情報サービス産業協会(JISA)は、最先端の高度デジタル人材の育成を通じて情報サービス産業の目指すべき人材像を明らかにする取り組みに力を入れている。デジタル技術によって社会が変化している今、DXを担う知見と技量を備えた高度デジタル人材が強く求められているからだ。IT業界における「トップアスリート」と呼べる人材を育てるプロジェクトを通じて、変貌する人材像を明らかにしていく。6月に会長に就いた福永哲弥氏に話を聞いた。
(取材・文/安藤章司 写真/大星直輝)
JISA版トレセンで高度人材を育成
──コロナ禍の3年間、JISAは政策提言をはじめとした外部向けの情報発信が十分にできていなかった印象があります。
対面で情報を発信する機会が少なかったのは事実ですし、そうした機会をコロナ禍によって奪われたことはたいへん遺憾です。ただ、さまざまな制約があるなかでも、JISA内の委員会活動は活発で、2022年度まで私が副会長として担当していた人材委員会では、原前会長(原孝・リンクレア特別顧問)が提唱したIT業界におけるトップアスリートを育成するためJISA版ナショナル・トレーニング・センター(NTC)プロジェクトを立ち上げました。
ITアスリートとは、情報サービス産業の頂点に位置するデジタル人材を指しています。時代に求められるデジタル人材像を明示することで、会員企業の人材育成の指針にしてもらう狙いです。JISA版NTCではITアスリートを一堂に集めて切磋琢磨する場を提供して、互いの知見や技量をより高め合う機会にしてもらいます。22、23年度と2年連続で群馬県が実地研修の場を提供してくれました。アスリートに選出された十数人の方々が、県庁の各部門が抱える課題を先進的なデジタル技術を駆使して解決するプログラムです。非常に実践的なものであり、例えば県内の交通政策や、庁内の業務的課題といった課題別にチームを編成して3カ月にわたって取り組んでいます。
──会長就任に当たって、福永会長は「鍛えよう、情報サービス産業。鍛えよう、個と組織」との標語を掲げました。どのような思いを込めたのでしょう。
前提として、これまでの情報サービス産業の構造は、数百人のSEを動員して数十億円規模の巨大な基幹業務システムを開発する大規模案件に依拠することが多かったと受け止めています。大規模な基幹システムを請け負うことは、社会インフラを支えるという意味で大変すばらしいことですが、一方で、組織やそこで働く人材が大規模案件に最適化されすぎているようにも感じていました。
先進的なデジタル技術を駆使して価値創造につなげるDXでは、アジャイル開発の手法を取り入れ、少人数でチームをつくり、明確な要件定義がないなかで価値をつくる仕組みを模索することが多い。そこでは大規模な組織力ではなく、チームに参加する個人の能力や創造性が成果を大きく左右します。従って、従来型の組織を鍛えるだけでなく、個人の能力や創造性も鍛えていこうという願いを込めて「鍛えよう、個と組織」のフレーズをもってきました。
100万人分の人材パワーを引き出す
──「鍛えよう、個と組織」は福永会長がお考えになったのですか。
もちろん私だけではありません。新体制発足に向けての準備段階では、ITアスリート構想を打ち出した原前会長はじめ、佐々木さん(佐々木裕・NTTデータ社長)や尾本さん(尾本昇・伊藤忠テクノソリューションズ理事)、長坂さん(長坂正彦・ワイ・シー・シー社長)、舩越さん(舩越真樹・IDホールディングス社長)ら副会長と一緒に練りました。
企業の競争力を高め、デジタル社会を発展させていくには、ITアスリートに相当するような高度なデジタル人材が100万人規模で求められると言われています。足元を見ると500社余りの会員企業の従業員を全部足し合わせても36万人しかいません。人材育成で補えればよいのですが、現実問題として難しい側面があります。そこで例えばAIやローコード開発などのデジタル技術を積極的に導入し、業務プロセスを自動化、効率化することで36万人の労働力を100万人に相当するよう拡張する道を追求していく方法もあると思います。
──外部に向けた情報発信の取り組みについてはどうですか。
冒頭に外部への情報発信が不十分との指摘がありましたが、新体制では新しく政策提言委員会を発足させ、情報発信の能力を高める施策を打ちました。委員長にはこの分野でたいへんお詳しい籔田さん(籔田健二・三菱総合研究所社長)に就いてもらっています。
──中央省庁への政策提言をはじめとしたロビー活動が中心の情報発信となるのでしょうか。
業界団体として個別具体的な要望を出すことも大切ですし、これまで通りやっていきます。とはいえ、その場合もただ要望を箇条書きにするのではなく、「先進諸国ではどのような政策がなされていて、実態はどうか」といった比較対象を挙げつつ、その上で「日本はこうしたほうがいいのではないか」と、政策を決定する立場にある方が参考にできるデータを揃えていきたい。幸いJISAは海外の情報サービス産業の団体と連携していますので、現地の生の声を集めやすい強みを持っています。
視座を高くして、情報を発信する
──情報発信では、ほかにどのような取り組みに力を入れていく考えですか。
デジタル技術がこれだけ社会に大きな影響を及ぼしている今、業界団体としてもう一段視座を高くしていかなければならないと考えています。JISA会員企業や、業界の視点を持ちつつ、それとは別に日本のデジタル社会が健全に発展していくためのあるべき方向や問題提起も併せて行っていきたい。
最近話題に上ることが多い生成AIの社会実装の方策についてや、AIを活用していく上での情報セキュリティのあり方、もっと言えば日々変化するSNSでの情報発信の仕方、デジタル領域における経済安全保障の考え方など、個別テーマの方向感を示すのも有用だと考えています。先進諸国ではどのような議論が進んでいるのか、技術面から見て筋がいいものなのかどうか、情報サービス産業の第一線で活躍する会員企業が加盟するJISAだからこそ発信できる情報はたくさんあります。
──福永会長ご自身のことについてもお聞きします。
元々は銀行員としてキャリアをスタートしたのですが、大学時代の友人から「新興の米ネット企業が日本法人を立ち上げるので財務担当役員をしてみないか」と声をかけられたのがきっかけで、ネットバブル全盛の00年にIT業界に足を踏み入れました。当時、群雄割拠だった検索サービス会社の一角を占めた米Lycos(ライコス)日本法人のCFO(最高財務責任者)を担ったのですが、残念ながら合従連衡の波にのまれてしまいました。ライコス日本法人は米本社と住友商事などとの合弁事業だったこともあって、住商エレクトロニクス(現SCSK)のCFOに声をかけてもらい、現在に至ります。
──ほぼ一貫して金融や財務を担ってきたキャリアですね。
財務経理やIRはもちろん、経営企画、人事、法務、リスク管理などの経営スタッフを管掌する役員として社長を補佐する立場が長いです。会員企業からなる業界団体とはいえ、自らがトップとなってリーダーシップを発揮し、組織運営を担うのはJISAが初めての経験かもしれません。
JISAでは21年度に情報サービス産業からみた30年の社会を示すビジョンステートメント「JISA2030」を公表しており、そのなかで「デジタル技術で“人が輝く社会”を創る」を掲げています。先述のJISA会員企業の従業員36万人がデジタル技術をフル活用することで100万人に相当する力を発揮するとの例えもありましたが、個の力が何倍にも増えるのがデジタル技術の特性です。個の力が強まることで「会社が個人を選ぶ」時代から「個人が会社や事業を選ぶ」時代に変わる可能性が高い。IT人材の流動性が高まると表現する人もいます。まずは情報サービス産業で働く人が輝くような活動を展開するとともに、30年に向けては社会全体が輝けるような取り組みに力を入れていきます。
眼光紙背 ~取材を終えて~
AIやローコード開発の発達でシステム開発の現場は大きく変わろうとしている。DXの文脈でユーザー企業が新規事業を立ち上げる際も、少人数でチームを組み、アジャイル開発の手法を採用するケースが多い。
福永会長が繰り返し説く「人が輝く社会」の実現とは、こうした開発現場の働き方やユーザー企業の需要の変化を端的に表したフレーズと受け取ることもできる。先進的なAIやアジャイル開発の手法を身につけ、ユーザー企業が求めるDXがどのようなものかを聞き込んでかたちにする仕事では、個人の能力に依存する部分が大きい。大量のSEを動員してスクラッチで基幹業務システムを開発したり、大規模なカスタマイズを行ったりといった労働集約的な働き方とは一線を画す動きだ。
最新のデジタル技術を積極的に取り込み、個人の能力を2倍、3倍に拡張できるようになれば、情報サービス業界で働く人がより輝き、結果として「社会全体の輝きを増すことにつながる」と考える。
プロフィール
福永哲弥
(ふくなが てつや)
兵庫県生まれ。1983年、東京大学経済学部経営学科卒業。同年、日本長期信用銀行(当時)入行。90年、米カリフォルニア大学バークレー校経営学修士課程修了。99年、チェースマンハッタン銀行(同)入行。2000年、ライコスジャパンCFO。03年、住商エレクトロニクス(現SCSK)取締役常務執行役員CFO。05年、住商情報システム(現SCSK)取締役執行役員。08年、取締役常務執行役員。14年、取締役専務執行役員CFO。22年、取締役執行役員副社長(現職)。23年6月14日、情報サービス産業協会会長に就任。
会社紹介
【情報サービス産業協会】情報サービス産業協会は、1970年に設立した旧日本情報センター協会と旧ソフトウェア産業振興協会の2団体が1984年に合併して設立。正会員と賛助会員を合わせて534社・団体で構成されている。会員企業の従業員数合計は36万8000人。