日本マイクロソフトの平野拓也社長が8月31日付で退任する。翌9月1日からは米マイクロソフトでOne Microsoft Partner Groupバイスプレジデント グローバルシステムインテグレータービジネス担当に就任。グローバル市場のパートナー戦略を担当する部門でリーダーとして采配を振る。日本マイクロソフトにも特別顧問として引き続きかかわっていく予定だというが、いわゆる「栄転」と言っていい。同氏が日本マイクロソフトに残したものとは何か。クラウドのメインプレイヤーとして市場における存在感を着実に高めた社長在任約4年間の軌跡を振り返る。(構成/本多和幸)
Profile
平野拓也(ひらの たくや)
1970年生まれ。北海道出身。95年、米国ブリガムヤング大学を卒業後、兼松の米国法人Kanematsu USAに入社。98年、Arbor Software(Hyperion SoftwareとのM&A後、Hyperion Solutionsに社名変更)に移り、2001年にはハイペリオン日本法人の社長に就任。05年、マイクロソフト(現・日本マイクロソフト)に移籍し、執行役常務エンタープライズサービス担当、同エンタープライズビジネス担当などを経て、11年からは東欧諸国や新興国を中心に25カ国を統括するマルチカントリーゼネラルマネージャーを務める。14年7月、日本マイクロソフトに復帰。代表執行役副社長などを経て、15年7月に取締役代表執行役社長、16年7月に代表取締役社長に就任した。
トップインタビュー定点観測
AWSへの“挑戦者”から“競争相手”になった
目標は「2020年までに国内ナンバーワンクラウドベンダー」
日本マイクロソフトの平野拓也社長が週刊BCNのメイン企画の一つであるトップインタビューコーナー「Key Person」に登場したのは通算2回。1600号記念号となった2015年10月19日号、そして紙面を大幅にリニューアルした18年8月27日号と、いずれも週刊BCNにとっての節目で登場してくれた。就任から間もなくのインタビューと3年後のインタビューを比較してみると、この間の日本マイクロソフトの変化が見て取れる。
2015年10月19日号 Key Person
──クラウド商材も好調ですね。ただし、Azureが象徴的ですが、単品ではシェア1位までの道のりはまだ距離があります。クラウドサービスベンダーとして、どうありたいと考えておられますか。
大切なことは、会社としてのメンタリティ、ベースラインを明確にすることです。われわれが、クラウドの世界でチャレンジャーであることは明確です。これを忘れて甘えが出たりしてはいけない。精神論かといわれそうですが(笑)、戦略云々の前に、まずこうした考え方を文化として徹底させる必要があると思っています。
もう一つ重要なのは、「売る」ためにどうするかという考え方から脱却し、クラウドでは「使っていただく」ことに軸足を置くということです。そのうえで、お客様との関係全体をみて、ビジネスのプロセスを考えるべきです。個々のクラウドサービス単品でも、もちろんトップは目指します。ただ、それが直接の目的にはなりません。生産性の飛躍的な向上やワークスタイルの変革といった、クラウドの広い世界で実現できるシナリオを訴求し、その結果としてカテゴリーでもしっかり1位を取れるようにチャレンジャー精神をもって頑張るということなんです。
2018年8月27日号 Key Person
──AWSやセールスフォース・ドットコム(SFDC)を引き合いに出して、クラウドネイティブな大手ベンダーよりも成長率が高かったことをアピールされていたのも印象的でした。特にAzureについては、AWSと比較して成長率が高いことを強調されていました。AWSとの差が縮まっているという実感はありますか。
それはもう、疑いようがないですね。
われわれの戦略として、政府が施策を打ち出す前から、「働き方改革」に自社の実践を含めて率先して取り組んできました。ですので、最初は(働き方改革のニーズにフィットする)Office 365に軸足を置き、そこに意図的にリソース配分を振り切るようなかたちでビジネスを展開しました。それが成果を挙げて導入が進んでくると、お客様に有力なクラウドベンダーとして認知していただけるようになり、Azureの話もしやすくなったんです。Office 365で働き方改革の波に乗ることができ、そこからAzureへのシナジーをつくれるようになってきたことが成長の大きな要因です。
──日本のナンバーワンクラウドベンダーになるという目標を掲げられました。達成基準は?
文字通り、国内パブリッククラウド市場におけるシェアを1位にもっていくことです。先ほども申し上げたように、Office 365の浸透とAzureのモメンタムがかなり上がってきたということが非常に大きな成長の要因になっているわけですが、Azureがアドレスできる領域はいくらでもありますから。現実的に達成可能な目標だと思っています。
サティア・ナデラ氏が米マイクロソフトのCEOに就いた2014年は、マイクロソフトのクラウドビジネスの躍進が顕著となり、アマゾン ウェブ サービス(AWS)との2強状態へと本格的に市場が動き出した年だ。ナデラCEO就任から約1年後、新生マイクロソフトの戦略を日本で実行する責任者として日本マイクロソフトのトップに就いたのが平野社長だと見ることができよう。
就任間もない15年10月19日号のトップインタビューでは、クラウドに本格的に舵を切り、クラウド市場で成長していくための変革を行っていく意思を力強く示した。「Office 365」の攻勢はもちろん、「Microsoft Azure」についても、13年頃まではIaaS/PaaS市場でマイクロソフトと同程度のシェアを持っていた他のクラウドベンダーを引き離し、マイクロソフトのクラウドビジネスの成長率が群を抜いて高くなった時期だ。すでに前方にはAWSの姿しか見えていなかったはずだが、平野社長の言葉には浮ついた様子は見られず、むしろ成長の足場を固めるべく気を引き締めなければという抑制的な言葉が並ぶ。マイクロソフトが「クラウドの世界でチャレンジャーであることは明確」だと言い切ったのが印象深い。
一方、約1年前のインタビューである18年8月27日号の紙面では、かなりテイストが変わっている。同社のメッセージも、AWSを打ち負かすべき競合として捉えたものが、この頃にはすでにかなり増えてきていた。平野社長は17年から「20年にパブリッククラウドでリーディングシェアを獲得する」という目標を掲げており、18年8月には表現を若干変え、「20年には日本のナンバーワンクラウドベンダーになる」と宣言した。それを受けてのインタビューだったということもあるだろうが、もはや“チャレンジャー”というよりは、トップベンダーの一角として市場をリードしていくのだという自信と気概が感じられる。
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