菅義偉内閣の目玉政策の一つである「デジタル庁」の創設に向けた動きが進んでいる。政府では年内にも基本方針を策定して2021年1月の通常国会に関連法案を提出し、同年9月の発足を視野に入れている。日本がIT政策を本格化してから約20年。新型コロナウイルス禍で遅れが浮き彫りとなった日本のデジタル化は、今後どのように進展していくのだろうか。
(取材・文/大河原克行 編集/前田幸慧)
デジタル化により
経済、社会の転換につなげる
菅内閣が今年9月16日に発足して以降、デジタル庁の創設は、政府が推進する行政改革や規制改革の象徴であるとともに、日本の成長戦略の柱の一つに位置づけられている。
菅首相は、9月23日に開かれたデジタル改革関係閣僚会議において、「今回の新型コロナウイルスへの対応において、国や自治体のデジタル化の遅れ、人材不足、不十分なシステム連携に伴う行政の非効率、煩雑な手続きや給付の遅れといった住民サービスの劣化、民間や社会におけるデジタル化の遅れなど、デジタル化についてさまざまな課題が明らかになった」とした上で、「この政権では、これらの課題を根本的に解決するため、行政の縦割りを打破し、大胆に規制改革を断行する。そのための突破口として、デジタル庁を創設する。経済、社会の大きな転換につながる改革になる」と述べている。
具体的には、国、自治体のシステムの統一や標準化を行うこと、マイナンバーカードの普及促進を一気に進め、各種給付の迅速化やスマートフォンによる行政手続きのオンライン化を行うこと、民間や準公共部門のデジタル化を支援するとともに、オンライン診療やデジタル教育などの規制緩和を行うことなどが盛り込まれ、「国民が当たり前に望んでいるサービスを実現し、デジタル化の利便性を実感できる社会をつくっていく」(菅首相)としている。また、デジタル分野における重要法案である「IT基本法」の抜本改正を行う考えも示している。
コロナを契機に
デジタル化の関心が高まる
菅首相が語るように、デジタル庁創設の背景には、コロナ禍で浮き彫りになった日本のデジタル化の遅れがある。4月の緊急事態宣言では、発令に伴って給付金や助成金などの支援策が用意されたものの、手作業を伴う煩雑な申請手続きにより現場の負担が増加。オンライン手続きの不具合や、国と地方のシステムの不整合といった課題が顕在化したのは周知の通りだ。
そのほかにも、外出自粛によってテレワークが広がったものの、押印手続をはじとめするテレワーク普及に向けた阻害要因が浮上。教育現場ではオンライン教育に必要な基盤やノウハウの不足、医療現場では陽性者報告や申請をFAXで行うなど、各方面でデジタル化の遅れが課題として顕在化した。
平井卓也デジタル改革担当相は、「いまの日本の状況は、『デジタル敗戦』と表現せざるを得ない」と指摘。「これまでのITインフラやデジタル化への投資、IT政策は、国民の期待にまったく応えることができなかった。欧米や中国と比べても、光ファイバーやモバイル通信網のカバー率といったインフラ整備では負けていない。だが、パフォーマンスが悪かった。その理由は、全てが中途半端であったという点に尽きる」と話す。
平井卓也 デジタル改革担当相
平井デジタル相が中途半端と語る理由は、一部の人は使えるが、全員が使えないという状況や、最後の部分までデジタルで完結することができない状況、あるいは、やり方を見直さずにデジタル化だけを進めたことで成果が生みにくくなっている状況も指している。また、「IT政策に対する国民の期待もそれほど高くはなかったので、目標を達成できなくても、世間から責められない状況にあった」とも語る。
調査結果は厳しい現実を突きつけている。日本の労働生産性は先進7カ国で最下位であり、電子政府ランキングでは14位に後退。デジタル競争力は27位、授業中のデジタル機器の使用時間はOECD加盟国の中で最下位となっている。
だが、新型コロナの感染拡大とともに、社会環境や生活スタイルが変化。デジタルに対する国民の関心が急速に高まっている。
平井デジタル相は、「骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)の中で、『デジタル』という言葉は、2016年には1回も出てこなかった。だが、17年が3回、18年が9回、19年が53回。そして今年は105回も出ている。デジタル関連が政策の一丁目一番地になるのは、日本では初めてのことだ」とし、「国民の関心も高まっており、菅首相によるデジタル庁創設の指示は、時期を得たものである。20年は大きな歴史の転換点になる」と、日本のデジタル化の促進に意欲をみせている。
日本のIT政策
成功と失敗
ここで一度、これまでの日本のIT政策の歴史を振り返りたい。日本は、2000年にIT基本法(高度情報通信ネットワーク社会形成基本法)を施行。誰でもがブロードバンドにアクセスし、インターネットを使える国にすることを理念に掲げ、それを実行するための組織として「内閣IT総合戦略本部」を設置した。これが日本のIT政策の始まりだ。
01年には「e-Japan戦略」を策定し、主にインフラ整備とIT利活用を推進。06年には、「IT新改革戦略」を打ち出し、いつでも、どこでも、誰でもが、ITの恩恵を実感できる社会の実現を目指した。また、08年には「IT政策ロードマップ」を発表。09年には「i-Japan戦略2015」を打ち出し、電子政府や電子自治体、医療・健康、教育・人材といった分野を重点的にデジタル化し、国民主役の「デジタル安心・活力社会」の実現を目指した。
また、14年には「サイバーセキュリティ基本法」に基づき、内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)のチームが内閣IT総合戦略本部から独立。16年には「官民データ活用推進基本法」が施行され、デジタルデータを有効に活用するため、「官民データ活用推進戦略会議」が設置された。そして、19年には「デジタル手続法(情報通信技術を活用した行政の推進等に関する法律)」が施行され、行政手続きのデジタル化が促進されることになった。
IT基本法の策定にも深く関わり、現在、デジタル庁創設に向けたデジタル改革関連法案ワーキンググループの座長を務めている慶應義塾大学の村井純教授は、「過去の取り組みを振り返ってみると、ブロードバンドアクセスの整備については、05年までの目標に対して、03年に前倒しで達成。その後も、日本のインターネットインフラ環境は優れた環境を維持している」とする。コロナ禍において、ウェブ会議の利用が急増し、家庭からインターネットへ出ていくトラフィックが拡大したが、こうした想定していなかった環境においても、日本のインターネットインフラは安定していた。
村井教授は、「ここまでトラフィックが増えるとは想定もしておらず、準備もしていなかった。だが、結果としては、ネットワークインフラはびくともしなかった。LTEの普及もあり、モバイルネットワークも高速である。これは、IT政策の成功例である」とする。
村井純 慶應義塾大学教授
東京工業大学が作成した「未来シナリオ」では、2040年の社会として、「おうち完結生活」を予測している。村井教授は、「20年先に起こると思われていたことを、いま私たちは経験してしまった」とし、それを支えるネットワークインフラが日本にはすでに完成していることを示す。
だが、その一方で「高速ネット環境の利活用については失敗だったと思っている」と指摘。「民間サービスやビジネスはそれなりにできていたが、これで世界の中で戦ったかというと不満が残る。特に、『圧倒的』といえるほどにできなかったのが行政サービスだ。医療や教育、行政の窓口サービスは手がつけられていないといえるほど利活用が進んでいない」と話す。
デジタル庁の創設やIT基本法の抜本改正は、こうした日本のIT政策の成功と失敗を元に推進されることになる。村井教授は、デジタル改革関連法案ワーキンググループにおいて、「It's now or never(いましかできない)」という言葉を使っているが、まさにコロナ禍がきっかけになって、これまでとは違う発想や姿勢で進められることになるのは明らかだ。
平井デジタル相は、「デジタル化に対する、いままでのやり方を根本的に変えなくてはいけない。デジタル化は手段であって、目的ではない。トランスフォーメーションが大切である。そして、人中心で利用者が本当の意味で納得しなければ、やる意味がない。そのために日本が目指すべきデジタル社会はいったいどういう社会なのか、ということを示す必要がある」とし、「これまでのスピードやマインドセットでは通用しなくなってきた。走りながら考え、決断をしながら、立ち止まらずに一気に行く必要がある」と語る。
[次のページ]デジタル庁の発足に向けた これまでの動き