1990年代、日本IBMでゼネラルビジネスサービスとビジネスパートナー部門の責任者を歴任し、理事を務めた小野寺洋氏。将来を有望視されていたが、体調を崩して51歳の時に同社を去った。復帰先として選んだのは、日本IBMの販社で「AS/400」(現・IBM Power Systems)の販売に強いベル・データだった。日本IBMからの総仕入金額は10億円を超える。年商こそ小さいが、優良ビジネスパートナーである。就任から約4年、小野寺氏は業績を伸ばし、業容を拡大させて従業員数を2倍に増やした。しかし、まだ道半ばという。現在の2倍にあたる100億円への到達を目標に据え、ベル・データでの社長職を「ビジネスキャリアの集大成の場」と決めている。
集大成の場として選んだポスト
──日本IBMでパートナーを支援する立場だった小野寺さんが、日本IBMのビジネスパートナーであるベル・データに籍を移しました。どのような思いがあったのでしょうか。
小野寺 ずっと日本IBMに身を置くつもりだったのですがね。体調を崩して、大歳(卓麻前社長)さんからは「休め」と言われ、確かにその時のポストを務められる体調でもなかったですから、静養を優先して退職を決めました。血圧がかなり上がって、このまま仕事し続けると死ぬな、と(笑)。苦渋の決断でした。体調がよくなった後は、一人でコンサルティング業をやっていたのですが、経営コンサルタントは机上の空論を唱えているようで、面白くなくて……。そこで、縁があってベル・データに声をかけてもらい、最初は顧問として手伝って、常務取締役を経て現在に至っている、というのが大雑把な経緯です。
私は日本IBM時代、SMB(中堅・中小企業)市場の開拓を手がけていました。だから、SMB向けのITビジネスに強い思いがあります。大企業ではなく、中堅クラスの企業に籍を置いてビジネスを手がけてみたいという思いもありました。
ベル・データは、日本IBMに比べて劣る部分があります。でも、従業員は、真面目で真剣、素直なヤツが多い。私が日本IBMで培ったノウハウやビジネス戦略を教えたいと思わせる人がたくさんいるんです。ですから、私がビジネスマンとして活動する最後の場として、ベル・データを選びました。
──どんな目標を立てていますか。
小野寺 年商規模が大きければいいというわけではないのですが、一つの指標として売上高にはこだわっています。目標は、あと3年半の期間で売上高100億円に到達すること。昨年度(2010年9月期)が42億円ですから2倍強です。目標を達成したタイミングで、私は今のポストを退いて、後任に譲ることも決めています。なので、この3年半が勝負です。
──辞めることを公言する理由は?
小野寺 自分を戒めるため、ですかね。目標を定めて、その達成時期に期限を設け、公にすることで自分を奮い立たせるんです。
──社長に就任してから約4年、この期間で業容をかなり広げましたね。従業員も約2倍に増えて、200人規模です。売上高100億円に向けて、どんな戦略を進めていますか。
小野寺 ベル・データはもともと「AS/400」(現・IBM Power Systems)の販社でした。販売だけでなく自社にCE(カスタマ・エンジニア)を抱えて保守サービスも手がけ、販売から運用、保守までトータルで提案できる。それが当社の強みです。「AS/400」の合計出荷台数は約2200台、保守の契約数は約1300台にものぼります。日本IBMからの総仕入額は、約260社のビジネスパートナー中、09年の実績で21位。優良なビジネスパートナーであるはずです。ただ、それだけでは100億円の到達には難しいと判断しました。私がベル・データに入社した時、「AS/400」関連のビジネスが全体の9割を占めていたんです。従来の強みを生かしつつも、新たな分野に挑戦することが必要でした。
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