アドビシステムズはユニバーサルクライアント戦略を推進する。マクロメディアと合併して2年目に入った今年、新生アドビの成長を支える製品群を次々と発表した。これまで十分連携がとれていなかった既存製品を融合させるミドルウェアや開発実行基盤を投入する。融合によって生まれるのが次世代のユニバーサルクライアントだ。PDFやFlashに続く新たなデファクトスタンダードを狙う。
人と情報をエンゲージ 企業向けビジネスを拡大
──合併して製品の種類ばかりが増えて、方向性が分かりにくくなったという声もありますが。
イルグ アドビの戦略は明確です。一言でいえば“エンゲージメント”です。人とデジタル情報を密着させる、つまりエンゲージできる技術を提供することです。これによって人は情報にまるで没入するような感覚をもって接するようになる。
アドビは基幹業務システムをゴリゴリと開発する会社ではありません。こうした分野ではすでにIBMやNECなど先行する企業が多数ある。当社の強みはコンピュータと人をエンゲージさせる技術を持っている点です。2005年末、動画表示ソフトのFlashを持つマクロメディアと合併し、その強みがますます鮮明になったのです。
──企業向けビジネスへのシフトを急いでいる印象を受けます。従来のデジタルコンテンツ制作ソフトだけでは売り上げが頭打ちになるとみているからですか。
イルグ 確かに当社は企業向けビジネスにシフトしています。独自に開発した文書フォーマットのPDFをベースにしたドキュメントの管理、ワークフロー技術は多くの顧客から評価を得ている。ただこれだけでは十分に差別化できているとはいえません。ワークフローシステムだけだったら他社でもそれなりの製品がある。違うのはPDFやFlashというデファクトスタンダードを持っていることです。
世界中の人が日常的に使っている当社のPDFやFlashを、ホームページを制作するときに使うHTMLやインターネットと親和性が高い開発言語のJavaなど既存の業界標準の技術と一体化することで、より豊かな表現力をもったユニバーサルクライアントソフトの開発が可能になります。これを実現する開発・実行基盤技術のアポロ(開発コード名)を年内に完成させます。
デジタルコンテンツ制作用のソフトは約20年の歴史があり、昨年度のグローバルでの売り上げのうち約55%を占める主力製品群です。こうした既存の強みを生かしながら、ユニバーサルなクライアントプラットフォームへの進出を果たし、売り上げを伸ばす考えです。
──先のアポロもそうですが、具体的な狙いは何ですか。
イルグ アポロに続いてスコーピオ(開発コード名)も発表しています。アポロはクライアント環境の開発・実行基盤で、スコーピオは基幹業務システムとクライアントとの連携を担うミドルウェアです。スコーピオはJavaや・NETなどの技術を使って開発された基幹システムとアポロをベースとしたユニバーサルクライアントあるいは通常のインターネットブラウザ、個別で動作しているPDFとFlashを結びつけるハブの役割を果たします。
PDFやFlash、HTML、Java、・NETなどさまざまな標準技術がありますが、エンゲージメントを実現するユニバーサルクライアントの構築にあと何が必要なのか、何を足さなければならないのか。こうした議論の中からアポロやスコーピオの開発を進めてきました。従来の製品ラインアップで足らないところを補うことで合併効果を最大限に引き出し、事業拡大につなげます。
日本市場の特性にマッチ パートナーと連携を強化
──ユニバーサルクライアントのビジネスが立ち上がるのは早くても来年度以降です。当面のビジネスは厳しいものになるのでは。
イルグ エンゲージメントを実現する製品群が世に出て、本格的に売り上げに結びつくのは来年度ということになるでしょう。合併してからの2年間は調整期だという見方もできます。
とはいえ、両社の統合そのものは順調に進んでいます。数多くの製品を抱えていますので、どう組み合わせるのかという技術的な課題は確かに多くあります。一方、新生アドビで働くメンバーの意識の統合はほぼ完了したと言っていい。アポロやスコーピオが出てくれば顧客やビジネスパートナーとの関係強化は旧アドビや旧マクロメディア時代に比べてより一層進むもの確信しています。
業績の見通しについては残念ながら言えません。合併費用の償却や製品を統合するために研究開発費がかさみますが、研究開発はこれで終わったというものではなく、引き続き投資していきます。われわれのようなテクノロジーカンパニーは新規の開発を行わなければ価値を生み出せません。当たり前ですが、今の業績に甘んじるわけではありませんよ。
──国内でのビジネスはどうですか。アドビは日本市場への依存度が他の外資系ソフトベンダーに比べて高いと聞いています。
イルグ 高い品質、表現力豊かな視覚的効果を好む日本の市場特性から、国内でのビジネスは非常に好調です。方向性は間違っていない。日本人は粗雑なものを嫌いますし、PDF、Flashなどを活用した高品質で美しいユニバーサルクライアントによるエンゲージメントは広く受け入れられるものだと思っています。
グローバルの昨年度(06年12月期)連結売上高25億7500万ドル(約3000億円)に占める日本市場の比率は約15%と、恐らく他の外資系ソフトベンダーよりも日本市場の占める比率が高い。通常ですと10%未満であることが多いと聞いています。当社の場合、四半期によっては19%に達することもあるほどです。国内のビジネスだけが異常に伸びているわけではなく、日本人はそれだけデザインであるとか、ビジュアル的な美しさに敏感であり、当社の製品がとてもマッチしているということです。
──これからユニバーサルクライアント絡みのSI案件が増えることが予想されますが、SIパートナー向けの施策はどうですか。
イルグ すでにユニバーサルクライアントやエンゲージメントの考え方は大手SIerの方々に伝えてあり、一定の理解を得ています。旧マクロメディア製品との融合製品であるアポロやスコーピオは基幹業務システムとの連携など“つくり込み”が必要で、SIパートナーとの関係強化は欠かせません。
今年夏をめどに認定パートナー制度を導入したり、当社のコンサルタントの数を増やしてパートナー向けの支援体制を拡充するなど、SIパートナー向けのさまざまな施策を検討しています。
このような施策も大切ですが、それ以前にまずアドビに対する認識を変えたい。すべての人に“アドビはコミュニケーションを改善するエンゲージメントの技術を持っている会社”だと認識してもらうこと。ビジネスパートナーからは“新しいビジネスを生みだす仕掛け、技術を持っている会社”だと認識してもらえるよう努めていく考えです。
人と情報の間にまるで薄皮のように入り込むエンゲージメントの技術はパソコンだけでなく、携帯電話、情報端末などあらゆるシーンに応用できます。これから巨大な市場に成長しますよ。
My favorite名門・英ランドローバー社の四輪駆動乗用車。車内は極めて静か。平日は移動中に、急きょ路肩に止めて、電話会議の拠点に使うこともある。週末は家族の移動手段として活用している
眼光紙背 ~取材を終えて~
マクロメディアと合併してアドビは確かに変わった。変わったことを「まずはしっかり認識し直してもらう」ことが大切だとイルグ社長は説く。
旧アドビのPDF、旧マクロメディアのFlash。いずれもデファクトスタンダードの地位を占める有力技術だ。これにHTMLやJavaといった既存の標準技術を取り込み、新たなユニバーサルクライアントの創出を目指す。
誰もが日常的に使っている技術を組み合わせたもので、ユニバーサル性は確かに高い。だが同時にアドビの技術を随所に織りまぜることによって、PhotoshopやAcrobat、FLEXなど自社のデジタルコンテンツ制作ソフトの需要喚起も狙う。
「技術の組み合わせだけでは意味がない。本当の成長はこれからだ」。堅実な老舗パッケージソフトベンダーが次世代のユニバーサルプラットフォームベンダーへ大きく変わろうとしている。(寶)
プロフィール
ギャレット・イルグ
(ギャレット・イルグ)1961年、米ボストン生まれ。72年、父親の仕事の関係で来日。横浜インターナショナルスクール、世田谷のセントマリー高校で学び、83年、米ニューハンプシャー大学ウィットモア校卒業。84年、三菱電機に入社。再来日。日本BEAシステムズの社長などを経て06年1月、アドビシステムズの社長に就任。
会社紹介
米国を代表するパッケージソフト開発ベンダー。昨年度(2006年12月期)のグローバルの連結売上高は前年度比31%増の25億7500万ドル(約3000億円)。営業利益は同31%増の9億5600万ドル(約1100億円)。営業利益率は約37%に達する。PDFを生成するAcrobat、動画表示ソフトのFlash、画像処理ソフトのPhotoshopなど売れ筋商品を多数抱える。