KeyPerson
マルチプロダクトで日本の働き方を変える
SmartHR 代表取締役CEO
芹澤雅人
取材・文/藤岡堯 撮影/大星直輝
2023/06/26 09:00
週刊BCN 2023年06月26日vol.1974掲載
(取材・文/藤岡 堯 写真/大星直輝)
――3月の事業戦略発表会では「ARR100億円突破」「T2D3の達成」といった明るい話題がありました。成長を果たせた要因についてはどのように考えますか。
一言では言い表しにくいですが、T2D3といったラインを追ってきた中で、そこを外さないために何をするかということを全社一丸で考え続けた結果だと思います。全社員が目標を意識し、みんなで取り組めたことが大きいでしょう。
SaaSビジネスの指標に関し、当社は全社員に対して、自分たちの現状を毎週伝えています。私たちはそれが当たり前だと思っていたのですが、ある株主に「これほど社員がSaaSのメトリクス(指標)を理解している会社はなかなかない」と言われました。そのときに「ああ、なるほど」と思ったんです。一つ一つの指標を説明して、全社員が自分ごととして追えるようにしてきたことが、じわじわと効いてきているのでしょう。
SaaSにゴールはない
――経営層だけでなく、会社の隅々まで意識を共有できたことが現状につながっているわけですね。では、プロダクト面での要因はどう受け止めていますか。一つのプロダクトで勝負していると、あるセグメントまでしか浸透できず、ターゲットのパイが狭くなっていくことがよくあります。しかし、私たちはいくつかの要因によって、そのパイが狭まることが起きませんでした。
一つは労務という領域の特性として、大企業でも中小企業でも作業に大きな違いがない点が挙げられます。年末調整では、従業員からの回収フローは違うかもしれませんが、記入する内容は変わりません。さらに業種による違いもないんです。例えば、勤怠管理はサービス業と医療従事者では結構違い、一つのプロダクトをホリゾンタル(水平的)に展開することが難しい場合がありますが、労務はあまり関係がありません。一つのプロダクトが浸透できるポテンシャルがあったというわけです。
実は初期の段階から大企業をターゲットとしてプロダクトの作り込みをしてきました。それは会社として重大な意思決定の局面で、大企業を狙うか、中小企業に向けて磨き込むかというところですごく迷ったのですが、大企業と決めた瞬間があり、そのときから、裏側の作り直しに取り組んでいました。大企業になると、アルバイトが1カ月に100人入って、50人抜けるということがあります。そこで求められるのは一括系の処理ですが、そういう思想がありませんでした。一度プロダクトを作った後で、そこの思想を変えることはとても難しいです。ただ、思想を変えたおかげで、ある程度基礎ができれば、1000人(規模の会社)が取れた、じゃあ次は3000人に行こう、5000人に行こう、となだらかに進化できるようになりました。
セールスマーケティングも昔のままではなく、大企業の市場に打って出るための組織構造、体制の変更を何度も繰り返しました。大企業になれば、意思決定のフローや業務フローがシステムの導入で変わることになるので、既存フローをどう変えるかという点を導入前に相談し、導入後もスムーズに移行するためのお手伝いが必要になります。ただ、それは体制が組まれていないと実現できません。いきなりはそのような組織にはなれず、痛みを伴いながら、ちょっとずつ成長していくことに時間をかけて取り組んできました。もちろん、まだまだできることはたくさんあります。SaaSにゴールはないと思うんですよね。プロダクトの進化は求められ、販売体制も、もっとできることがあります。あくまで通過地点として、今、振り返ると、ここまではよく来られたかなと感じています。

HRデータの活用に「勝ち筋」
――労務領域の特性を生かす一方で、「マルチプロダクト」というキーワードを示し、タレントマネジメント領域での伸長を図る考えを示しています。狙いや戦略についてお聞きします。会社として取り組みたいことは労務の効率化だけではなく、カンパニーミッションに「well-working」とある通り、日本の働き方をバックオフィスからアップデートしたいです。バックオフィスでとらえると、労務はその一部分に過ぎず、労務以外の分野に進出しなければ、well-workingな社会はつくれません。数値的な話で言えば、ARRをもっと大きくしていくためには、単価を上げなければならず、その面からもプロダクトを増やすという考え方があります。
タレントマネジメントでは後発になりますが、「勝ち筋」みたいなものがわかってきました。先に労務で広げているので、「SmartHR」を使っていただいているお客様であれば、従業員や組織のデータが整理されマスタとして機能しています。その上で従業員一人一人にアカウントが発行され、適切な権限設定の下にログインができる状態になっています。これはすごく大きい。
タレントマネジメントを人的資本経営の文脈で導入しようとするお客様は多いですが、単体で導入するのは結構大変です。これまでの人事データは「Excel」などでばらばらに管理していることが多く、それを綺麗に整備して、権限を設定し、従業員にアカウントを発行してログインを案内する。大変なことですが、それですぐに組織がよくなるわけではなく、ちょっとずつ使っていくことで、中長期的に組織は改善されます。中長期的な投資ですが、イニシャルコストが大きく、導入のハードルが高いプロダクトであることが見えてきました。それが「SmartHRを使っていれば延長線上で導入できます」となれば、じゃあやってみようかなとなります。導入のハードルを低くできたことは、一つの勝ち筋でしょう。せっかく入れるならどっちも試してみようかな、という雰囲気が生まれています。
――マルチプロダクト戦略と合わせて、最近は地方の金融機関を中心としたパートナービジネスにも力を入れているそうですね。
パートナーは少しずつ増やしているところです。今まではほぼ直販でしたが、この2年ほどで、パートナーと協力した販売の実績が出始めている状況です。地方の企業となるとリーチしにくい面があるので、地銀の方からリードをいただいて、私たちが出向くということを始めています。地方拠点を少しずつ増やしており、各拠点で地場の銀行などとのアライアンスを強化しているところです。パートナーの皆さんはとても積極的で大変助かっています。
IT系パートナーについては、大企業では基幹システムと共存するために、システムへのつなぎ込みが必要となり、SIerと協力する場面はかなり増えています。別の話ですが、サードパーティーがSmartHR上で動かせるアプリケーションを販売できるストアを用意しており、そこでできることが増えてくれば、SIerとの協業の幅は広がるはずです。
ARRを10倍にできるか
──次の目標はどのように考えていますか。T2D3は達成できましたが、通過点だという思いです。現在のARRは100億円ですが、これをどうやったら10倍にできるかを常に考えようというのが最近の議論です。国産サービスであれば、一番大きいところでも200億円程度なので、前人未到の領域であり、それ相応の年月はかかると思っています。私たちだけが勝つという話ではなく、SaaSの市場をどこまで広げられるか見たいですね。
当社はもはやスタートアップという規模ではありません。事業のスピード感や挑戦心などはスタートアップですが、マインド面を阻害しないかたちでの内部統制をどう実現していくか。それはミドルマネージャー層の強化に尽きるでしょう。ただ、これはジレンマでもあり、短期的に成長していくこととは逆のことです。育成は短期的なことではなく、一時的には売り上げが落ち込むこともあります。売り上げは伸ばしたいが、組織も回したいとは二律背反な話であり、非常に難しい。これが経営なのだと思っています。ただ、うまくできると、すごくいい会社になるんじゃないでしょうか。
眼光紙背 ~取材を終えて~
「働くこと」への価値観が大きく変化している時代だ。リモートワークの普及や副業容認、終身雇用の見直しなど、少し前までは美徳とさえ思われていたようなことが変わり始めている。
激動のときだからこそ「理想の会社、理想の働き方を模索したい」。経営者の立場として「次世代の人たちにとって、いい労働環境を提供できるかに興味がある」という。コーポーレートミッションである「well-working」とも共通する課題だろう。
自身のキャリアについて「そのときにやりたいことをやってきた」と振り返る。先々を計画的に考えていないことにどこかコンプレックスがあったが、キャリアの語源が「轍(わだち)」であり、後ろにできるものを意味するとの説を知り「今しかできないことをやって、その結果としてキャリアがあるのは自然なこと」だと思えるようになったという。
芹澤CEOが今したいこと、すべきことと向き合いながら進んだ先に生まれる轍は、自社はもちろん、社会全体がwell-workingとなった未来へとつながっているだろう。
プロフィール
芹澤雅人
(せりざわ まさと)
新卒でIT業界に入り、2016年2月、SmartHRに入社。17年7月にVPoE就任、開発業務のほか、エンジニアチームのビルディングとマネジメントを担当。19年1月以降、CTOとしてプロダクト開発・運用に関わるチーム全体の最適化やビジネスサイドとの要望調整も担う。20年11月取締役。D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)推進管掌役員を兼任し、ポリシーの制定や委員会組成、研修などを通じてD&Iの推進に尽力。22年1月から現職。
会社紹介
【SmartHR】2013年1月設立。15年11月にクラウド人事労務ソフト「SmartHR」の提供を開始。雇用契約、年末調整などの人事・労務業務のペーパーレス化や、従業員サーベイや分析レポートなど蓄積された情報を活用する人材マネジメントなどに貢献。20年には関西支社に続いて九州、東海に拠点を開設。21年、シリーズDラウンドで海外投資家などから約156億円を調達し、累計調達額は約238億円。
(取材・文/藤岡 堯 写真/大星直輝)
――3月の事業戦略発表会では「ARR100億円突破」「T2D3の達成」といった明るい話題がありました。成長を果たせた要因についてはどのように考えますか。
一言では言い表しにくいですが、T2D3といったラインを追ってきた中で、そこを外さないために何をするかということを全社一丸で考え続けた結果だと思います。全社員が目標を意識し、みんなで取り組めたことが大きいでしょう。
SaaSビジネスの指標に関し、当社は全社員に対して、自分たちの現状を毎週伝えています。私たちはそれが当たり前だと思っていたのですが、ある株主に「これほど社員がSaaSのメトリクス(指標)を理解している会社はなかなかない」と言われました。そのときに「ああ、なるほど」と思ったんです。一つ一つの指標を説明して、全社員が自分ごととして追えるようにしてきたことが、じわじわと効いてきているのでしょう。
SaaSにゴールはない
――経営層だけでなく、会社の隅々まで意識を共有できたことが現状につながっているわけですね。では、プロダクト面での要因はどう受け止めていますか。一つのプロダクトで勝負していると、あるセグメントまでしか浸透できず、ターゲットのパイが狭くなっていくことがよくあります。しかし、私たちはいくつかの要因によって、そのパイが狭まることが起きませんでした。
一つは労務という領域の特性として、大企業でも中小企業でも作業に大きな違いがない点が挙げられます。年末調整では、従業員からの回収フローは違うかもしれませんが、記入する内容は変わりません。さらに業種による違いもないんです。例えば、勤怠管理はサービス業と医療従事者では結構違い、一つのプロダクトをホリゾンタル(水平的)に展開することが難しい場合がありますが、労務はあまり関係がありません。一つのプロダクトが浸透できるポテンシャルがあったというわけです。
実は初期の段階から大企業をターゲットとしてプロダクトの作り込みをしてきました。それは会社として重大な意思決定の局面で、大企業を狙うか、中小企業に向けて磨き込むかというところですごく迷ったのですが、大企業と決めた瞬間があり、そのときから、裏側の作り直しに取り組んでいました。大企業になると、アルバイトが1カ月に100人入って、50人抜けるということがあります。そこで求められるのは一括系の処理ですが、そういう思想がありませんでした。一度プロダクトを作った後で、そこの思想を変えることはとても難しいです。ただ、思想を変えたおかげで、ある程度基礎ができれば、1000人(規模の会社)が取れた、じゃあ次は3000人に行こう、5000人に行こう、となだらかに進化できるようになりました。
セールスマーケティングも昔のままではなく、大企業の市場に打って出るための組織構造、体制の変更を何度も繰り返しました。大企業になれば、意思決定のフローや業務フローがシステムの導入で変わることになるので、既存フローをどう変えるかという点を導入前に相談し、導入後もスムーズに移行するためのお手伝いが必要になります。ただ、それは体制が組まれていないと実現できません。いきなりはそのような組織にはなれず、痛みを伴いながら、ちょっとずつ成長していくことに時間をかけて取り組んできました。もちろん、まだまだできることはたくさんあります。SaaSにゴールはないと思うんですよね。プロダクトの進化は求められ、販売体制も、もっとできることがあります。あくまで通過地点として、今、振り返ると、ここまではよく来られたかなと感じています。
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