日立製作所で副社長を務めた齊藤裕氏が、2023年4月に情報処理推進機構(IPA)の理事長に就任した。「第五期中期目標」(23年4月~28年3月)で掲げるSociety 5.0の実現に向けた取り組みの推進などに向け、自身のノウハウや経験を生かし、組織をけん引する考えで、「長年、国内のデジタル化の遅れが指摘されている。IPAが政策の提言から実行までを担うことで遅れを取り戻し、日本の競争力を高めていく」と力を込める。
(取材・文/岩田晃久 写真/大星直輝)
政策まで踏み込む
──これまでの経歴を教えてください。
大学卒業後、日立製作所に入社し、エンジニアとして鉄鋼やインフラといった分野に携わりました。その後、社内カンパニーである情報制御システム社の社長を経て、日立の副社長と社内カンパニーの情報・通信システム社の社長を務め、日立全体の指揮や構造改革などに取り組みました。18年からは、ファナックに移りIoTを担当しました。こういったさまざまな経験をしているのが私の強みになります。
──20年からIPAの「デジタルアーキテクチャ・デザインセンター(DADC)」のセンター長を務めています。どういったことに取り組んできたのでしょうか。
当時、経済産業省が、今後はシステムの観点からさまざまなことを考えていかなければならないとの見解を示し、各産業団体などからも国内のシステム化の遅れが指摘されていました。その中で、システム化を進めるには、アーキテクチャー(異なる事業者間・社会全体でのビッグデータやシステム連携などを可能にする全体の設計図)の設計と、デジタルの世界における協調領域を明確にする必要があったことから、その部分の実現を目指しました。民間からシステムを設計できる人材を集めましたが、アーキテクチャー設計はすぐにできるわけではありません。勉強からのスタートとなり、最初の1年はうまくいかず、さらに時間を増やすなどして取り組みを強化しました。
IPAは経産省の政策実施機関としての一翼を担っている組織です。アーキテクチャーを設計していくには、経産省の各部門との連携が必要となります。DADCはできたばかりの組織だったため、(各部門から)信用を得ることから始めなければならなかったところも難しい点でした。
──4月にIPAの理事長に就任されました。
DADCでアーキテクチャー設計に取り組む中、その先にある標準化を作り、世の中に広め徹底していくといった動きを誰が行うのかを考えたときに、デジタル人材の育成やセキュリティへの取り組みがしっかりとしているIPAがその役割を担うのがよいと考えました。IPAをそういった組織にしていくには、DADCのセンター長だけでなく、理事長まで引き受けなければならないと思ったのが就任の理由です。
デジタル面で国内の状況を見てみると、お金が外国に流れている半面、外貨の獲得は進んでいません。この問題を放置してはいけないため、IPAが政策の部分にも関われるようにしていく必要があると考えています。そこまでつながらないと、日本のデジタル化が完結しませんし、デジタルを活用した産業競争力が確保できないと思います。
民間が政策提言しても、やる人がいないで終わってしまうため、私が民間の意見を取り込み、政策提言を行い、IPAが実行していくという話をしていきます。これを実現するには、強い覚悟と信念が必要ですが、理事長はそれを持たなければいけないと考えています。現在は、民間の人とディスカッションしながら、その意見を行政側に伝えるといった動きを始めています。
──実現に向けたハードルは高いようにも感じます。
今のIPAにそれだけの力があるかと聞かれれば、まだないでしょう。だからこそ、IPAを変えていく必要があります。特に、人材面は重要で、サイバーセキュリティやAIに強い人材、データの分析・解析ができる人材、最適化を図れる人材など幅広くそろえていきたいです。
Society 5.0の実現に向けて
──3月に第五期中期目標を発表しました。
「Society 5.0の実現に向けたアーキテクチャー設計やデジタル基盤提供の推進」「DXを担うデジタル人材の育成」「サイバー・フィジカルが一体化し、サイバー攻撃が組織化・高度化する中でのサイバーセキュリティの確保」を目指して、さまざまな施策を展開していきます。
──Society 5.0の実現はあまり進んでいない印象を受けます。
多くの人が生活に困っているわけではないため、デジタルを活用していかなければならないという点に対して、危機意識が薄いのが原因の一つだと思っています。ここから先、多くの国がデジタルの力を活用することで、日本よりもよい国だと評価されるケースが増えていくと考えられます。その時に、焦りが生まれてくるのではないのでしょうか。
今のままでいいなら、何も変える必要はありません。しかし、例えば脱炭素の取り組みを進める中、欧米や中国では、デジタルを活用しなければならないことを理解していますが、日本は、その理解があまり進んでおらず対応も遅れています。今後は、ただデジタルを使うのではなく、人々がなぜデジタルが必要なのかを真剣に考えていくことがSociety 5.0の実現に向けて重要になります。
──国内では多くの企業がDXの推進に取り組んでいますが、どう捉えていますか。
デジタルを活用し、業務の効率化や最適化を図る、新しい製品を作るために資材調達を行う、知見やノウハウを集める、さまざまな人たちが集まり連携するなど、従来のやり方では、実現が難しかったことが可能になるのが本当のデジタルの力ですし、DXに取り組む目的だと思います。しかし、かたちだけのDXを実現させるためにノルマ的にツールやシステムを入れ、その利用を従業員に押し付けているといった企業が多いように見えるので、経営層を中心に考え方を変えていく必要があると感じています。
「なぜ」を考える
──IPAではどういった取り組みをしていくのでしょうか。
われわれがデジタル社会を作るためには何が必要なのか考えようという話をしています。今の業務はもちろん必要ですが、それだけでは足りないはずです。例えば、セキュリティの場合、リスクアセスメントには取り組んでいますが、その後のマネジメントまではできていない状況です。リスクアセスメントからマネジメントを行っていくには、何が必要なのかを内部で考えてもらうようにしています。
また、IPAではさまざまなリサーチを行っていますが、そもそも、なぜリサーチをしているのかを考えなければなりません。日本人は真面目なため、テーマに対して、「何をすればいいのか」「どのようにすればいいのか」という面を考えるのは得意ですが、「なぜ」を考えるのが苦手だと捉えています。経産省からの指示を実行するのではなく、「なぜ」やるのかを考え、ほかにも必要なことがあれば、そこまで自分たちで実行すると言えるようにしたいです。
これらはすぐに実現できるとは思っていませんが、事業戦略として進めていきたいですし、組織体制の整理にも着手します。
──今後の抱負をお願いします。
スイスの国際経営開発研究所(IMD)が発表した「世界競争力ランキング」において、23年の日本の競争力は35位で、その要因はデジタル化の遅れにあるとされています。デジタルを活用して競争力を確保するには何が必要なのかを考えることで、IPAのミッションも決まってくるはずです。セキュリティはまさにそれに該当する部分で、デジタル化を進める上では、リスクマネジメントがきちんとできていなければなりません。われわれが、セキュリティにおいて、何が必要で、何をするべきなのかをきちんと整理することで、安全安心な国家を目指せると思っています。
眼光紙背 ~取材を終えて~
国内ではDXの実現に向けた動きが加速しているため、デジタル活用が進んでいるものの、いまだに欧米諸国には遅れを取っている状況だ。インタビューでも、早期に追いつかなければならないという危機感を募らせていた。
大学卒業後、日立製作所に入社、最終的に副社長を務めた。現場の視点と経営の視点で、長年、国内のIT産業を見てきた経験から、いい面も悪い面も熟知している。20年には、DADCのセンター長に就任、行政側の立場での仕事の難しさを痛感した。国内のデジタル推進が進まなかった原因の一つに、行政と民間の間にギャップが存在することが挙げられる。両方の立場を経験したからこそ、IPAの理事長として、そのギャップを埋めるために何をすべきかを分かっているようだった。
デジタルを活用して国の競争力を上げる。シンプルだが、実現に向けては課題が多く、険しい道のりが待っている。だからこそ、自身の描く施策や取り組みを実行することで、確実に日本の競争力が高まっていくと信じることが重要となる。「まだまだこれから」と話すその顔から、強い意志を感じた。
プロフィール
齊藤 裕
(さいとう ゆたか)
1954年12月生まれ。東京大学工学部を卒業後、日立製作所に入社。情報・通信グループ情報制御システム事業部長、執行役常務情報制御システム社社長兼スマートシティ事業統括本部副統括本部長、代表執行役執行役副社長情報・通信システムグループ長兼情報・通信システム社社長兼プラットフォーム部門CEO、代表執行役執行役副社長IoT推進本部長などの要職を歴任。18年、ファナックに移り、副社長執行役員(IoT担当)兼Intelligent Edge System社長などを務める。20年、情報処理推進機構顧問となりデジタルアーキテクチャ・デザインセンター長に就任。22年7月特別参与、23年4月1日付で現職。
会社紹介
【情報処理推進機構(IPA)】経済産業省の外郭団体として誕生し、2004年1月に独立行政法人化。安全で利便性の高い「頼れるIT社会」の実現を目指し、情報セキュリティ対策やIT人材育成制度の推進、オープンソースソフトウェア(OSS)やソフトウェアエンジニアリング関連の調査・研究などを進める。