今年10月、コンパックコンピュータと日本ヒューレット・パッカード(日本HP)が合併し、新生HPの日本法人が誕生する。社員数約7000人。一足早く5月に合併を終えた米本社は、売上規模10兆円、社員数14万5000人と、世界第2位のコンピュータメーカーになった。新生HPの日本法人社長に就任する高柳肇・コンパック社長も、着々と戦略を組み上げつつある。
縮まったIBMとの距離技術に軸足を置いた企業へ
――IT業界における新生HPの意義は。
高柳 コンパックとHPは、IT業界のリーダーになるという共通の目標の下に合併しました。世界的に見れば、IBMという高くて大きな山があり、ほかのメーカーは、谷間に埋もれている印象を受けます。コンパックやHPにしても、単独ではIBMに勝てない。
しかし、合併したことで、IBMとの距離が大きく縮まりました。数メートル先にはIBMの背中が見えるほどです。IBMはサービス企業への脱皮を宣言し、高収益体質をつくりあげました。しかしこれは、製造・開発中心の企業からサービス企業へと軸足を移した決断でした。製造・開発部門を大幅に削減したとも聞いています。
極端に言えば、1960年代、世界を愕然とさせたIBMの技術力は、影が薄くなり、IBM発の新しい技術が少なくなりました。サービス企業になるということは“モノづくり”を脱するということで、IBMではこの施策が大きな成功を収めました。これに対し、新生HPは、もう一度、製造・開発に立ち返り、技術面でも世界のリーダーを目指します。技術本位の企業として、世界を席巻するために合併したと言っても過言ではありません。技術に軸足を置いた企業になるという方針は、全社的な合意が得られています。
――日本の電機大手も“モノづくり”を脱し、サービス企業色を強めようとしていますが。
高柳 変な風にIBMを真似てしまいました。国産メーカーのなかには、「IBMを真似ればいい」という“美しき誤解”があります。この業界は60年代以降、IBMがつくった技術が世界の標準になる歴史の積み重ねでした。IBMを追っている限り、日本企業もメインストリームを踏み外すことはない。そしてIBMは、製造で行き詰まると、外部から凄腕経営者を招き入れ、サービス企業に転身して、これまた成功した。真似したくなる気持ちはよく分かります。ところが、日本メーカーは、メインストリームを歩いているつもりが、実は違っていた。結局、世界を席巻するような国産CPUをつくれず、世界標準は、すべて米国企業が握っています。
製造・開発には、「研究技術」、「開発技術」、「製造技術」という3つの要素が必要です。3つ目の製造技術は、製造大国になりつつある中国がすべて吸収するでしょう。一方で、研究や開発技術は米国企業がみんなもっていく。これでは、日本のIT産業には、何も残らなくなる恐れがあります。IBMは、汎用機で積み上げた顧客ベースがあるため、基本ソフトの使用料だけで日銭が稼げます。伝統的な部分からくる収益基盤がしっかりしていた上で、サービス企業に脱皮できましたが、この基盤が弱いメーカーが、IBMの真似をしても難しい。
確かに、モノづくりで利益を出すのは、並大抵なことではありません。技術が世界標準になれば、すべて互換製品で補えます。パソコンがまさにそうで、キーになる部品さえ揃えば、どこの国のメーカーでも、比較的簡単につくれてしまう。これに付加価値をつけるのは、相当難しい。だからこそ新生HPは、これから世界の標準となる技術を積極的に研究・開発して、世界のリーダーになる方針を打ち出したのです。
合併作業は6合目ぐらい来年が勝負の時
――日本法人の統合プロセスは、今、何合目あたりにあるのでしょうか。
高柳 日本では、今年10月を目途に新生HPへと統合します。日本法人の組織づくりは、登山に例えれば6合目くらいでしょうか。登山では9合目まで登っても失敗することがあるので、まだまだ気を抜けません。公式には、私が社長になり、日本HPの寺澤(正雄社長)さんが会長になることくらいしか発表していませんが、組織づくりは、今まさに大きく動いている最中です。米国での存続ブランドはHPですが、新生HPの米国、欧州、アジア太平洋、日本のトップは旧コンパック出身です。これはフィオリーナ(カーリー・フィオリーナ新生HP会長兼CEO)も含めて、旧コンパックの人材を主力の企業向けトップに充てるという判断です。
日本のコンパックでは、新生HPへの統合を前にして、少なくとも社長直轄の営業部門である通信、製造業(OEMを含む)、金融・官公庁の3部門のトップ人事を内定しました。しかし、3大営業部門のトップを決めたというだけで、詳細な部門名や下部組織は依然として白紙のままです。とはいえ、もう時間がありません。あと3か月で日本法人の組織を組み上げ、10月に新生日本HPをつくります。新生HPの会計年度末は10月末ですから、翌月の11月から新年度が始まります。
――新生HPでは、すでに世界で1万5000人の人員削減方針を打ち出しています。日本でのリストラはどうしますか。
高柳 もちろん行います。何人削るかは申し上げられませんが、新生日本HPが旧日本コンパックと旧日本HPを足して2倍の売り上げになるかどうかは分かりません。人間だけが2倍に増えて、売り上げがそうならなければ意味がない。ビジネスありきで人員規模を決め、初年度(02年11月―03年10月期)のスタートダッシュに神経を集中します。来年が勝負の時と考えてます。
IT業界は今後、特定大手に市場シェアが集約していく度合いが高まります。世界では、IBMと新生HPの2極化が急速に進みます。日本においては、残念ながら世界における影響力をそのまま新生日本HPで発揮できるかといえば、まだそうではありません。先ほど、世界ではIBMまで数メートルの距離に迫ったと申し上げましたが、日本では、まだ何キロも距離があります。
――新生HP本社のフィオリーナ会長は、NECや日立製作所のトップとも親交があると聞きます。フィオリーナ会長の意図を、どう評されますか。
高柳 フィオリーナにとって、今回の合併は、IBMをつかまえてIBMの前に出るための手段でしかありません。しかし日本において、新生日本HP単体ですぐにIBMの先に出るのは難しい。NECや日立は、新生HPの重要なOEM供給先であり、重要なパートナーです。IBM包囲網を築くうえで、フィオリーナが両社に対して特別な感情をもっていても不思議ではありません。また、巨人IBMを巡り、合従連衡する可能性も十分あり得るでしょう。
――パソコンやPCサーバーの販社施策は。
高柳 これまでの販売施策にまったく変わりはありません。家庭向けのパソコン販売では、キヤノン販売とソフトバンク、中堅・中小企業向けでは大塚商会などが重要なパートナーです。販社の方々には、旧コンパック製品と旧HP製品の、どちらでも、お気に召した方を取り扱って下さいとお願いしています。
眼光紙背 ~取材を終えて~
高柳社長に直接お会いするのは、実に5年半ぶりのこと。第一印象は、「以前とほとんど変わってないな」。かつてのタンデム時代、取材時に感じた独特の精悍さは、未だに健在だ。日本IBMから日本タンデムコンピューターズ社長に転じたのが17年前。以来、10数年にわたりタンデムを陣頭指揮してきたが、98年に入ってコンパックとの合併・社長就任、日本DECの合併と、環境は目まぐるしく変化。そして、今、新生HPを率いることに。「私が決めたことではない」――。こう謙遜するものの、米国発の相次ぐ再編劇を次なる飛躍に結びつけてきた実績は、決して運だけで語れるものでない。「来年が勝負の時」。そう言い切る高柳社長にとって、新生HPはさらなる挑戦の願ってもない舞台だ。(夏)
プロフィール
(たかやなぎ はじめ)1941年、神奈川県生まれ。65年、慶應義塾大学法学部卒業。同年、日本IBM入社。米IBM本社勤務などを経て、83年に金融営業部長。85年、日本タンデムコンピューターズ社長。98年、コンパックとタンデムの合併にともないコンパックコンピュータ社長に就任。同年、日本ディジタルイクイップメント(日本DEC)を合併。02年10月、新生日本HPの社長に就任予定。
会社紹介
新生HPが“製造・開発のリーディングカンパニーを目指す”と宣言したのは、IBMをつかまえて抜くんだという宣言と読み替えることができる――。新生日本HP社長に就任予定の高柳肇・コンパック社長は話す。
「新生HP米本社会長のカーリー・フィオリーナは、出色の経営者だ。彼女にとって、合併はIBMより先に出るための手段に過ぎない。今後、IT産業が大手に集約することを先読みして先手を打った。しかし、株式の18%を握るHPの創業者一族の反対に遭った時点で、普通の経営者ならば萎えてしまう。こちら側の旧コンパック経営者は、正直言って萎えました(笑)。それを裁判所まで行って頑張ってしまうんだから、彼女はすごい」と評す。
「国内では新生HPになってもIBMとの距離がまだある。だが、逆に国産メーカーとの距離を縮め、今後IBM包囲網を築く可能性も十分あり得る」と、IT産業トップへの執着を改めて示した。