今秋から、松下電器産業、東芝、ソニーが商品化する読書器には、未来があるだろうか。「ある」と私は思う。ただし、10年の蓄積をもつパソコン電子本の成果をしっかり引き継ぎ、できなかったことを達成してみせるのが条件だ。パソコン上の電子本体験で、インターネットが配布における盤石の基盤となることが確認できた。

 いつでもどこにいても、読みたいと思ったときには本にアクセスして読み出せる。紙の本では決してのぞみえないこの特長を、読書器は後退させるべきでない。独自の電子本販売ルートを用意することは、それがインターネットへのバイパスを備えていないのなら、普及にとってはマイナスに作用する。新しい読書器もまた、インターネットを基盤とし、電子書店やテキストアーカイブが育ちはじめた大きな読書環境の一部として、自らを位置づけるべきだ。

 逆に、パソコン電子本で達成できなかったのは、まずなによりも、口ごもらず、堂々と主張できるレベルの「読みやすさ」だった。技術的なやりくりを重ねて、低い解像度の画面上で、なんとか文章の読みやすさを高めようとしてきたが、紙とは大きな差があった。一方、新しい読書器は、ノートパソコンの標準的な解像度である1024×768ドット程度をすべて使って、紙の本の1ページ相当を表示する。実際に目にしてみると、読みやすさには格段の差がある。読むことに特化した専用端末には、存在意義があると、痛感させられる。

 読みやすい文字に加え、パソコンの電子本が達成できていない「必要だけれど出せなかった文字」を表示するという課題にも、読書器はぜひ応えて欲しい。第3第4水準の漢字などを定めた文字コード、JIS X 0213へのメーカーからの対応は、Max OS Xを唯一の例外として遅れている。この状況を逆手にとって、0213をサポートし、古典的な名作の電子化に不可欠な第3第4水準漢字を用いたテキストの作成を下支えすれば、ここでもまた、読書器は独自の存在意義を主張できる。今までは出せなかったものを含めて、格段に鮮やかに文字を表示できるのであれば、読書器は、新しい読書環境において強力なライバルとなる携帯電話と、十分互していけるだろう。