大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第108話 仕事の種

2003/11/24 16:18

週刊BCN 2003年11月24日vol.1016掲載

水野博之 立命館大学客員教授

 「揺れている」ということは楽しいことだ。子供だって「揺り籠」のなかで子守歌を聞きながらスヤスヤ眠っている。その子守歌だって、音に強弱、高低があってそれが快適感を作り出しているのである。作曲というのはそういうものだ。しかし、名作曲家になろうとすれば、ただ単に音を大きくしたり小さくしたりしただけでは駄目で、そこにメロディをつけないといけない。しかもそれが人の心に「快適感」を生むものでなくてはならない。

 こうなってくると、作曲家の仕事も、わいわいがやがやの行末を見ることだ、ということになる。この行末もまた「ユラギ」であると信じる物理学者達がいて、どのような「ユラギ」をいかに並べれば快適感が生まれるか、という研究をしている。絵だって同じことだ。これは、色の強弱と配合の強弱で快適感を出そうとする活動である。しからば、このような強弱感を機械的に出せないものか、と考えた新しい芸術家の一群がいて、円板の上に絵具(ペンキ)を強弱大小配しておいて、円板をゆっくりと、時として早く回転させる。「ペンキ」は遠心力によって飛び、大小に応じて混じる。これがまた微妙に抽象画風で美しい。

 今から50年前の話であるが、私もこの芸術運動に参加したことがあって、回転の強弱に応じて出来上がる文様を物理的に解析した。米国での話である。この活動は、新しい芸術活動として、一時大いに注目されたものであったが、今ではゆくえ知れずとなった。出来上った絵さえ美しければよい、と私などは思うのだが、板をグルグルまわすんじゃ、芸術じゃないわい、ということになったのか。簡単なことだ。皆さんもちょっとやってみるとよい。ええ加減な抽象画より美しく複雑な絵画ができること間違いない。こんなことを言うのも、仕事の種は山程あると言いたいからである。(湯布院にて)
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