週刊BCNが創刊以来フォーカスしてきた「ITの流通」で、市場の中核的存在としての地位を確立しているのが大塚商会だ。今年7月に創業60周年を迎えた。創業家出身の2代目である大塚裕司社長が同社に入社したのはBCNの創業年と同じ1981年。この40年間の市場の変遷を踏まえ、新型コロナ禍を経たニューノーマル時代にITベンダーはどんな価値を社会に提供すべきなのか。BCNのメディア事業担当取締役である奥田芳恵がインタビューした。
(聞き手/BCN 取締役メディア事業担当 奥田芳恵)
(構成・文/本多和幸  撮影/馬場磨貴)

今も記憶に残る 創業時の雰囲気

奥田 10月で週刊BCNは創刊40周年を迎えましたが、大塚商会も今年7月に創業60周年、大塚社長ご自身も8月には就任20周年を迎えておられます。お互いに節目の年になりました。

大塚 ええ、つまり、私が社長に就任したのが、ちょうど大塚商会の創業40周年のタイミングだったわけで、何かと縁を感じますね。
 
大塚商会 代表取締役社長 大塚裕司

奥田 昨年こそ新型コロナ禍の影響を受けて2009年度以来の減収減益になりましたが、今年度上期決算のタイミングでは期初の業績予想を上方修正して、成長基調は維持されていますよね。こうした現在の大塚商会の強さがどのように形づくられてきたのか、せっかくの機会ですので改めて大塚社長の見方をうかがってみたいです。
 
BCN 取締役メディア事業担当 奥田芳恵

大塚 当初はもともと「青焼き」のコピー機と紙を売っていた会社です。しかもアンチリコーの(笑)。ご存じの方も多いと思いますが、創業者である父は終戦でミャンマーから戻ってきて、(リコーの創業者である)市村清さんの下で働いたんです。理研光学工業(現在のリコー)では凄腕のセールスマンだったと当時を知る人は言ってくれます。しかし、労働組合の委員長を務めて市村さんの排斥運動に参加し、結局失敗して辞めてしまうんですね。その後いろいろ苦労しながら、38歳の時に30万円を元手につくった会社がこの大塚商会なんです。

奥田 創業までが既に波瀾万丈です。

大塚 従業員が少しずつ増えていく中で、毎月25日近くになると家の中で「へそくりはないのか」なんていう会話が飛び交う。そうすると、うちってお金ないのね、と思うわけです。

奥田 子供心にも心配されていた……。

大塚 母と学校帰りにそば屋に行って、天ぷらそばをじーっと見ながら、「ざるそばでいい」と言ったことがあったんです。母は「天ぷら付きでも構わないよ」と言ったんだけど、「お金あるの?」と聞いたらしくて。自分では覚えていないんですけど。親はショックだったでしょうね(笑)。

 当時私は小学校の中学年で、会社の雰囲気はよく覚えています。その後、4~5年経つとより会社らしくなっていきました。

 父が創業時からよく言っていたのが、コピー機業界というのはすごく恵まれた業界だということです。コピーは機械を売った後に感光紙の販売も付いてくる。車に例えるとガソリンを一緒に売っているようなもんだから、お客様との縁が切れなくていいビジネスなんだと。このスタンスは今も基本は同じです。

 従業員は、3人目に採用したのが機械のメンテナンスをする技術者の方だったんです。自社で販売した機械は自社で修理に行くという方針で、これも当時は非常に珍しいスタイルでした。

奥田 どういう狙いがあったんでしょうか。

大塚 コピー機業界全体が大手企業を相手にビジネスをする中で、大塚商会は中小企業を対象に独自の顧客基盤をつくろうとしました。中小の設計事務所などが明日納品する図面が焼けないとなったら、仕事を失ってしまう可能性があるわけです。大企業なら取引先に2~3日待ってくれと言うこともできたでしょうが。そういうことがないように自社でアフターサポートをすることにして、感光紙も要望があったらすぐに届けられる体制にしたんです。それが評価されて中小企業のお客様が少しずつ増えてきて、「複写機の大塚商会」と呼ばれるベースができていきました。