日本IBMのSE子会社の日本IBMデジタルサービスは、全国8カ所の「IBM地域DXセンター」を通じて、機動的で柔軟な開発や納品を行うダイナミックデリバリーを推進している。地場のソフト開発パートナーや、フィリピンのオフショアソフト開発の人的リソースと機動的に連携することで、国内外の開発案件に柔軟に対応。また、地場の教育機関との連携を深め、人材育成や仲間づくりにも力を入れている。2025年1月1日付けで2代目トップに就いた中村健一社長に話を聞いた。
(取材・文/安藤章司 写真/馬場磨貴)
北九州で初の産学連携をスタート
――日本IBMデジタルサービスがどのような会社かお話いただけますか。
当社は20年に日本IBM傘下のSE子会社3社が統合して発足した会社で、22年には新しく2社が加わって現在に至ります。社員数は数千人規模で東京・虎ノ門にある本社を含めて全国25カ所の事業所を展開し、ユーザー企業に密着してシステム開発や保守サービスを提供しています。
――25年1月に初代社長の井上裕美氏(現日本IBM取締役執行役員)から社長職を引き継ぎましたが、どのような経営方針で臨んでいますか。
井上の代では5社統合を行うとともに、全国八つのIBM地域DXセンターを開設するなど日本IBMデジタルサービスの基礎固めをしてきました。地域DXセンターは当社の特色の一つであり、センターを起点に地域のビジネスパートナーや教育機関、自治体などと連携してビジネスの輪や仲間づくりを進めています。私の代では、これをさらに進化させていく考えです。
具体的には生成AIを活用した開発や運用の高度化、ダイナミックデリバリー、人材育成、仲間づくりなどを推し進めます。
――地域DXセンターの役割を詳しく教えてください。
地域DXセンターは22年から札幌、仙台、北九州、那覇の4都市から始まり、その後、広島、高松、長野、千葉が加わって現在に至ります。地域ごとに特色が異なり、例えば札幌は金融業向けのシステム開発に実績ある人材がそろっており、千葉ではSAPなどのERPの運用保守に力を入れています。広島は自動車業界に強く、北九州や那覇はBPO(ビジネスプロセス・アウトソーシング)会社の日本IBMスタッフ・オペレーションズと連携してシステム開発とBPO事業を組み合わせたビジネスに取り組んでいます。
また、北九州では北九州市立大学と地域の人材育成と活性化を目的とした産学連携協定を結んで、27年4月の開設に向けて構想中の新学部「情報イノベーション学部(仮称)」のカリキュラムの共同開発や講師の派遣、インターシップなどを実施していく計画です。日本IBMデジタルサービスとして産学連携を行うのは北九州市立大学が初めての取り組みです。
――保守サービスは日本IBMから事業を継承したキンドリルジャパンが担うのではないのですか。
キンドリルジャパンはITインフラ層やクラウド基盤を主な事業領域としているのに対して、当社はアプリケーション層をメインとしており、それぞれ役割分担しています。
AI活用で顧客と接する時間を増やす
――先述のダイナミックデリバリーとはどのようなものですか。
機動的で柔軟な開発や納品を行う体制のことで、地域DXセンターを軸に地場のソフト開発パートナーや、フィリピンのオフショアソフト開発や運用の人的リソースを機動的に組み合わせて、国内外の案件を過不足なく請け負えるよう強化することです。地域にある案件だけを請け負っていてはSEのキャリアパスの幅が限定されてしまいますので、ほかの地域の異なる業種の案件や、日系企業の海外進出先の案件を全国8カ所の地域DXセンター経由で柔軟に割り当てられるようにします。
――フィリピンのオフショアソフト開発は欧米向けの仕事が多く、日本向けの仕事は少ない傾向があるイメージです。
フィリピンは地理的にも近いにも関わらず、ご指摘の通り全体的に日本向けのソフト開発の比率は高くありませんでした。日本向けを増やしてもらう上でかぎを握るのが地域DXセンターであり、地域ごとの地場の開発パートナーと海外オフショアパートナー、ユーザー企業を有機的に結びつけて、機動的な開発や納品ができる体制を強化していきます。実際、22年の地域DXセンターの開設から比較して、地場の開発パートナーとの協業案件数は2.8倍に増えましたし、フィリピンのオフショア開発パートナーとの協業も増えています。北九州での事例のように地場の教育機関との連携などを含めて、地域DXセンターを軸に国内外の仲間づくりの輪を広げていきます。
私がトップに就任してからは、前任の井上が積み上げてきた基盤や実績を進化させるとともに、ダイナミックデリバリー、仲間づくり、人材育成といった取り組みを掘り下げる深化を推し進めます。過去の延長線上でただ進んでいくのではなく、より関係を深めていくニュアンスを込めています。5社を統合し、国内外のパートナーとの連携を進めていくには、多様性を認め合い、働きやすい職場環境づくりに誠実に向き合う会社であり続けるよう経営のかじ取りをしていきます。
――ソフト開発に生成AIを活用する動きが活発化していますが、ソースコードの自動生成などで人件費を削減した分、ユーザー企業からは減額や納期短縮の要求が高まることはないのでしょうか。
これまで人の手でプログラムのソースコードを書いて、人海戦術でレビューをしてバグ取りや表記揺れなどを直してきましたが、その多くをAIで自動化、効率化できると見ています。かつてのように人月単価で仕事をしていると、AI化で動員する人数が減る分だけ売り上げは減り、納期短縮になりやすいのかも知れません。当社では人月単価の労働集約型のビジネスモデルではなく、ユーザー企業の売り上げや利益を伸ばす価値創出のビジネスモデルを重視していますので、その指摘は当てはまりません。
分かりやすい例を挙げると、ソースコードやレビューに費やしていた時間を削減した分、客先に出向いて業務課題を聞き込んだりして、ユーザーと打ち解け、意思疎通により多くの時間を割り当てることができるようになります。ユーザーから言われたものを唯々諾々とつくるのではなく、ユーザーの困りごとをより明確に可視化し、解決に結びつけることで価値を高められるのがAI活用のあるべき姿だと捉えています。人をAIに置き換えるのではなく、個人の能力を拡張したり、意思決定を補助するのがAIの役目です。当社で培った開発ノウハウや知見は開発パートナーや連携先の教育機関とも共有していきます。
先進デジタルで社会の変革事例をつくる
――中村社長ご自身についてお話いただけますか。
私は新卒でIBMビジネスコンサルティングサービスに入社しました。旧PwCコンサルティングの流れを汲む会社で、ITコンサルティングの仕事が私のキャリアのスタートです。ITコンサルだけでなく、一部経営コンサルも担当していて、ユーザー企業の経営戦略からシステム構築、運用まで一気通貫でお手伝いさせてもらいました。その後、10年に日本IBMと統合し、11年に広島にあった日本IBM中国ソリューションに出向しました。この会社は22年に当社と合併した会社の一つで、1月に私が着任したとき広島で一緒に働いていた仲間との再会を特に喜んだのが記憶に新しいです。
出向していたのは1年でしたが、その後7年にわたって広島のユーザー企業を担当させていただいていたこともあり、地域のSE会社がどういう役割で、どのような仕事をしているのか深く理解する期間でもありました。キャリアのスタートであるITや経営のコンサルティングの経験をプラスして、ユーザー企業の業務課題を解決したり、ダイナミックデリバリーやAIを組み合わせたより付加価値の高い開発・運用ビジネスを追求する今の経営姿勢につながっていると自負しています。
――SE子会社の役割は担いつつも、ユーザー企業に向けたソリューション提案を積極的に担っていくということですね。
社名に“デジタルサービス”を冠している会社ですので、先進的なデジタル技術を駆使したSIはもとより、社会の変革事例をつくり出していく気概で臨んでいきます。
眼光紙背 ~取材を終えて~
日本IBMのSE系グループ会社5社が統合した日本IBMデジタルサービスは、「多様性と誠実さ」を何より尊重している。「個々人の力を進化させ、チームの力をより深化させる」と、個人の力を伸ばし、キャリアや組織の壁を越えたチームワークづくり進める。
地域ごとの開発パートナーや、フィリピンのオフショア開発パートナー、旧5社で異なるキャリアを積んできた人材の多様性を受け入れ、誠実さをもってパートナーや従業員、ユーザー企業と向き合っていく考え。
会社が発足して最初の5年間は「体制を整えて滑走路を助走した」段階だとし、25年の“中村体制”に移行してからは「いよいよ本格的に大空へ飛翔していくフェーズに入った」と位置づける。日本IBMデジタルサービスの略称であるIJDSからもじって「IJDS2.0」と名づけ進化と深化、誠実さをモットーにビジネスを伸ばす。
プロフィール
中村健一
(なかむら けんいち)
1983年、東京都生まれ。2006年、創価大学経済学部卒業。同年、IBMビジネスコンサルティングサービス(現日本IBM)入社。11年、日本IBM中国ソリューション(現日本IBMデジタルサービス)出向。19年、日本IBMグローバルビジネスサービス事業本部専務補佐。同年、社長補佐。20年、IBMワークデイコンサルティングサービス事業統括。22年、IBMオラクルコンサルティングサービス事業統括。25年1月1日付で日本IBMデジタルサービス代表取締役社長に就任。
会社紹介
【日本IBMデジタルサービス】日本IBMデジタルサービスは、2020年に日本IBMサービスと日本IBMソリューション・サービス、日本IBMビズインテックの3社が合併して発足。22年に日本IBM共同ソリューション・サービスと日本IBM中国ソリューションの2社が合流して今の体制となる。全国25拠点、数千人規模のSE集団を形成している。