顧客や取引先からの著しく理不尽な要求や迷惑行為を指す「カスタマーハラスメント」(カスハラ)に明確な対応方針を示すITベンダーが現れている。カスタマーサクセスが重要視される中、度が過ぎた顧客の言動にどう対処するかは大きな課題になりつつある。社会全体でもカスハラを問題視する動きは広がっており、取り組みへの関心は高い。IT業界で先駆けてカスハラへの対応方針を示したfreeeとヌーラボの事例から、今後の顧客との向き合い方を探る。
(取材・文/藤岡 堯、岩田晃久)
カスハラは事業主が対策を 厚労省が指針、マニュアル公表
まずはカスハラ対策をめぐる近年の社会環境を振り返ってみよう。2019年6月の労働施策総合推進法などの改正により、職場におけるパワーハラスメント防止のために必要な措置を講じることが事業主に義務付けられた。この改正を踏まえ、厚生労働省は20年1月、「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」を公表。この中で「顧客等からの著しい迷惑行為」に対しても、事業主は適切な対応を図るべき、との考え方が示されている。
企業や業界によって、顧客との接し方に違いがあり、明確にカスハラを定義することは難しい。厚労省が22年2月に発表した「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」においては、顧客などから寄せられるクレーム・言動が「要求の内容が妥当性を欠き」かつ「要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なもの」、そして、それによって「労働者の就業環境が害されるもの」をカスハラと位置付けている。具体的な例としては、暴行や傷害、脅迫、侮辱、暴言といった身体的・精神的な攻撃、威圧的な言動、土下座の要求などが挙げられる。
カスハラは従業員に過度な精神的ストレスを感じさせるとともに、業務に支障を生んだり、従業員の退職につながったりなど大きな損失をもたらしかねず、企業や組織において従業員を守ることは事業主が積極的に行うべき事柄となっている。ITベンダーについては、サブスクリプションビジネスへの移行によって、導入後のカスタマーサクセスに重きが置かれるとともに、顧客との付き合いが長期的なスパンとなりつつある。その中でカスハラにどう対応していくかを考えることは、ITベンダーにとって大きな課題になっているといえよう。
真に聞くべき声に耳を傾けるために
freee
freeeは23年2月、「カスタマーハラスメントに対するfreeeの考え方」を公表した。きっかけは22年夏に寄せられた1本の電話だった。40分以上にわたる電話は、顧客自身の操作ミスに端を発する苦情であり、「殺すぞ」といった脅迫が断続的に続いたという。
同社では3カ月に1度ほどの頻度でカスハラに該当する事例が発生しており、従業員が恐怖心やつらい気持ちを抱いたり、退職につながったりなどの悪影響が現れていた。このような顧客への対応に迫られ、他の顧客へのサポートに支障を来たすケースもあり、何かしらの対策が必要だと考えていたことから、本格的に会社としての姿勢を打ち出すことを決めた。
「考え方」では、厚労省のマニュアルに基づき、カスハラの対象となる行為を定めているほか、対応の一つとして、サービスやサポートの提供を断る旨を明記している。
freee
久保友紀恵 カスタマーハラスメント
対策推進リーダー
思い切った対応方針といえるが、「考え方」の策定に携わった、カスタマーサクセス事業本部Support Excellence Groupの久保友紀恵・カスタマーハラスメント対策推進リーダーは「(自社が掲げる)『マジ価値』を適切な人に届けられるのかという不安の声はあった」と振り返る。
懸念されていたのは、本当に困っている顧客の声を「カスハラ」として認識してしまうことだ。そんな声に対して久保リーダーらは、社内でコミュニケーションを積み重ね、不安の解消に努めたという。
最終的には、カスハラとなる明確な条件を細かく具体的に定義したほか、該当事例が蓄積した段階で公表し、基準をブラッシュアップする方向性を示すなど、対応の妥当性を担保する仕組みを明確にすることで理解を得た。久保リーダーは「傷ついたからカスハラ、となることは好ましくない」とも語り、基準づくりの大切さを強調する。
ただ、サービスやサポートを断るとしても、そこに至った要因を掘り下げ、顧客が抱えていた問題は何だったのか、ほかにできるサポートはなかったのかなどを検討するとし「カスハラだから考えるのを止める」ことにはならない。
「考え方」では、「freeeらしい顧客接点を提供するために(考え方を)作成した」との一文がある。その意味について久保リーダーは「お客様が求めていること、freeeに期待しているものとのギャップがどこにあるかということは重要な意見となる。カスハラを定義することで、お客様の声にしっかりと耳に傾ける時間がとれ、製品に反映できる。お客様のためとなる顧客接点をつくり続けていけたらいい」と説明する。真に聞くべき声に対応するためにも、カスハラとなる言動を明確に切り出すことが求められるというわけだ。
「カスハラ」を抑止する観点も大切だが、それ以上に「価値を届けたい顧客によりフォーカスできるようになったり、従業員が安心して働ける環境をつくったりといったポジティブな影響を大きくしたい」と久保リーダー。「考え方」を発表したことで、他社からも「どうやってつくったのか話を聞きたい」といった声が寄せられており「どこかの会社の力になれればいい」と期待を込める。他社が同様の指針を策定する場合は、カスタマー対応の部署だけでなく、法務などの他部署も積極的に巻き込み、全社で意識を共有していくことが大事だとも指摘する。
カスタマー担当が働きやすい環境を実現
ヌーラボ
プロジェクト管理ツール「Backlog」やビジュアルコラボレーションツール「Cacoo」などを提供するヌーラボは、20年6月に「カスタマーハラスメントへの対応に関する方針」を発表。いち早くカスハラへの取り組みを開始している。どういったケースがクレームやカスハラに該当するのか、該当するケースが発生した際の動き方などを社内で整備したことで、カスタマー担当者が働きやすい環境を実現している。
同社は、顧客からの問い合わせに対して、メールとチャットで対応する。方針の中で「ハラスメントと断定されるような言動をとるお客様が、ごくわずかですが見受けられることも事実です」と書かれているものの、カスタマー部の高橋玲子氏は「実際は、語気が強めに書かれている問い合わせはあったが、カスハラに該当するものはなかった」と話す。
その中で、方針を出すきっかけとなったのが、厚労省の指針が示されたことだという。新型コロナウイルスの感染が拡大し、リモートワークでのカスタマー対応を本格的に開始した時期であったことから、カスハラに該当する問い合わせを受けた際、担当者が一人で抱え込んでしまうといったことを危惧した橋本正徳・代表取締役が主導し、カスハラへの対応を明確にした。また、方針を出すことで、カスタマーサポートの品質向上にもつなげる狙いがあったという。
方針を発表した直後から、社内ルールの整備を開始した。従来は、クレームなのかハラスメントなのか判断が難しかった問い合わせを、基準ごとに「ソフトクレーム」「ハードクレーム」「ハラスメント」の三つの領域に分けた。
カスタマー部の蛭田真衣氏は「基準が明確になったことで判断がしやすい。ハラスメントに該当するケースが出てきた際も、無理に対応しなくてもいいことを会社が示したことで気持ちも楽になった」と話す。クレームやハラスメントに該当する事案の場合、関係者が多くなり、時間も費やすため、通常のサポートが必要なユーザーへの対応にも影響が出ることからも、基準を明確にすることで円滑に業務が進むようになっているという。
カスタマー担当者専用のチャットスペースも作り情報共有しやすい体制も構築した。同社には、定型の問い合わせにはテンプレートを用意し対応しているが、込み入った問い合わせなどには、担当者が個別で返信している。その際、文章の表現で誤解を与えたりしないよう、チャットスペースを活用して複数人でレビューし、言い回しを考えて文面を作成している。
クレームに関する研修をカスタマー担当者が受講するといった取り組みも実施した。高橋氏は「どこまでが事実で、どこからがお客様の推測で話しているのか、どういった要望なのかといったように、問い合わせ内容を分解し理解することが大事だと学んだ。現在は、その部分を意識して対応している」と語る。
クレームやカスハラには該当しないものの、強めの表現で問い合わせてくるケースの多くは、ユーザー側に焦りが生まれているときだという。具体的には、プラン変更やデータ移行の期日が迫っている中で、ユーザーが対応を忘れ、期限を過ぎてしまっている場合などがあるそうだ。
蛭田氏は「お客様の言い分に対して理解できる部分も多い。ニーズにはできるだけ応えたいが、どうしても対応できないということをいかに理解してもらうかが重要だ」と話す。
現在、カスハラに該当する問い合わせはなく、ハードクレームもごくわずかのため、対応は発生していないという。ただ、事前に対応策を決めておくことは、いざというときに従業員を守り、業務に影響を与えないようにする上で重要だといえる。