オープンソースとグローバルパワー──。SRAが考える成長戦略のキーワードだ。Linuxを中心にオープンソースビジネスを着実に進めてきたSRAだが、今年度(2005年3月期)に入りオープンソースビジネスに特化した社内カンパニーを設立。オープンソースビジネスを一段と加速させる体制を整えた。一方でソフト開発のコスト削減を目的に、中国とインドにある開発子会社への発注を一気に増やし、利益率の改善にも努める。トップ就任から1年。鹿島亨社長が描くキーワードの具体策は何か…。
子会社のターボリナックスを売却、アプリケーション開発などに集中
──4月にオープンソース関連ビジネスに特化した社内カンパニーを設置し、Linuxを中心としたオープンソースビジネスを経営の中核に据えました。一方で、ターボリナックスを買収後2年も経たずに売却と、活発な動きが目立ちます。SRAが目指す方向性は。
鹿島 正直に言って、ターボリナックスの子会社化は、買収時の思惑と計算違いの部分がありました。買収当時は、OSホルダーになったことで、OSからミドルウェア、アプリケーション、パッケージソフトまで、オープンソースに関して総合的にカバーできると考えました。事実、ターボリナックスとの相乗効果という意味では、そのメリットは十分出せたと自負しています。
ところが予想外だったのは、他のオープンソースOSベンダーと仕事がやりにくくなってしまったことです。SRAはOSホルダーになっても、あくまでオープンソースビジネスの主戦場は、その上で走るミドルウェアやカスタム(受託)ソフト、パッケージソフトの開発です。よって、OSの裾野は広ければ広いほど良い。ターボリナックス買収後も、他のオープンソースOSのスーゼやレッドハット、ミラクルリナックスなどとも協業体制を組んでいたかったわけです。
ですが、100%出資子会社という位置付けでターボリナックスを持つことで、「ターボの親会社のSRA」と強く意識されてしまい、OSの裾野を広げることができない状況になったのです。このような状況は買収当時は読めませんでした。ターボリナックスに関しても、親会社なのに「なぜ、他のOSベンダーと仲良くするのか」という意見も出たでしょう。ターボリナックスにとって、良い親会社でなくなる可能性も出てきたわけです。相乗効果がお互いに出せない状況になった以上、選択と集中を早急に図るために売却を検討し、ライブドアに売却を決めました。売却に関しては、実はかなり以前から動いていたんですよ。
──SRAのオープンソースビジネスは、アプリケーションやミドルウェア、パッケージソフト開発に焦点を絞り、集中するということですか。
鹿島 その通りです。ミドルウェアやアプリケーション、パッケージソフトは、今後積極的に投資していき、サポートを加えた形で品揃えを強化していきます。オープンソースデータベースの自社ブランド「パワーグレス」、ウェブサーバーやアプリケーションサーバーなどのミドルウェアを特に強化していきます。また、自社製品にこだわるのではなく、他社ブランド製品も必要であればどんどん調達し、ラインアップを充実させていきます。
──パワーグレスに関しては、国内だけでなく海外での販売も開始しましたね。
鹿島 まずは米国市場で、4月からテスト販売を開始しました。現在、米SRAを総販売元に、販売チャネルの整備を進めている最中です。併せて欧州では今夏、その後には韓国、中国などアジアでの販売も計画しており、今年度は1000本の販売を見込んでいます。ビジネスとして利益を生むことももちろん大事ですが、海外販売にはもう1つの目的があります。海外へソフトを輸出することで、オープンソースに強いSRAを国内外問わずにアピールしていきたいという狙いがあります。日本はソフトを輸入するばかりで、日本のソフトベンダーが輸出で成功しているケースはほとんどありませんからね。
──オープンソース関連ビジネスの今年度の売上目標は。
鹿島 前年度比約50%増の65億円を予定しています。ユーザーがLinuxを中心にオープンソースに注目していることは間違いなく追い風になりますし、各事業部に分散していたオープンソースビジネスのノウハウをカンパニーに結集させたことは大きなメリットになりますので、攻めの経営をしていきたいと思います。
02年、インドに子会社を設立、コストメリットに手応え十分
──オープンソースビジネスの強化に加え、コスト削減を目的に海外子会社へのソフト開発の発注も加速させる方針ですね。
鹿島 受託ソフト開発は単価下落が激しく、そのためインドや中国への海外発注が注目を集めています。ですが、開発文化の違いや言葉の問題など難しい部分は多く、成功しているという現状ではないでしょう。このような新たな開発のスキームは、ソフト開発企業として約40年やってきたのだから、SRAが業界に先駆けてやっていかなければならないと考えていました。インドの子会社は02年に設立し、現在80人のエンジニアを確保してます。また、中国に関してもこの4月に地元IT企業との合弁会社を設立し、体制を整えました。今年度はインドに800人月、来年度は1600人月、中国では今年度70人月、来年度は120人月の発注が目標です。
──開発環境の違いや言葉の問題はどのようにクリアしましたか。
鹿島 標準のソフト開発環境「オープンウェブ」をコンポーネントとフレームワークをベースに開発しました。これを利用すれば、中国でもインドでも日本と同じ開発環境でソフト開発を行えます。共通のテストが行え、進捗管理もどこからでもできるようになります。同じ品質の製品開発が行えるわけで、そうすれば開発工数も短縮できるため、スピードも上がり、コストも削減できます。オープンウェブに関してはまずは自社利用のみですが、販売も計画中です。言葉に関しては、米SRAの日本語と英語のバイリンガルSE(システムエンジニア)を活用し、そのSEに日本とインドの橋渡し役になってもらうことで解決できます。米SRAは、日本よりも早くインドにオフショア開発を行った実績がありますし、SRAの大きな強みといえます。
──海外子会社への発注によるコストメリットは。
鹿島 インドでいえば、日本のソフトベンダーに発注する場合に比べ、1人月約50万円コストを削減できます。ですから、単純に1000人月発注したら、5億円削減できる計算になります。まだまだ始めたばかりですし、失敗することもありますから、単純にこの計算がマッチするとは考えにくいですが、昨年度インドに300人月発注した経験と実績から、十分手応えは感じています。
──強化ポイントに挙げていた分野としてもう1つ、地方拠点の再編がありましたが。
鹿島 関西地域の売り上げ低迷が続いており、関西拠点の再編は特に大きな課題点として、昨年9月から改善策を検討してきました。そして、4月の新体制として関西支社と中部支社を1つにまとめ、社内カンパニーの1つとしました。市場全体は厳しい状態が続くかもしれませんが、重複した部隊を統廃合するなど合理化を進めるとともに、強みを伸ばしていきます。オープンソースビジネスや海外子会社へのオフショア開発が“攻め”の経営だとしたら、このリージョナルSIカンパニーは“守り”の経営という形になります。赤字体質を立て直し、利益の出る体制をしっかり構築します。
眼光紙背 ~取材を終えて~
Change──。鹿島社長が常日頃、口にする言葉である。有言実行。鹿島社長自身も関西拠点の再編やオフショア開発の加速、ターボリナックスの売却など、社長就任後1年間でこれまでのSRAにはない変化をもたらし、黒字転換を果たした。「変わることの大切さは分かっていても、既存の環境や考え方を壊すことは、半端な決意ではできない。『変化を恐れずに、自分のポテンシャルを信じろ』と、社員によく話すんです」インタビューを行った社長室には、「Change is the essence of life」と題した、蛹が蝶へと成長する1枚の写真が飾ってある。変わることの大切さを常に意識し、行動に移そうという気構えの証左だろう。(鈎)
プロフィール
鹿島亨
(かしま とおる)1952年7月生まれ、神奈川県出身。75年、東京大学法学部卒業。同年4月、日本国有鉄道入社。81年、ミシガン大学大学院応用経済学修了。84年、SRA入社。90年、米SRA代表取締役社長。85年、SRAヨーロッパ代表取締役社長。96年、SRA取締役。03年4月、代表取締役社長に就任。米SRA会長とSRAヨーロッパ代表取締役も兼務する。
会社紹介
独立系ソフト開発会社として1967年に設立。受託ソフト開発をメインビジネスに、ネットワーク構築やシステムコンサルティング、ソリューション販売も手がける。社員数は約1300人。国内拠点6か所のほか、海外にも拠点を積極的に築いており、米国やオランダ、インドに子会社を設立している。今年4月には、オフショア開発強化の一環として中国に地元IT企業と共同でソフト開発合弁を設立した。
昨年度(2004年3月期)の業績は、売上高が前年度比4.7%増の303億8100万円、当期純利益が6億2800万円(前年度は2億5600万円の赤字)と、ソリューション販売とインドへのオフショア開発によるコスト削減などで利益率が大幅改善し、黒字転換を果たした。今年度(05年3月期)は、社内カンパニーを昨年度までの3つから6つに増やし、経営のスピード化、事業の効率化を進めるとともに、中国やインドへのオフショア開発をさらに強化し、売上高320億円、当期純利益11億5000万円を見込んでいる。