──不足感は、いつ頃まで続くと思いますか。 わからないですね。新たなマーケットが生まれてきていますから。変化していく、進化していくというのは、世の常です。直近では、AI(人工知能)の導入チャレンジが増えてきていますので、関連するエンジニアが必要とされています。 だから、オンプレミスでというよりは、組み合わせていく技術をもっていて、クラウドの技術がわかっているエンジニアが欲しいとか、海外とのハブになるようなコミュニケーションができるエンジニアとか、複合的な要素が強くなってきています。完全にクラウドにシフトしていく会社では、フルスタックといわれるような、開発と運用の両方ができる人財が求められています。COBOLができれば20年食えるみたいな話は、もはや通用しないわけです。
──AIの高度化による派遣事業の影響については、どう考えていますか。 中期的にみると、AIやロボットに置き換わっていく部分があると思います。今はやはり、そういう節目にきているのかなと。企業としても、将来を見据えた事業構造の改革が必要になります。伸びている会社をみていると、新たな事業構造にチャレンジしています。当社も、派遣にこだわらず、“人を活かす”をテーマにチャレンジを続けていきます。

世界や未来を変えていくエンジニアを
しっかり支援していく会社でありたい。
大事なのは時代の変化を捉えること
<“KEY PERSON”の愛用品>人生初のメガネ OLIVER PEOPLESのメガネ。「ずっと目はよかったが、野球で自打球を目に当ててから急に。そこに老眼も加わって」ということで、人生初メガネを最近購入。ブルーライトカットのPC対応で、デスクワークを中心に活用している。

眼光紙背 ~取材を終えて~
会社の野球チームに所属するも、「サードで四番じゃないとやらない(笑)」というワガママぶり。サードで四番は、野球では定番の花形ポジションである。社長のワガママは迷惑になりがちだが、とても楽しそうに野球の話をするところをみると、下衆の勘ぐりに違いない。
パソナテックは今、マイクロソフトと佐賀県で、またモンスター・ラボなどと島根県でエンジニアの育成に取り組んでいる。地域の活性化には、まず人財を育てる必要があるというわけだ。育成したエンジニアを生かすためには、多様な働き方をサポートするパソナテックの役割は大きい。
吉永社長は高知県出身で、現在は高知県観光特使として、地域の活性化に貢献している。高知には展開しないのかと聞くと、「会社の私物化になってしまう」とやや慎重な答え。いつかはという想いもあるとのことだが、ここではワガママを封印している。(弐)
プロフィール
吉永 隆一
吉永 隆一(よしなが りゅういち)
1969年、高知県生まれ。大学卒業後、現パソナグループ南部靖之代表の人柄や情熱に惹かれ、テンポラリーセンター(現・パソナグループ)に入社。96年パソナテックの前身であるWindowsレスキュー事業部に参画、98年にパソナテックとして分社化。99年10月、取締役営業本部長。2009年、常務取締役。12年3月から代表取締役社長に就任。
会社紹介
1998年、パソナグループのIT人材サービス会社として設立。IT・エンジニアリング分野の専門性で、技術者が客先内で業務を遂行するインソーシング、会社運営に必要なシステム・プロセスをアウトソーシング、海外ネットワークによるグローバルソーシング、インターネットや在宅を利用したクラウドソーシングを組み合わせ、最適なソーシングを提案している。