナジーリサーチグループによれば、2018年第4四半期時点での世界のクラウドインフラサービスの市場シェアは、AWSがおよそ35%程度を占め、続くマイクロソフトのAzureが約15%。GCPは3位につけているものの7%前後で、2位のAzureとの差はむしろ開きつつある。
米グーグル
サンダー・ピチャイCEO
イベント初日朝のオープニングスピーチに登壇した米グーグルのサンダー・ピチャイCEOは、「世界の企業コンピューティングの大部分は、現在もオンプレミスで行われている。クラウド化の道のりは複雑で困難な課題が山積している」と述べ、GCPは今、クラウドネイティブな領域だけでなく、多くの企業によって長年運用されてきた業務アプリケーションのクラウド化にも積極的に取り組んでいることをアピールした。
そして、GCPにエンタープライズを呼び込むための目玉機能としてピチャイCEOが発表したのが、ハイブリッドクラウド/マルチクラウドを実現するためのプラットフォーム「Anthos(アンソス)」だ。
シスコシステムズが提供する予定の
Anthos対応アプライアンス
クラウド戦略は
ハイブリッドからマルチへ
グーグルは昨年のCloud Nextで、GCPと企業のオンプレミスにまたがるシステム構築を可能とする「Cloud Services Platform(CSP)」を発表していた。企業はCSPを導入することで、グーグルがマネージドサービスとして提供するKubernetes環境を、自社のデータセンターにも拡張できる。OSやランタイムを自社で管理しなくても、オンプレミスの基盤をGCP上と同じ環境に保つことができるため、企業はコンテナ化されたアプリケーションを、要件に応じてクラウドとオンプレミスのどちらでも変更を加えずに展開できる。
しかし、ピチャイCEOは「CSPは大きな進歩だったが、依然として大きな問題が残っていた。複数のクラウド事業者を管理することができなかった」と述べ、企業の要求に応えるには、「GCP+オンプレミス」というハイブリッドクラウド環境を提供するだけでは不十分で、他のパブリッククラウドをも統合的に管理・運用できる仕組みが必要だったと説明する。
新たに提供するAnthosは、CSPをAWSやAzureにも対応させたもので、単一のコンソールを通じてマルチクラウド環境を一括して管理できる。アプリケーションの稼働状況を監視できるだけでなく、コンテナクラスタ間のアクセス制御や通信の暗号化といった機能も搭載しているため、アプリケーションを実行する場所が複数のインフラにまたがる複雑なシステムでも、ポリシーの徹底を図ることが可能だ。企業は既に所有するハードウェアにAnthosのソフトウェアをインストールして利用できるほか、今後シスコシステムズ、Dell EMC、HPE、レノボの各社から、Anthos導入済みのハイパーコンバージドインフラが発売される予定である。
ピチャイCEOはAnthosを「“Write once, run anywhere”(一度書けば、どこでも実行できる)を実現するプラットフォーム」と表現した。この文句は、かつてサン・マイクロシステムズがJavaを提案した際、OSを選ばずさまざまな環境でプログラムを実行できることをアピールするために用いていたスローガンだ。ピチャイCEOはこのフレーズに関してそれ以上コメントはしなかったが、Javaでも実現できなかった、開発者にとっての理想環境を具現化するのがAnthosであると主張したいかのようだった。いずれにしてもグーグルは、企業の要求を満たす形でアプリケーションを実行するプラットフォームの決定版として、今回Anthosを華々しく発表した格好だ。
奇しくも符合する
グーグルとIBMの戦略
しかし、他社クラウドの存在を前提にしたシステム構成を最前面に掲げたということは、GCPはAWSとAzureに対し、規模で競争するのをあきらめたという構図に見える。Anthosの利用自体にも料金は設定されているが、パブリッククラウドビジネスの収益は基本的に、CPUやストレージといったリソースの消費によって発生するものであり、マルチクラウドが実現すれば、顧客のIT支出の一部を他社に渡してしまうことになる。
Anthosのエンジニアリングを担当するエーヤル・メノー バイスプレジデントは「企業のワークロード全体のうち80%はいまだクラウドの外にある。ただ一つだけのクラウドに投資を片寄らせることは危険だ。88%の企業は、マルチクラウドの戦略を採ると見込まれている」と述べ、クラウド市場にはまだまだ大きな伸びしろがあること、そして、自社サービスにロックインしようとするようなクラウド事業者は、今後顧客から見放されるとの見方を強調した。
企業のワークロードの80%がまだクラウド化されていない、という数字は、奇しくもここモスコーニ・センターで今年2月に開催された、米IBMの年次イベント「Think 2019」において、同社のバージニア・ロメッティ会長が引用したのと同じ調査データだ。そしてIBMも、従来自社のクラウドから門外不出としていたAIエンジン「Watson」を他の基盤にも展開可能とするなど、マルチクラウドを推進する姿勢を強めている。
エンタープライズITの世界において、複数のITインフラを組み合わせて利用する形態が主流になることはほぼ間違いない。AWSとAzure以外のクラウド事業者は、自社サービスのリソース消費量を増やすことよりも、複数のクラウドを束ねるポジションに立つことを優先する戦略へと、否が応でもシフトせざるを得ないタイミングにさしかかっている。
VMからコンテナへ
大胆な直接移行戦略
オンプレミスから他社クラウドまでを共通のプラットフォームでカバーし、柔軟なアプリケーション実行環境を用意することで、業務システムのクラウド移行需要を取り込もうとするグーグル。マルチクラウドの推進という基本的な方向性は、前述の通りIBMのクラウド戦略とも共通する。
しかし、アプリケーションのクラウド化をどのように実現するか、その方法に関しては、先鋭的なテクノロジーにこだわるグーグルらしいアプローチを採ろうとしている。
既存アプリケーションのクラウド移行を図るに当たり、多くのクラウド事業者が用意している道筋が、オンプレミスで動作していたVMwareベースの仮想環境を、そのままクラウドへ乗せ替える「リフト&シフト」方式だ。まずはハードウェアを運用する手間から解放した上で、次のステップでアプリケーションをクラウド環境に適した形へ再構築しようとする考え方であり、昨年11月にはAWSの東京リージョンでも「VMware Cloud on AWS」のサービスが利用可能になった。
AWSのホスト名がスクリーンに登場すると、来場者の一部からは歓声が上がった
対してグーグルは、VMware環境を乗せられるベアメタルサーバーを用意するのではなく、仮想マシン上で動作する従来のアプリケーションを、GCPのKubernetes環境で実行可能な形式に変換するツール「Anthos Migrate」を提供し、仮想マシンからコンテナ環境への直接移行を実現しようとしている。昨年買収したイスラエルVelostrataの技術を活用したもので、仮想マシンやアプリケーションに事前の変更を加えることなく、オンプレミスや他社クラウドのVMware環境にあるアプリケーションをGCP上に移すことができるという。Cloud Nextのステージ上では、オンプレミスのVMware vSphere上で動作していたECサイトを、2分ほどの作業でGCPのKubernetes環境に移行するデモが実演された。
もっとも、Anthos Migrateはまだベータ版であり、企業が抱えるさまざまなアプリケーションに関して、コンテナ環境への直接移行が本当にどこまで可能なのかは未知数だ。ただ、ほぼ無限に拡張できるインフラがマネージドサービスとして提供され、リソースのサイジングや、セキュリティーパッチの適用といった作業が不要となり、ユーザーがサービスの開発に専念できることがクラウドの大きなメリットである以上、オンプレミス時代の仮想マシンをいつまでも動かし続けていては、その価値を享受できない。
グーグルは今回のイベントで、「アプリケーションのモダナイズは、考えられているほど難しくはない」というメッセージを繰り返し発信しており、リフト&シフトにとどまらないクラウド移行を実現できる基盤として、企業に対してGCPの訴求を図ろうとしていた。
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