Special Feature
INTERVIEW 大塚商会 代表取締役社長 大塚裕司 30年前に着手したDX 中小企業の変革を支える責任がある
2021/10/20 09:00
週刊BCN 2021年10月18日vol.1895掲載

週刊BCNが創刊以来フォーカスしてきた「ITの流通」で、市場の中核的存在としての地位を確立しているのが大塚商会だ。今年7月に創業60周年を迎えた。創業家出身の2代目である大塚裕司社長が同社に入社したのはBCNの創業年と同じ1981年。この40年間の市場の変遷を踏まえ、新型コロナ禍を経たニューノーマル時代にITベンダーはどんな価値を社会に提供すべきなのか。BCNのメディア事業担当取締役である奥田芳恵がインタビューした。
(聞き手/BCN 取締役メディア事業担当 奥田芳恵)
(構成・文/本多和幸 撮影/馬場磨貴)
今も記憶に残る 創業時の雰囲気
奥田 10月で週刊BCNは創刊40周年を迎えましたが、大塚商会も今年7月に創業60周年、大塚社長ご自身も8月には就任20周年を迎えておられます。お互いに節目の年になりました。大塚 ええ、つまり、私が社長に就任したのが、ちょうど大塚商会の創業40周年のタイミングだったわけで、何かと縁を感じますね。
奥田 昨年こそ新型コロナ禍の影響を受けて2009年度以来の減収減益になりましたが、今年度上期決算のタイミングでは期初の業績予想を上方修正して、成長基調は維持されていますよね。こうした現在の大塚商会の強さがどのように形づくられてきたのか、せっかくの機会ですので改めて大塚社長の見方をうかがってみたいです。
大塚 当初はもともと「青焼き」のコピー機と紙を売っていた会社です。しかもアンチリコーの(笑)。ご存じの方も多いと思いますが、創業者である父は終戦でミャンマーから戻ってきて、(リコーの創業者である)市村清さんの下で働いたんです。理研光学工業(現在のリコー)では凄腕のセールスマンだったと当時を知る人は言ってくれます。しかし、労働組合の委員長を務めて市村さんの排斥運動に参加し、結局失敗して辞めてしまうんですね。その後いろいろ苦労しながら、38歳の時に30万円を元手につくった会社がこの大塚商会なんです。
奥田 創業までが既に波瀾万丈です。
大塚 従業員が少しずつ増えていく中で、毎月25日近くになると家の中で「へそくりはないのか」なんていう会話が飛び交う。そうすると、うちってお金ないのね、と思うわけです。
奥田 子供心にも心配されていた……。
大塚 母と学校帰りにそば屋に行って、天ぷらそばをじーっと見ながら、「ざるそばでいい」と言ったことがあったんです。母は「天ぷら付きでも構わないよ」と言ったんだけど、「お金あるの?」と聞いたらしくて。自分では覚えていないんですけど。親はショックだったでしょうね(笑)。
当時私は小学校の中学年で、会社の雰囲気はよく覚えています。その後、4~5年経つとより会社らしくなっていきました。
父が創業時からよく言っていたのが、コピー機業界というのはすごく恵まれた業界だということです。コピーは機械を売った後に感光紙の販売も付いてくる。車に例えるとガソリンを一緒に売っているようなもんだから、お客様との縁が切れなくていいビジネスなんだと。このスタンスは今も基本は同じです。
従業員は、3人目に採用したのが機械のメンテナンスをする技術者の方だったんです。自社で販売した機械は自社で修理に行くという方針で、これも当時は非常に珍しいスタイルでした。
奥田 どういう狙いがあったんでしょうか。
大塚 コピー機業界全体が大手企業を相手にビジネスをする中で、大塚商会は中小企業を対象に独自の顧客基盤をつくろうとしました。中小の設計事務所などが明日納品する図面が焼けないとなったら、仕事を失ってしまう可能性があるわけです。大企業なら取引先に2~3日待ってくれと言うこともできたでしょうが。そういうことがないように自社でアフターサポートをすることにして、感光紙も要望があったらすぐに届けられる体制にしたんです。それが評価されて中小企業のお客様が少しずつ増えてきて、「複写機の大塚商会」と呼ばれるベースができていきました。
COF戦略がワンストップソリューションの礎に
奥田 創業時はアンチリコーというお話でしたが、今ではリコーと非常に密接な関係にあります。大塚 1960年代の後半に、リコーの電子リコピーという製本された印刷物がコピーできる機械がものすごく売れて、自社の成長のためにはこれを扱うべきだということになりました。父が市村さんに詫び状を書いてお目通りが叶い、リコーの販売代理店になる許可をいただいたんです。当時、市村さんは入院中で、その1カ月後には亡くなってしまうのですが、リコー関係者を除いて最後にお目にかかったのが父だと聞いています。
奥田 これもすごいドラマです。70年代にはオフコンの取り扱いも始めておられますよね。
大塚 もともと60年代に電卓を扱い始めたのですが、すぐに低価格化が進んだので、オフコンの販売に移行したんです。ただ、最初に扱ったオフコンのメーカーは、大塚商会が自社で顧客の保守サポートをすることを認めてくれなかったんです。そこでNECとの提携に全面的にシフトしました。
リコー、NECの製品は現在も当社の主力商材ですが、紆余曲折があって非常に強い関係を築くことができたんでしょうね。また、70年代は複写機(Copy)、オフコン(Office Computer)、ファクシミリ(FAX)の頭文字を取って、「COF戦略」を掲げていました。複写機の部隊がお客様の情報を集めてきて、例えばオフコン部隊に「このお客様はコンピューターに興味がある」と伝えると、彼らがデモに行く。取引が既にあるお客様とは信頼関係もありますし、飛び込みで営業するよりもはるかに効率がいいじゃないですか。
お客様に必要な商材を1社で全て扱い、販売からアフターサポートまでを担う「ワンストップソリューション」は現在の大塚商会の基本的な姿勢ですが、その源流はCOF戦略なんです。
会社を潰すことは経営者の最大の罪
奥田 大塚社長ご自身は入社された後、どんな取り組みをされてきたのでしょうか。大塚 私が入社したころに、大塚商会はPCを扱いだしているんです。入社翌年の82年に八重洲に「OAセンター」というPCショップをつくって、PC事業に本格進出しました。
私は銀行員を経験した後にリコーを経て大塚商会に入社しましたが、もともとPCを自分で買って弄っていたPCマニアでした。それもあってOAセンターを立ち上げたんですが、ここにサポートができる人材も配置して、その後、全国16カ所に拡大しました。90年代になるとPCとオフコンを両方売れる会社になっていくんですけど、そのきっかけはOAセンターですね。
奥田 その後いったん、大塚商会の外に出られて……。
大塚 まあ、クビにされたんです(笑)。いろいろありまして、ベンチャーのソフトハウスに入社したんですが、1年半ほどして、ちょうどバブルが弾けた後ですが、その会社の社長のところに父が来て、連れ戻されたという経緯があります。それが92年です。
そのころ大塚商会がやっていたのは、ネオダマ戦略ですね。今度はネットワーク、オープンシステム、ダウンサイジング、マルチメディア&マルチベンダーの頭文字を取りました。
「NetWare」(ノベルが提供していたサーバー専用のネットワークOS)が日本に入ってきて、技術者を増やしてPC-LANのサポート部隊をつくったりしたころですね。前後して父がオフコン部隊とPC部隊を合体させたり、それまではNEC一本槍だったのが、マルチベンダー型で「αランド」という新しいPCショップを立ち上げました。周辺機器やソフトウェアも含めてコンピューターの進化と新しい可能性を感じてもらえるような場を目指しました。
奥田 バブルが弾けた後、大塚商会のビジネスは順調だったのですか。
大塚 89年の売上高は1311億円くらいで経常利益は63億円だったんです。ところが戻った年は、売り上げこそ2002億円なんだけど、経常利益は5億3000万円。有利子負債借入金が887億円、支払金利は57億円だったかな。なかなかマズイでしょう?
奥田 自分が経営者だったらと考えると怖いですね(笑)。
大塚 社内システムやガバナンスの仕組みも含めて、限界が来ていたということだと思います。そこで一時は情シスの担当もやって、「大戦略」という情報システムのアップデートを含む包括的な社内改革に取り組んだんです。
93年には、基幹系と情報系をつないで、全部PC-LAN上で動かし、基本のマスターが1本という構想ができあがっていました。今でいうDXの基盤としても十分成り立つ考え方を30年前にはしていたということだと思います。
ところで、経営者が一番やっちゃいけないことって何だと思いますか。それは、会社を潰すことです。
奥田 大変身に染みるお言葉です。
大塚 銀行員時代、その辛さをよく見てきましたから、私にとっては一種の原体験です。会社を潰さないために、基幹系は企業会計原則通りにプロセスが動くことを前提としてつくり直しました。
会社がなぜ潰れるかというと、最終的にはキャッシュフローが止まるからです。逆に言えば、どんなに赤字を出していても、お金が回っていればいい。売掛金で回収できないものや、もう売れない在庫でバランスシートが汚れると、資金源が切れるわけです。
それを防ぐために、従来、250カ所の拠点ごとに在庫を持って仕入れから売り上げ計上までできていたのを、全て一つのシステムで統合管理することにしたんです。受注までは現場の仕事だけれども、何がどこにいつ納められて、いつお金に換わるのかということは本部が管理するようになりました。拠点の在庫倉庫は全部撤廃して集中倉庫に変え、在庫コントロールも効率的・高精度にできるようにしました。
奥田 成果はすぐに数字に表れたのでしょうか。
大塚 98年に新しい基幹系が動き出したのですが、以降の売上高と借入金の推移を見ると、毎年のように借入金が減っています。03年に竣工した本社ビル建設のために190億円と大規模な借り入れをしているのですが、これも実質1年で返してしまった計算です。それだけのキャッシュフローがまわる仕組みができたんです。

週刊BCNが創刊以来フォーカスしてきた「ITの流通」で、市場の中核的存在としての地位を確立しているのが大塚商会だ。今年7月に創業60周年を迎えた。創業家出身の2代目である大塚裕司社長が同社に入社したのはBCNの創業年と同じ1981年。この40年間の市場の変遷を踏まえ、新型コロナ禍を経たニューノーマル時代にITベンダーはどんな価値を社会に提供すべきなのか。BCNのメディア事業担当取締役である奥田芳恵がインタビューした。
(聞き手/BCN 取締役メディア事業担当 奥田芳恵)
(構成・文/本多和幸 撮影/馬場磨貴)
今も記憶に残る 創業時の雰囲気
奥田 10月で週刊BCNは創刊40周年を迎えましたが、大塚商会も今年7月に創業60周年、大塚社長ご自身も8月には就任20周年を迎えておられます。お互いに節目の年になりました。大塚 ええ、つまり、私が社長に就任したのが、ちょうど大塚商会の創業40周年のタイミングだったわけで、何かと縁を感じますね。
奥田 昨年こそ新型コロナ禍の影響を受けて2009年度以来の減収減益になりましたが、今年度上期決算のタイミングでは期初の業績予想を上方修正して、成長基調は維持されていますよね。こうした現在の大塚商会の強さがどのように形づくられてきたのか、せっかくの機会ですので改めて大塚社長の見方をうかがってみたいです。
大塚 当初はもともと「青焼き」のコピー機と紙を売っていた会社です。しかもアンチリコーの(笑)。ご存じの方も多いと思いますが、創業者である父は終戦でミャンマーから戻ってきて、(リコーの創業者である)市村清さんの下で働いたんです。理研光学工業(現在のリコー)では凄腕のセールスマンだったと当時を知る人は言ってくれます。しかし、労働組合の委員長を務めて市村さんの排斥運動に参加し、結局失敗して辞めてしまうんですね。その後いろいろ苦労しながら、38歳の時に30万円を元手につくった会社がこの大塚商会なんです。
奥田 創業までが既に波瀾万丈です。
大塚 従業員が少しずつ増えていく中で、毎月25日近くになると家の中で「へそくりはないのか」なんていう会話が飛び交う。そうすると、うちってお金ないのね、と思うわけです。
奥田 子供心にも心配されていた……。
大塚 母と学校帰りにそば屋に行って、天ぷらそばをじーっと見ながら、「ざるそばでいい」と言ったことがあったんです。母は「天ぷら付きでも構わないよ」と言ったんだけど、「お金あるの?」と聞いたらしくて。自分では覚えていないんですけど。親はショックだったでしょうね(笑)。
当時私は小学校の中学年で、会社の雰囲気はよく覚えています。その後、4~5年経つとより会社らしくなっていきました。
父が創業時からよく言っていたのが、コピー機業界というのはすごく恵まれた業界だということです。コピーは機械を売った後に感光紙の販売も付いてくる。車に例えるとガソリンを一緒に売っているようなもんだから、お客様との縁が切れなくていいビジネスなんだと。このスタンスは今も基本は同じです。
従業員は、3人目に採用したのが機械のメンテナンスをする技術者の方だったんです。自社で販売した機械は自社で修理に行くという方針で、これも当時は非常に珍しいスタイルでした。
奥田 どういう狙いがあったんでしょうか。
大塚 コピー機業界全体が大手企業を相手にビジネスをする中で、大塚商会は中小企業を対象に独自の顧客基盤をつくろうとしました。中小の設計事務所などが明日納品する図面が焼けないとなったら、仕事を失ってしまう可能性があるわけです。大企業なら取引先に2~3日待ってくれと言うこともできたでしょうが。そういうことがないように自社でアフターサポートをすることにして、感光紙も要望があったらすぐに届けられる体制にしたんです。それが評価されて中小企業のお客様が少しずつ増えてきて、「複写機の大塚商会」と呼ばれるベースができていきました。
この記事の続き >>
- 複写機+オフコン+ファクシミリが「ワンストップソリューション」の源流
- 30年前にDXを先取りした社内大改革「大戦略」をスタート
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