水野博之 広島県総合科学技術研究所 所長

 鉄斉が有名になるにつれて、ニセ物もまた数多く作られるようになった。現在では鉄斉と称するもののうち、10に9つはニセ物だと言われているくらいである。小林秀雄もニセ物をつかまされた、ということだから、油断もスキもない世界である。とは言っても、鉄斉は絵を商売とはしなかった。乞われるままに機嫌よく描いてやったようで、小品まで入れるといくら描いたかわからんと言われている。これが問題をややこしくしている。

 この間も、東寺かどこかのガラクタ市で本物が転がっていたという話があって、自称目利き人の格好の対象となっている。こうなると歴然たる鉄斉のニセ物マーケットが確立していて、ニセ物のなかで値段を競り合うそうである。エピゴーネンの世界もなかなかに忙しいのだ。先日、私の所に一幅の鉄斉が持ち込まれた。持ち込んだ方も、このあたりの呼吸はよく心得ている。「本物だ」なんて決して言わない。「本物だ」なんてわめいたとたん、「ははぁ」と思われるからである。「出所は確かで、私はソレだと思うのですが」と言う。出所は確か、というのはどこかの家から出て来た、というだけで何事も保証はできないということだし、ソレというのはソレで「ほんものではないか、と思念する」ということだ。

 この絵、最初は本物に見えた。だいたい、見る方も掘り出してやろうという邪心があるからどうも心眼がくもる。そこでトイレに行った。トイレというのは心機一転にはよいところで、出すべき物を出すと、開放感と一緒に邪念も解放される。再見、たちまち厭になった。ひどいもので、厭になると描かれているホテイさんまで顔つきが気にいらね。相手は私の顔色を見て「やっぱり、いけませんか」と言った。「やっぱり」はないだろう、と私は思った。(宝塚・中山山荘にて)