日本ヒューレット・パッカード(日本HP)からセールフォース・ドットコム(セールスフォース)日本法人への電撃移籍。2014年のNo.1人事ネタは、間違いなくこの人を巡るものだった。社長業を引退しようと思っていた小出伸一氏が、なぜ再び重責を担うことを決めたのか。その理由、セールスフォースを選んだわけ、今後のIT産業のことを語ってもらった。
きっかけはベニオフ氏から届いたラブコール
──日本ヒューレット・パッカード(日本HP)の社長退任を発表した約2か月後に届いた移籍のニュース。正直にいって、小出さんの決断には驚きました。日本HPの辞任はもちろん、第一線から退くとのうわさがありましたから。 小出 55歳で日本HPの社長を辞めようと思っていたんです。約7年間務めて、日本HPのためには世代交代が必要だったし、私自身は新しい道として、アドバイザー・顧問のような立場で、経営に携わりたいと考えていました。
実は、日本HPの社内には、退任の意思を社外秘で公言していました。それがどこから漏れたのか、米国のメディアに書かれてしまって……。急遽、正式発表することにしたんです。そうしたら、セールスフォース本社のベニオフ(マーク・ベニオフ会長兼CEO)から連絡があって「辞めるんだったら、日本法人の経営を任せるから手伝え」と。ベニオフとは4年ほど前に知り合って、その価値観に共感するものがありますし、尊敬する経営者ですから「じゃあ、やってみよう」と引き受けました。
──社長業(CEO業)から離れようと考えていたのに、一転して、再び重い責任を背負うことを決意した理由は何ですか。 小出 セールスフォースは、新しいマーケットをつくり出すパイオニア集団で、最もイノベーティブ(革新的)な企業です。そんなチームのなかで、新しいチャレンジをしてみたいと単純に思いました。
ベニオフは今回、私にすべてを任せてくれて、米本社以外で初めてCEOとCOOを設置することを認めてくれました。私が会長兼CEOになり、川原均に社長兼COOを任せる体制をしくことができた。前社長の宇陀(栄次・取締役相談役)が一人でやっていたことを二人で役割分担し、長期ビジョン・戦略の策定は私、Day to Dayのビジネスは川原とすることができました。
日本法人の権利と責任がすべて私にあり、日本法人スタッフのレポートラインのトップもすべて私。日本企業ではあたりまえのことかもしれませんが、外資系では極めて異例です。過去に経験したことがないこうした体制で、経営できることも魅力でした。まあ、本社はすべて私に聞いてくるので、日本HPの社長よりもはるかに忙しくなりましたけれど(笑)。1か月に1回は本社に出張しているような気がしますよ。
──ベニオフ氏は、米国ではかなりのカリスマ経営者のようですが、そんなにベニオフさんは魅力的ですか(笑)。 小出 マーケティングセンスがあって財務の知識も豊富、テクノロジーに強くて、強力なセールスマンでもある。それがベニオフです。このように表現すると、完璧に動くロボットのように思うかもしれませんが、時々感情的になる人間臭いところもある(笑)。
私はIBMのときにルイス・ガースナーさん(IBMの元CEO)、ソフトバンクテレコムでは孫正義さんといった経営者と近い距離で仕事をしてきましたが、ベニオフはそのなかでも異色。カリスマですね。
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