日本ストラタステクノロジーが事業拡大に拍車をかけようとしている。FT(フォールトトレラント)サーバーで大規模システムの案件獲得を続ける一方で、IAサーバー無停止化が可能なソフトで中堅・中小企業(SMB)に無停止型を浸透させる体制を整備。2010年をユーザーのすそ野を広げる年と定め、今まさに新規顧客を開拓している段階だ。再びトップを務めることになった創業者の飯田晴祥氏に、今後の方向性を聞いた。
ユーザーのすそ野が広がる
──日本ストラタスの立ち上げに携わり、いったん離れてから再び戻ってこられたわけですが、以前と比べて何か変わったことはありますか。
飯田 最も変わったのは、お客様の領域が格段に広がっているということですね。立ち上げて、社長を務めていた頃は、官公庁や金融・通信などの業界が主な顧客先だった。今は製造や流通など、カバーしなければならない領域が広くなっています。また、お客様の企業規模に関しても、以前は大規模システムを導入する企業を対象としていたのが、今はSMBにも対応する製品を投入しなければならない。これは、FTサーバーが特定の業界や企業だけで求められているのではなく、さまざまなニーズに対応できる製品だからです。
FTサーバーのおかげで、03年から10年まで、当社は本当に成長した。私はいませんでしたが…(笑)。それでもまだ、広く存在するFTサーバーのお客様の対象、業界や企業をカバーしきれているわけではない。社長になったからには、さらに成長させなければならないと決意しています。
──その目標は設定されていますか。
飯田 来年度(10年2月期)は20%増を目指します。
──そもそも、なぜ日本ストラタスに戻られたのでしょうか。
飯田 個人的なつき合いがあった米国本社の幹部から「戻ってこないか」と声をかけられたことがきっかけです。私は当社を86年に立ち上げて、03年まで社長を務めました。ゼロからスタートさせた会社で、しかも17年間という長い年月を過ごしたことで、当社に対する“思い”もあった。このように話すと私の歳が歳だけに、「最後の仕事をするために戻ったのかな」と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、まあ、そのように捉えていただいても結構です(笑)。
03年に当社を離れた理由は、「やることはやった」と判断したから。FTサーバーを中心に、当社を成長軌道に乗せました。その後、ソフトウェアを中心としたビジネスに携わったのですが、戻ってきて個人的に感じたのは、ハード事業を離れていたせいで「浦島太郎」になっている、ということでした。その状態から現在の状況をキャッチアップして、ソフトウェアを組み入れることで、さらに成長軌道に乗せつつある。
先ほど申し上げたように、今は多くの領域をカバーしなければならない。とくにサーバー市場には他社との激しい競争があり、非常にシビアな世界になっています。そのなかでFTサーバーを中心に何ができるのか。市場で確固たる地位を築くための策を講じなければならない。それを私だったら導き出せる、と自負しています。
──社長に就任して、真っ先に行ったことは何でしょうか。
飯田 今も継続中ですが、販売パートナーさんを中心とした挨拶回りです。その活動のなかから、もっとパートナーさんを支援していかなければならない、と改めて実感しました。どのパートナーさんも、機器の価格下落などを経験し、ハードビジネスの方向性に危惧を抱いておられた。とくに「IAサーバーはビジネスにならない」という声が多かった。このようなパートナーの状況と、カバー領域を広げなければならないといった市場環境を踏まえ、的確な戦略を立てていきます。
サーバー市場は非常にシビアな世界。
市場で確固たる地位を築くための策を講じなければならない。
それを私だったら導き出せる。
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