ネットワーク上でストレージを共有する「SAN」という言葉をよく耳にする。この分野で、市場形成のリーダー的役割を果たしているのが米ブロケードコミュニケーションズシステムズ。日本法人の松島努社長は、欧米での成功例が伝えられるにつれ、日本企業も「SANに力を入れないと取り残される、という意識は共通になりつつある」と指摘する。
ROI(投資収益率)アップに大きな効果
――業績好調のようですが、米本社の売り上げはどう推移していますか。
松島 1999年度(10月期決算)は6870万ドルでしたが、00年度は3億2900万ドルで対前年度比伸び率は約5倍と、一気に立ち上がりました。01年度は5億1300万ドルで、同56%増の伸びとなります。
――00年はITバブルがはじけかけた年で、米国からは倒産話なども伝わってくるようになっていました。この時期に伸び始めるというのは異例ですね。
松島 ITバブルがはじけても、ユーザーはIT投資、とくにストレージへの投資の必要性は痛感していた。何しろ、情報量は爆発的に増え続けているわけですからね。ただ、投資の姿勢は非常にシビアになり、ROI(投資収益率)の向上、TOC(所有総コスト)の削減という指標をものすごく重視するようになった。これに応えたのがSAN(Storage Area Network)であり、SANを構築するためのキーデバイスである当社のファイバーチャネルスイッチも売れるようになったと理解しています。
――SANというのはどんな狙いをもったシステムなんですか。
松島 簡単にいいますと、DASに対するアンチテーゼとして生まれました。従来、コンピュータとストレージの使い方で主流となっていたのは「DAS(Direct Attached Storage)」です。直接接続型ストレージと訳される通り、サーバーとストレージは1対1の関係で接続されているんです。この場合、3台あるディスクのうち、1台のディスクは空き容量がなくなったが、1台のディスクにはまだ90%の空き容量があるとします。サーバーとストレージが1対1の関係にある以上、空き容量がなくなったディスクは増設しなければなりません。これはあまりに不合理だろうという発想で生まれたのがSANです。基本的にサーバーとディスクは多対多の関係にあります。ネットワークでつながれたすべてのディスクはすべてのサーバーから共有して使えるようにしようという仕組みで、ネットワーク全体のディスク容量が不足した場合のみ増設をすれば良いんです。既存資産の有効活用、管理コストの削減など、さまざまなメリットがあるため、普及を始めたわけです。
――そのなかで御社の役割は。
松島 サーバーとストレージの間に存在し、データの流れをコントロールするスイッチのみを手がけています。
――シェアは?
松島 ワールドワイドで見ますと約90%。事実上の世界標準となっています。
――なぜそこまでのシェアを握れたのですか。
松島 当社創業者のクマール・マラバリは、ヒューレット・パッカード(HP)で長くストレージを担当し、この世界では“神様”と呼ばれてきた人間です。SANの発想は、彼が中心になって育ててきたと聞いていますが、ネットワークのなかで使う以上、サーバーもストレージもマルチベンダー環境が前提になります。異なったメーカーのサーバー、ストレージ間で自在にデータのやり取りができるようにならなければならない。そのためには標準化が重要だということを最初から意識し、標準化団体であるANSIなどに積極的に提案してきた経緯があります。SANの規格というのは、ブロケード主導の下に策定されてきた側面もあり、これがシェアにも結びついています。
――どのような売り方を行っているんですか。
松島 基本はストレージメーカーへのOEM販売です。米国で契約しているコーポレート契約企業は、IBM、コンパック、HPなど、日本でのローカル契約企業は富士通、日立製作所、NEC、ソニー、東芝などで、世界で名前の知られたディスクメーカーにはほぼすべてOEM供給しています。
売り上げを2年間で世界全体の10%へ
――社長就任にあたっては、どのようなミッションで合意したのですか。
松島 向こう2年間で、日本での売り上げをワールドワイド全体の10%にするという点が基本です。
――10%というのはかなり高い目標ですね。そこまでの数字を上げているところはあまりないと思いますが。
松島 日本IBMなどはクリアしていますが、あまりないでしょうね。実はSANの普及という側面で見ますと、日本は後進国なんですよ。中国より遅れているというデータもある。
――それはなぜですか。
松島 日本のコンピュータメーカーはディスクメーカーでもありますよね。ディスク部隊としては、DASの方が台数が出ますのでビジネスになると考えるのは当然で、ちょっと方向転換が遅れたということだと思っています。
――日本メーカーの意識は変わったんですか。
松島 それはそう思いますよ。欧米での成功例が伝えられるにつれて、ユーザーは明らかにSANを評価し始めていますから。SANに力を入れないと取り残される、という意識は共通のものになりつつあります。当社が日本法人を設立したのは昨年4月ですが、サポート体制が整ってきたことで、各ディスクメーカーともに今はSANに非常に積極的ですね。
――独自の販売戦略などはお考えですか。
松島 OEM販売が主体ですが、それだけではカバーできない市場もあります。マルチベンダー間のサーバー、ストレージをつなぐ
――われわれは「ヘテロな環境」と呼んでいるんですが、こうしたニーズは日本でも着実に増えています。
松島 そこで、マルチベンダー環境のシステム構築に強い中立的SIベンダー5社ほどと組み、ヘテロな環境に対応したシステム需要に応えていきます。また、OEM販売だけでは、実際にユーザーがどのように使い、どんな悩みをもっているのかつかみにくいので、エンドユーザー・ハイタッチと呼ぶ営業要員を増やしていきます。とにかく、目標より1日も早く10%を達成したいですね。
眼光紙背 ~取材を終えて~
松島社長は、日本IBM時代、辣腕の営業マンとしてならした。ブロケードを選んだのは、今後伸びるのはセキュリティとストレージで、ブロケードは大きな可能性を秘めているからだという。ブロケードは確かに急成長を続けている。だが、今はファイバーチャネルスイッチという単一商品しかもっていない。数年は大丈夫だろうが、その先はと聞くと、「何が起こるか全くわからないのがこの世界」と軽くいなされた。松島社長が例として挙げたのが、日本IBM時代に売っていたハードディスクの話。最先端をうたった2.3GBハードディスクは3000万円だったという。15年ほど前だ。それが今は数万円…。今は大企業向けのSANだが、中小企業にも利用できる時代は意外に近いかもしれない。(見)
プロフィール
(まつしま つとむ)1983年3月、慶応大学工学部管理工学科卒業、同4月日本アイ・ビー・エム入社。91年3月、同社製造営業統轄本部チームリーダーに就任。95年1月、日本モトローラ(現モトローラ)入社、医療システム営業本部課長、同次長など歴任。99年3月、コンピュータ・アソシエイツ入社、00年10月同社副社長に就任。02年1月、ブロケードコミュニケーションズシステムズ代表取締役社長就任。
会社紹介
「ブロケード」というのは金襴の意味だという。「金襴緞子の帯締めながら」という童謡があるが、この金襴である。複雑に絡み合ったネットワークの構成を絹織物になぞらえて社名にしたという。高速にデータのやりとりができるファイバーチャネルスイッチという独特の技術をもつ、スイッチ専業メーカーである。ハードディスクは、最先端技術を必要とするハイテク製品の象徴的製品だ。そのハードディスクには手を出さず、キーデバイスであるスイッチのみに絞っていることが、ハードディスクメーカーとしてもOEM購入しやすい背景となっている。ブロケードのプロモーション活動で目立つのは、スイッチを知ってもらうというより、SANそのものの伝道者として活動している点だ。90%のシェアをもっている以上、SAN市場の拡大こそが同社の成長に直結しているという戦略なのだろう。